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【S7|日本のデザイン】神事としての大相撲---完成してしまったデザイン #2

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第2回|相撲は、なぜ静かに成立しているのか


大相撲を見ていて、いつも不思議に思うことがある。

勝負は激しい。
体重百キロを超える身体同士が、真正面からぶつかる。
一瞬で勝敗が決まり、力士は土俵に倒れ込む。

それでも、場の空気が荒れない。

観客は声を上げるが、煽られない。
興奮はあるが、暴走しない。
勝ち負けがはっきりしているのに、後味が残らない。

この「荒れなさ」は、偶然ではないと思う。

相撲には、戦いの前に必ず行われる所作がある。
四股を踏む。
塩を撒く。
呼吸を整える。

どれも、勝敗とは直接関係がない。
けれど、それらが省略されることはない。

これらは、単なる伝統的なパフォーマンスではない。
機能している。

四股は、大地を鎮める動作だと言われる。
塩は、場を清めるために撒かれる。
土俵そのものも、神聖な区画として扱われている。

つまり相撲は、
「戦う前に、まず場を整える」ことを前提にしている。

この前提があることで、
勝負は“なんでもあり”にならない。

感情が先走る前に、
身体が暴れる前に、
一度、静けさが挟まる。

私はここに、強いデザインの意志を感じる。

多くの競技や興行は、
どうすれば盛り上がるか、
どうすれば観客の熱量を上げられるか、
を中心に設計されている。

相撲は、少し逆だ。

どうすれば、熱が行き過ぎないか。
どうすれば、勝負が勝負のままで終われるか。
どうすれば、場が壊れずに保たれるか。

そのための装置が、最初から組み込まれている。

この基盤にあるのが、神道的な感覚だと思う。

神道は、強い教義を持たない。
善悪を声高に語らない。
正しさを押し付けない。

代わりに、
清める。
境界をつくる。
越えてはいけない線を、静かに示す。

相撲における神道は、
思想というより、ブレーキだ。

興奮しすぎないための。
過剰にならないための。
人が人でいられるための。

だから相撲は、荒れない。

勝負は激しくても、
場は壊れない。

これは、現代のデザインにとって、とても示唆的だと思う。

私たちは、
いかに注目を集めるか、
いかに感情を動かすか、
いかに拡散させるか、
ばかりを考えがちだ。

けれど、本当に長く残るものは、
「いかに抑えるか」を同時に設計している。

大相撲は、
そのことを、何百年も前から実践している。

次回は、
もう少し視点を引いてみたい。

なぜ、同じ日本の伝統芸能である歌舞伎は、
派手になり、更新を続ける必要があったのか。

そして、
なぜ相撲は、そうならなかったのか。

その違いを見ていくと、
「永続するデザイン」の輪郭が、もう少しはっきりしてくる。


ここまで読んで、
もし何かが静かに残っているなら、
それはまだ言葉になっていないだけかもしれません。


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