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エビデンスという違和感──証明がなければ、なぜ考えられなくなるのか

デザイン思考という違和感──考えすぎるほど、なぜ見えなくなるのか

違和感のデザイン 04



「それ、エビデンスありますか?」

最近、この言葉をよく聞く。

会議でも、
ビジネスでも、
SNSでも。

何かを語るとき、
まず求められるのはエビデンスだ。

データ。
数値。
統計。
論文。

証明されていることだけが、
語る価値を持つ。

そんな空気が、いまの社会の前提になっている。

もちろん、エビデンスは重要だ。

人間は思い込みをする。
間違える。
だから検証は必要だ。

それは間違っていない。

だが私は、
ときどき引っかかる。

その問いが出てきた瞬間、
会話が止まることがあるからだ。

エビデンスがないなら、
語る意味がない。

証明されていないなら、
考える必要もない。

そんな空気が、
思考を静かに終わらせてしまう。

ここで少しだけ、立ち止まって考えたい。

エビデンスとは、
いったい何なのだろう。

エビデンスとは、過去の記録だ。

すでに起きたこと。
すでに試されたこと。
すでに確認されたこと。

つまりそれは、
未来の証明ではない。

過去の証明だ。

しかし私たちは、
未来を語る条件として

エビデンスを要求している。

まだ起きていないことを語るのに、
すでに起きた証拠を求めている。

少しおかしい。

もし本当に、エビデンスがなければ動けない社会なら、

この世界の多くの変化は
最初から起きていない。

インターネットにも
エビデンスはなかった。

スマートフォンにも
エビデンスはなかった。

ロックンロールにも
エビデンスはなかった。

誰かが
まだ証明されていない未来を信じ、

まだデータのない方向へ
一歩を踏み出した。

そのあとで世界が変わり、
そのあとでエビデンスが生まれた。

順番が逆なのだ。

デザインも同じだ。

デザインとは、
まだ存在しない関係をつくることだ。

まだ証明されていない未来を、
仮説として形にすることだ。

だからデザインは、
エビデンスのあとに始まるものではない。

エビデンスが生まれる前に、
始まるものだ。

それでも私たちは、ついこう聞いてしまう。

「それ、エビデンスありますか?」

その問いは、
ときどき思考を止めてしまう。

エビデンスは、過去の記録だ。
デザインは、未来の仮説だ。

そして未来は、
まだ証明されていないところから始まる。

次の回を読む


ここまで読んで、
もし納得しきれない何かがあるなら、
それはまだ数字になる前の感覚かもしれません。


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言葉になる前のものを、構造として捉え直す


▼ こちらでもエビデンスについて書いています


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