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「窮する国家は年金を狙う」について

1. 発端としての違和感と問い

日経新聞に掲載された「窮する国家は年金を狙う GPIF運用で広がる波紋」という記事を読んだ。上級論説委員の藤田和明が執筆したコラムである。

発端となったのは、片山さつき財務相が年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に対して、国内金融資産への投資を促すような発言を行い、市場に波紋が広がったことだ。財政の逼迫や金利の上昇、為替の円安進行を背景に、政府が年金積立金を自らの政策目的に都合よく動員しようとしているのではないか、という警戒感が広がったのである。

この論説を読んだとき、僕の頭にはひとつの疑問が浮かんだ。

少し前の報道によれば、GPIFの2025年度の運用益は41兆3,995億円に達し、歴代2位の黒字を記録していた。市場運用を開始した2001年度以降で初となる6年連続の黒字であり、運用資産の総額はおよそ293兆円にまで膨らんでいる。数字だけを見る限り、GPIFの運用が危機に瀕しているようには到底見えない。極めて堅調に回っているはずの組織に対して、なぜ筆者や海外のエコノミストたちはこれほど強い調子で警鐘を鳴らすのか。

藤田の主張を突き詰めると、論点は「足元の運用実績の良し悪し」にはない。問題の本質は、「政治がその巨大な資金力に目をつけ、運用の基本原則を自らの都合で歪めようとしていること」そのものに向けられている。

2. 「賦課方式のクッション」という認識の落とし穴

議論を掘り下げるにあたって、まず公的年金制度の骨格を確認しておく必要がある。

日本の公的年金は、現役世代が支払う保険料とその時々の国庫負担(税金)によって、その年の年金給付を賄う「賦課(ふか)方式」を基本としている。毎年の給付財源の約9割は現役世代からの仕送りで回っており、GPIFが預かる約293兆円の積立金は、将来の給付不足を補うための残り1割程度を担う調整弁、いわば「クッション」のような位置づけに過ぎない。

この事実を踏まえると、「年金給付の9割が現役の保険料で賄われている以上、GPIFの運用が多少揺らいだところで、公的年金制度の根幹が左右されるわけではない」という見方が生じる。積立金は制度全体の主役ではなく、人口動態の波をならすためのバッファーに過ぎないのだから、政治の思惑が多少入り込んだところで大した影響はないはずだ、という論理である。

だが、この思考には決定的な死角がある。

(1) 「限界的な1割」が制度の持続性を決定づける

少子高齢化が不可逆的に進むこれからの数十年、現役世代の保険料収入は細り、給付費は増大していく。この不足を埋めるために取り崩されるのが、まさにこの「1割のクッション」である。

積立金の運用利回りが想定を下回れば、バッファーが枯渇する時期は一気に早まる。その結果として起きるのは、マクロ経済スライドによる給付水準の実質的な切り下げや、現役世代に対する保険料・税負担の引き上げである。

全体から見れば1割のシェアであっても、「制度が健全に保たれるか、給付の切り下げに追い込まれるか」の分岐点を握っているのは、まさにこの積立金が稼ぎ出す収益にほかならない。

(2) 金融市場にとって293兆円は巨大すぎる

年金財政という枠内では「1割の調整弁」に見えたとしても、資本市場の視点線に立てば、約293兆円というマネーは日本のGDPの半分、東京証券取引所プライム市場の時価総額の3割強に匹敵する超巨大資本である。

これほどの規模を持つ資金の運用方針を、政治が「国債の買い支え」や「目先の為替対策」のために動かせば、市場の価格発見機能そのものが麻痺する。国内の金利形成や為替相場に強烈な歪みをもたらし、結果として巡り巡って国民経済全体に跳ね返ってくる。

「本体は賦課方式であり、積立金は単なるクッションに過ぎない」という言説は、皮肉にも、政治が「多少は政策目的に流用しても制度は壊れない」と自らの介入を正当化するための格好の隠れ蓑にされてきた経緯がある。

3. 外部委託という防壁の脆さとアセットアロケーションの主権

次に突き当たるのは、「運用の現場」をめぐる誤解である。

GPIFの日常的な売買実務は、厚生労働省の官僚が直接行っているわけではない。国内株式であれば野村アセットマネジメントやアセットマネジメントOne、外国株式であればブラックロックやステート・ストリートといった、国内外の民間運用会社に外部委託されている。

GPIF本体は、世界の専門家を競わせ、管理・評価する立場をとっている。

この運用体制を見て、「実務がプロの民間に委託されているのだから、政治や官僚の恣意的な介入など入り込む余地はない」と安心するのは早計である。ここには、アセットオーナー(資金の出し手)とアセットマネージャー(運用の受託者)の決定的な力関係の差が見落とされている。

(1) 外部の運用会社は資産配分を決められない

民間のファンドマネージャーが委ねられている裁量は、「与えられた資金枠の中で、どの個別企業や債券を売買するか」という個別銘柄の選定(ミクロの執行)に過ぎない。

「資産全体のうち何割を国内債券に割り当て、何割を外国株式に配分するか」という大枠の資産配分(アセットアロケーション=基本ポートフォリオ)を決定する権限は、アセットオーナーであるGPIF、そしてその監督官庁である厚生労働省にしか存在しない。

どれほど現場の運用会社が優秀であっても、発注元が「国内債券の配分比率を大幅に引き上げ、外国資産を売却せよ」とルールを変更すれば、受託機関はその命令に従って動くほかない。

(2) 政治が狙うのは最上流の配分比率である

政治家が年金マネーに触手を伸ばす際、「この個別銘柄を買え」と指図してくることはまずない。彼らが介入しようとするのは、まさに最上流にある「基本ポートフォリオ」の改定である。

現在のGPIFの基本ポートフォリオは、以下の通り4つの資産クラスへ均等に配分されている。
・ 国内債券:25%
・ 外国債券:25%
・ 国内株式:25%
・ 外国株式:25%

この均等配分は、2014年に当時の安倍政権下で、従来の「国内債券60%」という極端な国債偏重から脱却して策定されたものだ。このときも配分変更を主導したのは民間のファンドマネージャーではなく、官邸の強い政治的意志であった。

制度上、GPIFの中期目標を指示し、中期計画を認可する権限は厚生労働大臣にあり、理事長や経営委員の任命権も政府が握っている。現場の運用を民間に委託しているという事実は、最上流の資産配分を政治的に書き換える動きに対する防波堤にはなり得ない。

4. 「政府任せ」がもたらす歪みと歴史の前科

もしもアセットアロケーションの決定を政府の思惑に委ねてしまえば、どのような事態が起きるか。

(1) 予想される資産配分の改変

政府が直面する課題に応じて、基本ポートフォリオは以下のように書き換えられる公算が大きい。
・ 国内債券(国債)の比率引き上げ: 日銀が利上げを進め、国債買い入れを減額していく局面において、国債価格の暴落と長期金利の急騰は、政府にとって利払い費の増大という直接の財政危機を意味する。文句を言わずに低利回りの国債を大量に買い支えてくれる引き受け手として、年金積立金ほど都合のよい存在はない。
・ 外国資産(外債・外株)の圧縮: 急激な円安に対する世論の批判をかわすため、GPIFが保有する約150兆円規模の外貨建て資産を売却させ、円転させる圧力がかかる。実質的な為替介入(円買い)の原資として年金マネーを動員する狙いである。
・ 特定政策分野への投資誘導: 脱炭素、半導体、防衛といった特定の国策産業への資金供給や、国内株価の下支えを名目に、リスクに見合わない特定分野への配分が求められる。

(2) なぜ合理的なエリートが愚かな選択に走るのか

「政府もそこまで馬鹿ではないはずだ」と信じたくなる心理は理解できる。しかし、これは政策決定者の知能の問題ではない。「時間軸の非対称性」という構造的な罠が原因である。

政治家にとっての時間は「次の選挙までの数ヶ月から数年」であり、官僚にとっての時間は「ひとつの役職に留まる2〜3年」である。一方で、年金財政が向き合うべき時間は「30年から50年先」の長期スパンである。

目の前で金利急騰や急激な円安による物価高が発生し、政権の存続が危うくなったとき、政策決定者にとっての最優先事項は、「今この瞬間の市場の動揺を抑え込むこと」になる。「数十年後の年金受給世代が被る資産目減り」と「今週の市場パニックの回避」を天秤にかけたとき、手元にある約293兆円の資金を使わずに耐え忍ぶことは、いかに優秀な人間であっても極めて困難である。

彼らは決して「財政の穴埋めのために年金を犠牲にする」とは言わない。「日本の未来を支える成長産業への投資」や「為替リスクを避けた円資産による安全運用の徹底」といった、国民受けのよい愛国的なレトリックを掲げて正当化を図る。

(3) 忘れ去られた大蔵省の前科

かつての日本政府がまさにこの過ちを犯した歴史を、我々は忘れるべきではない。

2001年の財政投融資改革以前、年金積立金は全額「大蔵省資金運用部」への預託が義務付けられていた。集められた資金は、特殊法人の赤字補填や、採算の取れない道路建設、全国に乱立して巨額の赤字を垂れ流したリゾート施設「グリーンピア」の建設へと注ぎ込まれた。結果として、何兆円もの国民資産が無駄に消えた。

この大失敗に対する痛烈な反省から、2001年に預託義務が廃止され、市場での自律的な分散運用を行う現在のGPIFの原型が作られた。四半世紀が経過し、当時の痛みを忘れた政治が、再び同じ手口で年金マネーに手を伸ばそうとしているのが現在の構図である。

5. 健全な運用のための制度的防壁

政府の介入を排し、年金積立金の健全な運用を守るためには、政治家の良心に期待するのではなく、構造的な制度的防壁を築く必要がある。

(1) 受託者責任の厳格な法制化

運用の目的を「受益者(国民)の経済的利益の最大化」に限定し、財政支援や産業政策、為替・金利対策といった政策目的での資金動員を法律上明確に禁止すること。役員や最高投資責任者(CIO)に対し、政府ではなく国民に対する忠実義務を課す仕組みが不可欠である。

(2) カナダ(CPPIB)に倣う統治の独立性

政府から完全に切り離された取締役会を持ち、役員の選任にも独立した選考委員会が介在するカナダの公的年金運用機関(CPPIB)のように、政府が恣意的に人事を左右できない組織構造へと改組すること。

(3) 政治接触の透明化と説明責任

財務省や厚生労働省、政治家からの要請や接触記録を議事録として全面開示させ、密室での行政指導を封じること。資産配分の変更を行う際には、それがリスク・リターンの最適化の観点から合理的であることを数理的・定量的に証明する義務を課すべきである。

6. 65歳からの実践的な自衛論

マクロの制度防衛を訴え、政治を監視することは主権者としての義務であるが、国家が追い詰められた際に実質的な年金削減(給付の抑制やインフレによる購買力低下)を進めるリスクを完全にゼロにすることはできない。したがって、個人の足元における自衛策が不可欠となる。

「若年層のように何十年もかけて積立投資を行う時間がない」と感じる世代であっても、決して手遅れではない。65歳からの自衛の本質は、資産をゼロから増やすことではなく、「手持ちのカードを組み替えて、キャッシュフローの強靭化と実質購買力の防衛を図ること」にある。

具体的には、以下の3つの要素を組み合わせた布陣が極めて有効なディフェンスとなる。

(1) 公的年金の受給繰り下げによる確定利回り化

公的年金の最大の強みは、終身で支給される点にある。これを自衛の武器として最大化するのが受給の繰り下げである。 65歳で受け取らずに受給を繰り下げると、1ヶ月ごとに0.7%、1年で8.4%増額され、70歳まで繰り下げれば42%増の年金額が生涯にわたって固定される。現在の低金利環境において、元本毀損リスクなしにこれだけの利回りを確定させる金融商品は民間に存在しない。

(2) 新NISAを活用した世界分散投資によるインフレヘッジ

既存の資産が日本円の現預金だけに偏っていると、国家がインフレや低金利誘導を進めた際に実質的な購買力が確実に目減りしていく。 無理のない範囲で、新NISAなどを活用して全世界株式指数(オルカン)などの世界分散ファンドへ資金を配分しておく。これにより、たとえ日本の公的年金運用が政治介入によって国内資産偏重に歪められたとしても、個人の手元には「世界経済の成長を取り込み、為替リスクを分散した資産」を確保しておくことができる。

(3) 人的資本の継続と複数経路のインカム確保

70歳頃まで細く長く働き続けることは、年金の繰り下げ期間中の生活費を賄うだけでなく、それ自体が強力なインフレ連動型のキャッシュフローとなる。 さらに、一方が給与所得で社会保険や安定収入を確保し、もう一方が個人事業主として事業所得を得るような形態をとれば、税制面や所得の性質の面で強固なリスク分散が成立する。

7. 結び

「窮する国家は年金を狙う」という言葉は、単なる歴史の警句ではない。財政赤字と少子高齢化に直面する現在の日本において、いつでも現実になり得る構造的なリスクである。

我々に求められているのは、お上の善意を無邪気に信じ込むことでも、制度に絶望して背を向けることでもない。 政治が年金積立金に手を伸ばそうとする動きには厳しい監視の目を光らせつつ、自らの生活においては、制度の利点を使い倒し、世界分散と人的資本を組み合わせた複眼的な防衛壁を築いておくこと。国家に依存しすぎず、かといって過度に恐れず、冷徹に合理的な手を打ち続ける姿勢こそが、これからの時代を生き抜くための確かな足場となる。


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