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季節が止まったように、心も止まるとき

正座と心の可動域

夏の帰省、福岡の妻の実家。
仏壇の前で手を合わせようと、
何気なく正座しようとした瞬間――

「あれ…できない?」

膝と足首が固まっていて、
深く曲げられませんでした。

先祖に礼儀を示せない自分が、恥ずかしくなりました。

少しずつ曲がらなくなっていたのは知っていました。昔ケガをした膝なので、「まぁ仕方ないか」と、そのままにしていたのです。

でも、そのケガを守るために膝をかばい、
知らないうちに動きを制限し、
他の部分でカバーしてきた結果、
動かさない関節は少しずつ固まり、
可動域が狭くなっていたのです。

ちょっとショックだし、
この先、さらに歳を重ねていく
自分を考えると不安にもなりました。


これって、心にも同じことが起きます。

つらい出来事や心のケガがあると、
それをかばうように生き方が変わる。

本音を言わない。
挑戦を避ける。
無理に笑顔で振る舞う。

短期的には自分を守ってくれるけれど、
長く続けば、動かさない感情や表現は固まってしまう。

気づかないうちに、
「心の可動域」が狭くなっていきます


そして厄介なのは、
「こんなもんか」と思ってしまうこと。

それを当たり前にしてしまうと、
固まっているのに気づかないまま、
そんな状態が“普通”になってしまいます。

それは、表面は笑っていても、
奥の方で季節が止まってしまったようなもの。
時間だけが進み、心は置き去りになる。

夏の甲子園、満員の歓声に包まれても、
自分の胸だけが静まり返っているようなもの。

生きているのに止まってる。

それでも、
「まあ、こんなもんか」とやり過ごしてしまう――そんな感覚に近いかもしれません。


そんな状態への違和感に、
どうやって気づけるのか。

それはたいてい、
「いつもと違う揺さぶり」が来たとき。

映画や音楽で急に涙が出る。
ふと笑顔が本物になる。
信頼できる場で力が抜ける。

そんな瞬間に、
あ、自分は固まってたんだ」と知るのです。


僕の場合、その“揺さぶり”は
妻の実家の仏壇でした。

いつのまにか、正座ができない――。

それは体のことだけでなく、
「気づかぬうちに固まっていた自分」を
映す出来事だったのかもしれません。


脳科学的な観点でChatGPTに聞いたところ、
脳は使わない部分を「省エネ」のために弱めてしまうらしいです。
身体の関節も、心の感情も。

逆に少しでも動かすと、
「あ、これ必要なんだな」
と判断して、
また回路をつなぎ直してくれるそうです。


僕は、帰るまでの時間で、
ストレッチをやってみます。

きちんと正座して、
「気付かせてくれて有難うございます。」と、
先祖に報告するために。



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