『LOFT ロフト』は得体の知れない樂茶碗
前回まで書いてきましたのは、目の前をデーンと立ちふさぐ「分からないもの」があるよね、陰謀論やパラノイアは「それは◯◯だからだよ」なんつって不安の理由を教えてくれるよねって話。
ホラー映画ってのは人間の不安を描くんだから、当然この「分からないもの」のオンパレード。殺人鬼だって、オバケだって、人類史以前の超文明だって、全部「分からないもの」の怖さなワケです。
となると、これはもう来るべきパラノイアに備えるにはうってつけのジャンルってことになります。
中でも黒沢清監督の傑作ホラー、『LOFT ロフト』は超重要作品。
怖くないの向こう側の映画
よくあるホラーは「怖い」だけですけどね。
黒沢ホラーは「怖い」の先の「怖くない」の向こう側にある「怖い」映画。
なに言ってんだかよく分からんですよね。
つまりですよ、「分からない」の先の「分かる」を超えた向こう側の「分からない」映画ってことなんです。
「ことなんです」って書いてる僕も勢いで書いてるんでちょっとアレなんですけどね、とにかく僕が言いたいのは、黒沢作品を観た後って「この気持ち一体なんなの… 説明できる言葉が私の体内に一滴も無い。砂漠」ってなるじゃないですか。
あの何とも言いがたく、悪い予感だけするモヤモヤした雲みたいな雰囲気を説明したいと思うんですけどね、どうですかね、書き切れるか分かりませんが、とにかく書いてみますね。
不自然ではないが自然というには不自然な様子
他の黒沢作品もそうですが、この『LOFT ロフト』もレビューなんかを当たってみるとまあ散々な言われよう。
熱狂的なファンももちろん沢山いるけど、文句言ってる人がやたら多い。
「怖くない」
「失笑」
「理解不能なセリフ」
「退屈」
「意味が分からない」
なるほど。分かります。
確かにそうなんですよ。
僕もそう思います。
確かにさらっと観たらなんにも怖くないんですよ、この映画。
主人公の顔からカメラがゆっくりパンして、背後の部屋のスミのピンボケしたあたりに黒い女の影が立ってたって別に怖かないじゃないですか。そこに絃楽器の「ギュイ!」みたいなSEが鳴ったって別にいまさら怖かないですよ。
この映画の怖いとこは違うと思うんです。そこじゃないんです。
千年前のミイラが動くとか、目の周り真っ黒な安達祐実がこっち睨んでるとか、そういうとこじゃなくて。
なんていうのか、違和感があるんですよ。
なんか変なんです。
例えば、主人公の小説家が住む家の隣に不気味な研究室が建ってますでしょ。
おっかない雰囲気を出すために、雨だれとかカビのような黒ーいボカシ汚れが壁全体につけられてるわけですが、その汚し具合がなんかワザとらしいというか、ちょっと安っぽい、チャチな感じなんですね。
当然、黒沢監督の指示のもと美術担当が壁を塗って汚し処理をしてるわけです。
その美術担当が手を抜いているのか?
そうじゃないんです。
あるいは予算が足りないってことでもない。
おそらくあれワザとやってるんです。
ワザとチャチにしてる。
何でそんなことするのか?
分かんないんです。
普通に考えたら作品の雰囲気を毀損しますから。
NGですよね。
でもやるんです。なんでか理由は分かりません。
そこが怖い。
部屋の中の家具やイスやベッドなど、セットの造作もなんだか妙です。狭すぎたり、逆に広すぎたり、生活感がなかったり。
カメラがどこに移動しても、なんだか嘘くさいスカスカの背景。
俳優のセリフ回しや、演技だってそう。
どこかチグハグ。
田舎から出てきた小説家志望の女子大生さ。
ここを引き払って、それからどこ行ったのかは知らない。
まあ俺からしたらちょうどいい厄介払いができたってとこかな。
書かれた感のある固い言葉と自然な口語が入り混じるセリフを、西島秀俊が演じます。
棒読みです。
演技してるようには見えない。
演技してないようにも見えない。
機械が読んでるようでもあり、人間が機械のマネをしてるようにも思える。
でもなんの狙いで?
分からない。
登場人物たちはみな、とるべき手順をとらずに行動する。ほぼ初見の相手の家に勝手に入り込み、急に用件を話し出す。入られた方も特に驚いた様子を見せない。
「少しのあいだ預かってもらいたいものがあるんです」
「なにを…ですか」
「ミイラを。ほんの少しのあいだでいいんです」
「でも…」
「でも…」じゃねぇだろって話なんですが、ネコ預かるくらいの感じでミイラを預かります。
不自然さをみせず、かといって自然というには不自然な様子で、超自然的に映画は展開していきます。
自分のベッドの近くにミイラを寝かして、夜中に悪夢を見ては
「…はっ!」
とかいって目を覚まします。
そりゃそうだろ。逆によく寝れたな。
かと思えばいきなり動き出したミイラに飛びかかられて唇を奪われたりして
「動けるんだったら最初からそうしろ!」
なんつってキツく叱るとミイラの首がもげて床にボトンと落ちます。
どういった感情のセリフ?
いまなにを観てるの?
なんというか強制的にインフルエンザ・ウィルスを注射されたかのような39.8度感。
つげ義春が映画撮ってるみたいな感じ?
瞑想とチャンス・オペレーションで撮ってる感じ?
首がもげたミイラを「最初からこうすれば良かったのね…」とか呟きながらゴミを燃やす焼却炉で燃やしちゃいます。
え? いいのそこで燃やしちゃって?
もう全部ぜんぶ分かんないんです。
最初っから最後まで。なにが狙いなのか。なにをヨスガに撮ってるのか。なにを感じて欲しいのか。もうとにかく怖いんです。
わたしもう怖い。

偶然性の音楽(チャンス・オペレーション含む)の創始者
樂茶碗 と『LOFT ロフト』
この映画なんなんだろうと考えてみると、なんか茶碗っぽいなあと思うのです。
樂茶碗、あるでしょ、利休が樂長次郎に作らせたっていう、わび茶っていうの?その茶碗。
こう、モリモリっとした、ゴロッとした感じの。

樂家の先代、15代目吉左衛門こと樂直入さんの展示がこないだ福井県立美術館でありましてね、これがまあ素晴らしくって僕2回観に行ったんですよ。その樂茶碗がね、おおこれはまさに『LOFT ロフト』だって思うんですよ。
樂茶碗って
作為的に無作為を作り出す
って言いますでしょ。
パッと見ると岩石とか鉱石に見えるんですよね。
石は当然自然のものだから無作為。
無作為の内部に、美しいものを観る側が見出して愛でるのが石。
この無作為の美しさを作為的に創り出そうっていうのが樂茶碗なのかなと思うのです。
人間が作る茶碗には当然作為があります。作為から離れることは絶対にできません。
作為から離れられないことを前提に、どれだけ無作為に近づけるか。あるいは無作為を超える作為を作り出せるか。
この作為と無作為の中間部分をめぐる格闘が樂茶碗、そして『LOFT ロフト』って映画なんだろうと。
こう思うわけです。
だっておかしいじゃないですか。
自分に飛びかかってキッスしてきた千年前のミイラに向かって「動けるんだったら最初からそうしろ!」っていうのは、理屈で考えたら絶対に出てこないセリフですよ。
作為的には出てこない、どこか夢とか無意識とかって領域から出てきたんじゃないかって感じるセリフです。
念のためこの箇所、セリフを一連で抜いてみますね。
キッスしてきたミイラの手を振りほどいて、向かいの椅子に逆にミイラを押し倒し、研究者役の豊川悦司が強くうめくようにこう言います。
みんなお前のせいだぞ
お前の運命に俺を巻き込むな
俺の問題は俺自身が解決する
だからお前も、自分の運命は自分で決めろ
動けるんだったら最初からそうしろ!
悲恋で命を落としたのか、成就できなかった執念をもって自分の死体を発見してくれた豊川を呪ってしまうミイラ。
ちょっとそれは勘弁してくれ、という豊川。
分かりますよそれは。その流れ自体は。
だけど目の前30㎝くらいのとこにいるミイラに「自分の運命は自分で決めろ」ってなんか変でしょやっぱり。
だってまじミイラなんですよ。
見た目ボソボソだし。両目もないし。首だってもげちゃうし。
映画って当然作為的なもんですよ。
だけど、さあ映画を作ろうと思ってこんなセリフは書けるもんじゃないと思うんです。理屈じゃない、自分の意識の下にあって見えないもの、水の底の泥の下に隠れてる無作為によって話を書いてるような気がするんです。
作為の奥底にある無作為を、作為的にコントロールして無作為っぽい作為を作る。
なんなのそれ、怖い。
そんな得体の知れないもの観せないで!ってなります。
「分からないもの」を楽しむ
そう考えるとちょっとデヴィッド・リンチ監督の世界観とも似てますよね。
あの方は映画制作に瞑想を取り入れてて、瞑想中に浮かんだビジョンとかセリフとかストーリーを自分の映画に投入して作っていくスタイル。
そういう作り方の人に「なんでこんなシーンを撮ったの?」って聞いてもあんまり意味はないでしょう。
『LOFT ロフト』もそう。
「意味が分からない」って言ったらそれまでなんです。
作為にも寄らず、無作為にも寄らず、その中間にあるなんだか言葉にできない「分からないもの」を楽しむための映画なんです。
楽しむためのコントロールはきちんとされています。
そのコントロールぶりが几帳面というか、すごく真面目な監督なんではなかろうかと思います。
まあ、そこがまた怖いわけですが。
さて来週は「分からないものが眼前にそびえ立つ時、どんな行動をとるべきか」
典型的なパターンを超名作SF2作で紹介してみようと思います。
来週もまたよろしくお願いします。
〈終〉
黒沢監督の永遠のミューズ
西島秀俊・出演メモ
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