『インヒアレント・ヴァイス』はパラノイアな諸行無常
前回まで、根拠・存在の不明な「敵」に対するパラノイア、それも自・他に害を及ぼすものに飲み込まれちゃうのは、僕ちょっとイヤだなあって話を書いておりました。
アメリカ・イスラエルのイラン攻撃が始まり、毎日々々「信じられない酷さ」の最高到達点を更新していきますよね。今まで見聞きしてきた多くの戦争の中でも群を抜いて犯罪性が高く、理不尽であり不条理。およそ現実からかけ離れた戦いに思えます。
Twitter(現X)とかみてます?
僕のタイムラインはもう実際の現地映像に大量のAI製フェイク動画が混ざり込んでいる状態で、まさに混沌というか。
一昔前の生成AIと違って、何処かの報道機関の取材フッテージとしか思えない映像。なにがホントでなにが嘘なのか、パッと見さっぱり区別がつかない。SNSだけ見てる分にはいよいよ狂気じみてますよね。
コーマック・マッカーシー的に言うならもうNo Country for Old Menだぜってことになりますが、「だぜ」ったってそこでエンドマークは点かず日々世界は狂っていくわけで、ただただ無力。
せめて自分と身近な人たちの心と身体のヘルシーさに気を配るくらいしか、やれることがないのです。
そのためには、理解に苦しむような、さっぱり分からんものが目の前に出てきた時、手近な答えっぽいものに飛び込んじゃうのは避けるべき。
大事なのはその「分からんもの」をジーッと見続けて受け止められるかどうか。そこに掛かってる。
これには訓練が必要だと思います。不断の訓練。
ゴールはありません。不断です。
イヤですよね訓練。分かります。
僕も断然イヤです。ツラそうだし面倒。
でもまあ、映画観るくらいならまだマシですかね。
先週までご紹介してきた『ロスト・ハイウェイ』でもいい。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でも、『羅生門』でもいい。
これらをジーッと観て、来るべきパラノイアに身構えるわけです。
というワケで、今週から数回に渡りパラノイア訓練用の映画をご紹介してみたいと思います。
ポイントは
「分からんものの受け止め方」
今回はパラノイア映画の教科書
『インヒアレント・ヴァイス』
これ2014年の映画だけど今後もずっと人類遺産的に保存し続けたほうがよい作品かと思うので、お好きな方はBlu-rayなどソフトを入手して繰り返し観るのがおススメですよ。
何ひとつ解決しない映画
まずドラッグまみれすぎて笑っちゃいますよね。
およそ想像つく限りのあらゆるドラッグが登場し続け、主役は常にグニャングニャンで記憶が飛びまくってるってのが映画全体を通貫してる大事なポイントです。
主人公は私立探偵のドック。
ふらりと現れた元カノのシャスタ。彼女の現恋人である大富豪が失踪してしまったので探してほしい、というのが物語の発端。
シャスタに未練があるわけじゃないけど、それでも大事な存在ではあるんだよねって事でドックは調査を始めます。
しかし、最初に言ってしまうと
問題は何ひとつ解決しません。
大富豪失踪事件を皮切りに、陰謀に満ちた組織や怪しい人物が次から次へと登場。不穏な気持ちを掻き立てるキーワードがたくさん出てきます。
それぞれがつながっていき、いかにも胡散くさい企みがあるような気がしてきますが、何もかも正体はハッキリしません。
話は横方向にどんどん広がっていきますが、前には全く進みません。進まないまま、枝葉の先はボヤボヤ〜ンとなって消えていきます。
だから鑑賞中に、「何言ってんのか良く分かんねえな」と思っても心配する事はありません。
分かんないように出来てる
だけなので。
オープニングでCANのダモ鈴木が「あんたビタミンCが足りてないぜ」と歌ったかと思えば、ヘロインをやり過ぎたという女はカルシウムを失って歯が抜けたという。
「黄金の牙に気をつけて」
風俗店のアジア人女性がドックにささやく。
「黄金の牙」とは ”なにかを運ぶ大きな船”
あるいはインドシナのヘロイン・カルテルの名だという。失踪した大富豪が幽閉されてる精神病院は「クリスキロドン」
意味はギリシャ語で「金色に輝く牙」。
シャスタも突然すがたを消し、ドックと彼女との幸福な過去の思い出の地に現在そびえ立つのは「黄金の牙」本部ビル。テナントに入っているのはコカイン・マニアのヤブ歯医者オフィス。
その病室には “大きな船” の模型。
そしてカルシウム不足の歯抜け患者がぎっしり。
やがてヤブ歯医者は変死。
その首には野犬の”牙”のような咬み傷。
殺しの嫌疑はドックにかけられFBIが動き出す。
失踪した大富豪が仕組んでいたカジノ建設計画には、FBIを管轄するアメリカ司法省までもが関わっていたらしい。
どんどこ謎は広がっていきます。
アレとアレがつながりそう。陰謀めいてる。
なにかのヒントかな。
でもドラッグやり過ぎなだけかも。
記憶が壊れて、思い出そうとするたびにアレとコレが間違ってつながり、過去と想像の未来が現在にオーバーラップしてしまう。
誰かのTシャツにプリントされたありふれたキャッチコピーにCIAからのメッセージを読み取ってしまっているのか。それとも実際におれの鼓膜が恐ろしいメッセージに震えているのか。
全部ぜんぶ妄想?なのかも?しれません。
ドックの天敵であり、共に大富豪の失踪事件を追うことになるLA市警警部のビッグフットがこんなことを言います。
”黄金”は何も痕跡を残さないのさ
科学的に不活性だからな
なんとなく何か言ってる風だけど内容がない。
だからなんなんだっつう感じ。
やたら暴力的なビッグフットが醸し出すホモセクシュアルなムードも気になります。
ドックは匂い立つそのムードにしかめっ面。
でもだからってなんなんだ?
何にもどこにも行き着きません。
泣くか笑うか幻覚か
謎と陰謀の海に溺れそうになりながら、ドックは自分の大事な人が無事でいられることだけを考えます。
あらゆる事象はモヤモヤしたままだけど、シャスタも何となく無事に戻ってきたし、彼女を取り巻く陰謀のカゲもほんのすこし薄まったのかも。じゃあだからといってドックと仲良くヨリを戻すのかといえばおそらくそんな事もなく、まぁそれでも笑顔を見せれば笑顔が戻ってくるんだから、それはそれで悪くはないんじゃないの。
そんな雰囲気で映画は終わっていきます。
「スカッと痛快」
「スッキリ解決」
「悪を成敗!」
みたいな昨今のお話に慣れてると
この映画はホントに変。
謎は謎のまま。シャスタとの仲もきっとこの先離れて別れていくんでしょう。
天敵でありブロマンス的相棒でもあるビッグフットとも、泣いていいんだか笑っていいんだか幻覚なんだかさっぱり分かんない別れが待ってます。
ハッピーエンドっぽくはないんだけど、それでいてなんか幸せな気持ちになるエンディング。
そして、とてもとても寂しい。
終盤にはこのすごく不思議な物語を要約するかのような、こんなナレーションも入ります。
時の流れは避けられない。
希望に満ちた年月は消え、取り戻せない。
幸せを約束された土地は邪悪な人々によって奪われてしまい、未来永劫にわたり解放されることはない
何も分からないまま過ぎていく毎日
なんでもインヒアレント・ヴァイスってのは保険用語だそうで「固有の瑕疵」なんて訳されるんだとか。
分かりにくいですね。
言い換えるなら「モノ自体に元々の性質として備わってる欠陥」。
あるいは「避けようのない危険」とか。
卵は割れる。チョコレートは溶ける。
ガラスは砕ける
欠陥とか危険って聞くとものものしいですが、この言葉自体は何の不思議なこともない。
だって万物すべていつかは壊れますからね。
僕もあなたもいつか壊れます。すべては変化し続けていて、元の場所にずっと居続けることなんて出来ません。
つまりは諸行無常。
ジョージ・ハリスン的に言うならAll Things Must Passです。
朝日はずっと続かない
一晩中黄昏なんてことはない
こんな憂鬱もそう続くものじゃない
結局、僕の愛もいつかは終わるし
人生を紡ぐ糸もずっとは続かない
過ぎ去っていく
何もかも過ぎ去っていく
すべてが過ぎ去っていく毎日のなかで僕らがよく理解できることなんてほんのわずかです。
世の中で起きている戦争、陰謀、歴史、素晴らしい発見、理り、その他もろもろのほんの0.1%すら知ることのないまま、僕らの37兆個の細胞は耐用期間を終えて崩壊していくのでしょう。
『インヒアレント・ヴァイス』は変な映画かもしれませんが、それは我々をとりまく世界が変ってことと同じなのかもしれません。
ドックはその変な世界の暗闇をほんのほんのちょびっとだけ懐中電灯で照らして、明かりが届く部分だけでどうにかやり繰りして日々を生きてますが、僕らだって同じです。
陰謀論とパラノイアは世界の理解不能さにかりそめの光を強烈に当ててくれるわけですが、自他の生活に危害を与えるくらいなら暗えなあ、ああ暗え…とボヤきながら懐中電灯でやり繰りする方がマシなのかもしれません。
だけどそれはモヤモヤする時間がひたすら続くってことでもあり、とても地味で細々としたものなんでしょう。
劇中、ドックのハンパなく汚ない足の裏が何度か映るじゃないですか。あんな感じ。あれに象徴されるような格好のつかなさで生きてくってことなんでしょう。
それにしてもですよ、「黄金の牙」がどんな組織なのかはついに分からずじまいだけど、なんならあっち側にどっぷり浸かってしまうのも悪くないよなーって考えたりしませんか?
『羅生門』の回で紹介した「宇宙人による誘拐」もそうだけど、陰謀論ってその昔はもっと牧歌的だったでしょ。
惑星ニビルがどうとか300人委員会がどうとか。
主張してる人たちも素朴というか半笑いというか害が無いというか。いや実際の誘拐の体験者からしたら深刻な悩みとは思うんですが、自分や他人に与える危害がいま主流の陰謀論とはレベルが違うというかね。
もっと呑気でしたよね。のほほんと。
そういった素朴な陰謀論であれば、呑まれてみるのも悪くないなあとも思うんですけどね。
さて、来週は黒沢清監督作品、例のあの傑作を観てパラノイアに備えていきたいと思います。
次回もどうぞよろしくお願いします。
〈終〉
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