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『羅生門』と福井県知事とパラノイア ②

ここ数回にわたって、福井県知事:石田たかと氏による知事選中の以下の発言を映画で解説してきましたが、今回が最終回。

私は移民政策には反対です。

理由は、まず日本は単一民族国家です。
次に、私たちだけですべきことがまだあります。
最後に、国家の安全保障が大事だからです。今ヨーロッパでは大変なことになってます。もともと多民族国家でも、移民は大きな問題になってます。多文化共生は大事。でも日本人を守ることが第一です。私は移民政策には反対です。

県知事選投票前の動画/公式Xより
(現在は削除済み)


2026/3/12、石田新知事から「言葉足らずで説明不足だった」として一連の発言に対しての謝罪がありました。


取り扱う映画はコチラ

映画『ロスト・ハイウェイ』
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
『羅生門』

前回までは

起きてしまった問題の原因も理由も完全に説明不能な、いわゆる「羅生門の穴」があるって話を書きました。

「いわゆる」かどうかは知りませんが。僕が言ってるだけなんで。

その「羅生門の穴」に落ち込んでしまった人々の、説明不能な苦痛に陰謀論とパラノイアは答えてくれる。

しかしそこに票田を見出した政治家たちの多くが陰謀論とパラノイアを利用するようにもなってきました。

冒頭にあげた福井県知事、石田さんの発言なんて見事にその典型ですよね。


今回は、その石田知事いうところの「移民反対」と「エイリアンによる誘拐」って同じだよねって話。そしてそれは確かに救済ではあるんだよね、見せかけではあるんだけどって話。

さらには、陰謀とパラノイアに陥らないためには「分からない」を見つめる以外ないかもねって話なんかを書いていこうと思います。




宇宙人による誘拐に気がついた人々


「宇宙人に誘拐された、そして人体実験された」ことをエイリアン・アブダクション、その誘拐された者をアブダクティと言います。

バカ言ってんじゃねえって人もおられるでしょうが、当事者にとっては深刻かつ真剣な悩みです。

ハーバード大の心理学者、スーザン・クランシーによる名著『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』には、誘拐体験に気がついた・・・・・当事者たちの生々しい肉声が記録されています。

自分は人と違ってるのは分かってましたが、それがなぜだか分かりませんでした。世の中のことがわたしのそばを通り過ぎて行くのを黙って見てるしかないような感じでした。いまは自分が人とは違う事が理解できました。これですべて辻褄が合います


「わたしは触られるのが嫌でした。優しくて紳士的な夫にさえもです。でもこれでエイリアンがわたしにした事のせいだと分かりました。わたしは子供の頃から性的な実験をされていたんです」

わたしの人生には何かが欠けていた。人生の全てが意味がないように思えて虚しかった。だから他の事で満たそうとしていたのよ。いまは記憶が回復したので何故だったか分かるわ。全ての事が前よりずっと納得できるの」

スーザン・A. クランシー :著/林 雅代:訳
「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(早川書房)より


証言した人たちがみな同じように抱える

「この世界に生きていることの違和感」

良く分かります。

口径も形も違うネジを一生懸命まわしてるような感じ。頑張ってはいるんだけどいっこうに噛み合わない感じ。
理由は分かりません。聞いても誰も教えてくれない、答えてくれない。違和感と疎外感の苦しみだけがつのります。

いわゆる「羅生門の穴」です。

映画『羅生門』のラストで志村喬扮する木こりが、捨てられてた赤子を引き取るじゃないですか。

黒澤明作品には欠かせない名優 志村喬(右)

「子を6人育てるも7人も育てるも同じ苦労だ」

良いセリフですよね。

そしたらさ、羅生門にずっと降り注いでいた陰鬱な雨が止んでさ、きらきら光る日差しの中を赤子を抱いた木こりが歩いていくじゃないですか。
解決!希望!大団円!って感じしますよね。

でも根本の問題は何にも解決してない
なんのネジ穴も合ってない。

事件の真相はなんだったのか。
4人のうち誰がウソなのか。ぜんぶウソなのか。誰もウソついてないのか。
何ひとつ分からないままです。

『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』にはこのような一節があります。

何故わたしは不幸なのか?という問いに科学は答えてくれない。

占星術や魔女術、シャーマニズムなどの疑似科学は “ 不幸の説明と、どうしたらいいか分からない状況を正常に戻す方法 ” を教えてくれる。

スーザン・A. クランシー :著/林 雅代:訳「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(早川書房)より

「分からない状況を正常に戻す方法を教えてくれる」

確かにその通りです。

「宇宙人による誘拐」は、人々がいま抱えている “ 理由も原因も不明で混沌とした人生の苦痛 ” を和らげてくれます。
根本的な解決はされないにしても、少なくとも「苦痛の理由」を教えてくれます。

それはきっと、なんの解決もされないよりはマシなんです。

おそらく、正しいか間違ってるかはアブダクティにとってどうでもいいことなのだろう。
ただそう信じていれば、気分が良くなるのだ。気分が良くなるのは、気分が悪くなるよりずっと良い。

科学が救えない人の心の渇望、無力感、疎外感をすくい上げるのがエイリアン。

それは宗教と同じものなのだ。

スーザン・A. クランシー :著/林 雅代:訳「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(早川書房)より


だからみんな宇宙人に誘拐されるし、移民に反対する。

仮に参政党や石田たかと福井県知事が「地球人ファースト」「宇宙人は地球から出て行け」と主張して選挙を戦うのであれば、それはそれで現状よりはマシかもしれない。

以前書いた、福井のえち鉄車内にいた独り言おじさんが「宇宙人ばっかだ、宇宙人は出てけよ!」って怒鳴ってる分には、それはそれでまた別の緊張感が走るかもしれませんが、実害はないでしょう。

陰謀論、パラノイアが「羅生門の穴」の苦痛を和らげるって事実は確かにあるわけです。

ただ問題は、宇宙人に出会うことはまずないが、外国人はすぐ隣のあちらこちらに、既に住んでいるってこと。

つまり害がある。
つまり、パラノイアも種類によっては有害性の高いものがある。

根拠不明な敵意を隣人に向ければ、向けられた敵意からまた別の被害妄想がが、こんどは隣人側に産まれていくでしょう。
そしてそれは次々と連鎖していくでしょう。
「羅生門の穴」はどんどん巨大に拡がっていき、隣人同士は互いを憎悪し合うことになっていきます。そしてその原因は虚無。真っ黒な穴だけ。


「分からない」をじっと見つめる


しかし別の道もあります。
理由不明な混沌の苦痛を和らげるもう一つの方法。

例えばあの、ゴータマっていうんですか?
仏教の開祖の?ブッダ的な?
あの人が自分の死期を感じて言ったとかどうとか、その言葉がすごく良いなぁと常々思ってるんですけどね

「アーナンダ、お腹が痛いよ」

なんつって苦しみを吐露したと。
アーナンダはゴータマの一番弟子ですね。

この言葉なにが良いって、結局苦しいってことなんですよ。

「悟り」なんつってブッダ感だしてますけどやっぱり苦しいんです。痛いんです。克服も超越もできないんです。

これにすごく安心するんです。

だよねだよねゴータマ、
俺も一緒だよって思うんです。

仏教も最初期は、自分の暮らす世界に違和感を持つ人たちによる互助会的ヨガサークルだった、とも聞きます。

ゴータマ自身も周囲の世界に四苦八苦の違和感を持ってたらしい。その違和感の苦しみを和らげるため、ただただ瞑想し続けたわけです。

ぼく本で読んだから知ってるんですけど、瞑想ってあれなんですよね、問題を解決するためのもんじゃないんですよね。

例えば瞑想してて「顔が痒いな」ってなって、問題解決のために顔を掻いては瞑想にならんわけです。

「今ぼくは顔が痒いと感じているのだな」

って「痒み」をじっと見つめる。ひたすら。
これが瞑想だっていうんですね。

苦しいのであれば、「ああ苦しいな」「これが苦しいってことなんだな」って見つめるだけ。

原因である苦痛そのものが無くなるわけじゃありません。

なにかの答えを得たり、超越的存在になったり、ゴールにたどり着くのが目的じゃないんです。

見つめることで、その存在を認めることで苦痛が少しでも和らぐことを目指しているわけです。

「宇宙人による誘拐」は苦痛に解釈と答えを与えます。
ゴータマのやり方とは異なる方法ではありますが、

根本は解決しないが何かしら和らぐ

って点では同じですよね。

そう考えると『羅生門』は明らかにゴータマ路線に救いを見出してる映画です。

真実や解釈を提示するわけでもなく、巨大な「分からない」がただゴロンと転がってるだけ。それを見つめるだけっていう。

映画冒頭の木こりのセリフが全てを表しています。

「分かんねェ、さっぱり分かんねェ」


我々に出来ることは「分からない」をじっと観察するだけです。
結果たとえ苦しいままだとしても、その苦しさの姿形を認識するだけでずいぶんと気持ちは変わってくるんだと思うんです。

ましてや、他人や自分の人生を傷つける安っぽい理由や解釈や、被害妄想に絡めとられるよりマシでしょう。

志村喬、黒澤明、三船敏郎(1953年)


なにも「瞑想しましょう」っておすすめしてるワケじゃないんです。

手近な答えや解釈にすぐ飛び込まない方が良い

ってことです。

案外ここらへんが、今のパラノイアあふれる世界から脱け出すコツなのかなって気もしているのです。


余談ではありますが


そういう意味では『羅生門』に強い影響を受けたというリドリー・スコット監督の映画『最後の決闘裁判』なんかはちょっと邪道ですよね。リメイクとして考えたらね。

解答編とも思われる女性視点を、「これが真実だ」と思いっきり提示してきますからね。

なので、あれはリメイクではなく『羅生門』に着想を得た別のテーマの作品なんだと思います。

つまり女性への性加害の構造を、男性側と女性側から解き明かしていくという。
いつの世も変わらないクソみたいなメカニズムを、シャープに端的にリッチに映像化した名作だと思います。

24年ぶり共同脚本のマット・デイモン/ベン・アフレックも、もちろん黒澤好きっ子。




さて、AI生成物も世に溢れまくっていよいよ迎える大パラノイア時代。

大事なのは自分や他人の生活を傷つけないこと

ということで次週からは、そのために必要な映画を何本かご紹介しましょう。
陰謀と被害妄想に満ち満ちたパラノイア映画をたくさん観て、この不穏な時代を生き抜いていきましょう。

生き抜けますかね。
生き抜けるとよいのですが。

来週もまたよろしくお願い致します。

<終>



以下、誰もが知る名作からレア作まで
お好きな人向けアブダクション映画メモ


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