『羅生門』と福井県知事とパラノイア ①
ここ数回にわたって、福井県の新たな県知事:石田たかと氏の発言の背景にあるものを映画で解説しております。
私は移民政策には反対です。
理由は、まず日本は単一民族国家です。
次に、私たちだけですべきことがまだあります。
最後に、国家の安全保障が大事だからです。今ヨーロッパでは大変なことになってます。もともと多民族国家でも、移民は大きな問題になってます。多文化共生は大事。でも日本人を守ることが第一です。私は移民政策には反対です。
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前回までは
直視しなきゃならん問題から目をそらして、「誰だかハッキリしない相手」を敵視してパラノイアに傾いていくという症状。
それってなんか『ロスト・ハイウェイ』的だし、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の主人公プレインビューっぽいよねって話をしてきました。
今回は根拠のボンヤリとした不信・不安の穴に落ち込んでしまった人々の苦境を、いかにして陰謀論やパラノイアが掬い上げていくか。
その様子を黒澤明監督の名作『羅生門』で観てみましょう。
石田知事によるエアポケット
福井県民が選んだ新知事、石田氏は「移民反対」を主張のひとつに掲げて当選しました。しかし、県知事就任後は「移民」に対しての具体的な政策が有るとも無いとも言いません。
「移民」という言葉が指すのは、どのカテゴリの外国人なのかも言わない。「すべてだ」と。
これっていま現在、外国人との間にトラブルを抱えている県民の悩みや不安も無視する結果になってると思うんですよね。
2025年の数字だと福井県における外国人の比率は2.84%。
決して高い数字じゃない。
ただ越前市とか、局所的には7%を超えて8%近い自治体もあったりして、そうなりゃ当然に住民同士の軋轢だってあるわけです。
こちらにとっての”良いマナー”があちらにとってはすごく”悪いマナー”なんてことは良くありますでしょ。
「移民反対」という四文字にそのままストレートで賛成じゃないけど「自分のいま抱えている問題を解決してくれるかも」って期待して投票した人だっていたわけでしょきっと。
エアポケットにストンと落とされたようなもんですよね、その人たちからしたら。
有るでもない、無いでもない、曖昧なまま。
不安や不信は救われないまま。
羅生門状態で穴に落ちる
黒澤監督の『羅生門』って原作の「藪の中」と合わせてずっと流行ってるじゃないですか。何かっちゃあ引き合いに出されるし、名作として燦然と輝いて、いつまで経っても再評価され続けてます。
名作たる理由はいろいろあるんでしょうけど、ひとつ大きいのは、誰しも一度はこの『羅生門』状態を経験してたり、見聞きしてるってことなんじゃないかと思うんですよね。
思い当たる節があるんです、多くの人が。
嘘と妄想と猜疑心が網の目のように行き交って、ちょうど真ん中に空いた黒い穴。そこにぽこっとハマってしまう。
穴に落ちた人は周りが見えなくなり、落ちずにすんだ周囲のみんなはちょっとずつ優越感と罪悪感を持って、穴がウヤムヤになってぼんやり見えなくなっていくのをぼーっと眺めている。
ウヤムヤになったことが、遠足に持って行ったオヤツとか母さんから預かった千円とかだったらまだ許容範囲だけど、生き死にに関わること、生活を毀損すること、アイデンティティに関わることなんかの場合は深刻ですよね。
ご存知のとおり『羅生門』の場合、武士とその妻が盗賊に襲われて、武士ひとりが命を落とす、そんな事件の顛末をめぐり3人の証言が行き違います。
盗賊の証言———
武士の眼前でその妻を手ごめにした。
すると女が「わたしと連れ添いたいなら夫と決闘してくれ」と懇願しきたので男らしく戦い、武士を殺した。その間に女は逃げていなくなっていた。
妻の証言———
手ごめにされた自分を蔑む視線を夫の目に感じ、思わず逆上して夫を刺殺した。
その後自死を図るも死に切れず、寺に身を寄せた。
武士の証言———
(武士の死霊を憑依させた巫女による)
手ごめにされた妻はあろうことか盗賊に「夫を殺し私を連れて逃げてくれ」と頼んだ。
盗賊は妻のその態度に怒る。
そしてその場を去り、妻も逃げ去ってしまった。
絶望したのでその場にあった短刀で胸を突き自死した。
え?なんで?と観客は混乱するわけです。
平安末期、荒廃していく世の中にあって、人の心がどんどん信じられなくなっていく…っていうのが舞台設定ですしね。
みんなが利己的なウソをついて真実が藪の中に失われていく話だろうって想像してますからね。
なんで自分が殺したって言うんだろう?
誰かをかばってる?
あるいはもっと重大な何かを隠すために
殺人の罪を背負おうとしている?
3人それぞれに齟齬のない理由をあれやこれや考えたり、「この人の証言が正しい。ほかはウソをついてる」とか推理することも出来るでしょう。
しかし、この『羅生門』という映画においては
「何故なのかは分からない」が答え
なんだと思います。
「分からない」が答えってスゴイですよね。
そんな映画普通怖くて作れませんよ。

映画の最後に志村喬扮する木こりの証言が出てきますでしょ。
「ああこの木こりの話が解答編で、真実なんだな」って思いますでしょ。
ちょっと映画見慣れてる人なら間違いなくそう思うに決まってる。
ところがこの木こりの証言もウソっぽい。
事件後に、武士の短刀を盗んで金に換えてるっぽい。しかも、困ったことにウソついてる証拠もない。
あくまでウソっぽいってだけ。
怪しいってだけ。
志村喬がオドオドしてるだけ、なんです。
4人全員の証言がウソともウソじゃないとも言い切れず、実際に何が起こったのかあいまいでボンヤリしたまま映画は終わります。
観客はエアポケットにストンと落ちてしまい、何が本当なのか分からないまま、そこから救ってくれる人は誰もいません。

「羅生門の穴」から被害妄想が
はっきりしていることもあります。
4人全員うしろめたい事があるんです。
盗賊は、女を手ごめにしてる。
武士は、眼前で乱暴される妻を救えなかった。
妻は、「夫でなく別の男でも良いか」なんて気持ちがよぎった。
木こりは(おそらく)武士の短刀を盗んだ。
ここに疑念が生まれます。
不信や不安が生まれます。
そこにすっと入り込んでくるんです。
憶測や妄想や陰謀論、パラノイアが。
「きっと夫婦の狂言自殺だった」とか。
「狂気の女から逃げるために盗賊は自首した」
「実は、木こりと女は通じていたのだ」とか。
これって状況が異なるだけで「政府を操作する裏の政府が存在するのだ」とか、「シオン長老議定書に沿ってユダヤの世界征服計画が進んでいるのだ」とか、「いま日本中にモスクがばんばん建っててムスリムが爆増中!」なんて言説と同じ構造なんです。

説明不能で不信で不安な「羅生門の穴」があり、
根拠はないが怪しい気持ちを掻き立てる事象があり、そこから被害妄想が黒々と浸み広がっていきます。
前回書いた、福井のえち鉄車内で「外人ばっかだ、外人追い出せ」と独り言つおじさんと同じです。
「なぜ私は羅生門の穴にいなきゃならんのだ」っていう理由の分からぬ苦しみに、陰謀論やパラノイアはもっともらしい解釈を与えてくれるんです。
「それは◯◯だからだよ」と答えをくれる
逆をいうなら、陰謀論とパラノイアしか答えてくれなかったんです。これまでは。
そこに票田を見出し、スッと入り込んできたのが参政党の「日本人ファースト」であり、「移民反対」であり、石田新知事。
ひいては「秩序ある共生社会」を掲げる現政権に代表される多くの政治家たちです。
不安渦巻くおじさんの心はずっと救われない。
おじさんは今もどこかで外国人への呪詛を叫んでいるでしょう。根拠不明な「敵」との無限に続く虚無の戦い。底なし沼。
「終わった」とつぶやくプレインビューのように、一人きりのおじさんの背中は荒涼としています。
これはどうにもやり切れんなと思うのです。
<続>
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