ただいま、しらたま ② 「陰キャかよ」
涼風つくね、少々口は悪いが、情に厚くて、ちょっぴり不器用な、27歳。
半年前にクソみたいな元彼ときっぱり縁を切った。
別れてしばらくは、元彼がいつまた目の前に現れるか不安な日々を送っていた。
でも、大親友の菜奈とたくさんの友達が、つくねをあちこちに連れ出してくれて、楽しく遊び、美味しいものを食べているうちに、心は落ち着いていった。
そして、家に帰れば、しらたまが待っていてくれる。 膝に乗ってくるその温もりが、何よりも安心を与えてくれた。
元彼は、あれっきり姿を見せることはなく、今は、失われた2年という長い時間と、何よりも自分自身を取り戻すために、仕事にも遊びにも全力投球している。
もう、あの理不尽な専務の言いなりになることもない。
毎日が楽しくて、笑い転げたり、怒りまくったり、そんな感情の波が心地よくて、新鮮で充実した日々を送っている。
昨日の誕生日は、彼氏なんていなくても全然平気だった。菜奈が友達を集めて、パーティーを開いてくれたし。食べて、飲んで、歌って、騒いで、くたくたになるまで楽しんだ。
きっと、幸せってこういうことなんだろうな。
むしろ、元彼と2人きりで息が詰まりそうだった誕生日より百万倍楽しかった。
だいたい、彼氏がくれた誕生プレゼントが、パチンコの景品のチョコレートだったなんて信じられる!?
「ほんっと、あのクソ野郎と別れて正解だったわ!…ねえ、しらたま。」
思わず、心の声が言葉になってしまい、つくねは、照れ隠しにしらたまへ話しかけた。
つくねの膝の上で丸くなっていたしらたまは、ちらりと彼女を見上げて「にゃあ」と応えた。
しらたまは、アメリカンショートヘアの白猫だ。右目が淡いブルー、左目が金色に近い黄色のオッドアイで、猫好きならその珍しさにすぐ気づくだろう。
極端に人見知りな猫だが、つくねにだけは不思議なくらい心を許している。半年前まではとても臆病な猫だった。だが、つくねの元彼との大立ち回り以来、どこか威厳さえ漂うような風格が備わってきた。
『最近のつくねちゃんは、いつも笑顔だから嬉しいな。やっぱり、笑顔がいちばんよく似合う。
あの男といた頃は、全然楽しそうじゃなかったもん。あいつのせいで泣いているつくねちゃんを見るのは、ほんとに辛かった。
たまに会社のグチを延々と聞かされることもあるけど、それでも、こっちの方が百万倍マシだ。
幸せってこういうことをいうんだろうな』
*
それは、満月が夜空をやけに眩しく照らしていた夜のことだった。
いつものように、つくねとしらたまがじゃれあっていると、菜奈から電話がかかってきた。
彼女は、あいさつもそこそこに、いきなり叫んだ。
「やっほー、つくね!明後日、合コンやるよ!いっつしょーたいむ!じゃあね!」
菜奈はかなり酔っぱらっているようで、用件だけ告げると、つくねの返事も聞かずにさっさと電話を切ってしまった。
「なんだかなあ…もう。相変わらずだな。」
彼氏を作るための合コンなんて、つくねには必要なかった。
つくねは、まだ誰かとつきあう気持ちにはまったくなれなかった。いや、むしろ、まっぴらごめんだった。
あんな苦しくてつらい思いは、もう二度としたくない。
恋人なんて、いらない。恋愛なんて、全然楽しくない。
友達と遊んでいるほうが、ずっと気楽で楽しい。
菜奈だって、わかっているはずなのに。
あの男に刻み込まれたトラウマは、思っていた以上に深刻だった。別れて半年が過ぎても、癒える気配さえなかった。
翌日、つくねは菜奈に断りの電話をかけた。
ところが、逆に菜奈のほうが泣きついてきた。
「ほら、前につくねに話していた片思いの拓斗くん、覚えているでしょ?彼との飲み会をやっとセッティングすることができたの。3対3の合コンなんだけど…正直、私、心細くて。緊張して、うまく笑える自信がないの。でも、つくねがそばにいてくれるとすっごく安心できるの。普段通りに話せる気がするの。つくねは、ただそこにいてくれるだけでいいから。私を助けると思って!なんとか!お願い!」
姉御肌の菜奈がこんなに弱気になるなんて、滅多にない。今回は本気なのだろう。つくねには、菜奈に大きな借りもある。
あまりに必死なお願いに、つくねは思わず苦笑いしながら、「うん」とうなずいてしまった。
こうして、つくねは柊(しゅう)と出会うことになる。
まるで気乗りしないまま当日を迎えたつくねは、服選びにも当然ながらやる気ゼロだった。コンビニにでも行くような、ダメージジーンズに白いTシャツという、合コンを完全にナメた格好だった。
けれど、そのラフなスタイルは、長身でボブヘアのつくねに不思議なくらいよく似合っていて、むしろ彼女の美しさを際立たせていた。
そして、小ぶりのピアスをつけて、黒のハイヒールを履けば、準備は完了だ。
元彼と決別したあの日以来、ハイヒールはつくねの戦闘服となった。自由の象徴であり、自分は自分だと感じさせてくれる戦友だ。
「しらたま、菜奈への恩返しにいってくるね。なるべく早く帰ってくるからね。」
しぶしぶ家を出ようとしたとき、『楽しんでおいで』としらたまがミャオと鳴いた。
*
約束の時間ギリギリに、店の近くで、菜奈と合流した。
菜奈はすでにテンションが高く、遠くからでも分かるほどの笑顔で手を振っていた。
もう一人呼ばれていたのは、「彼氏が欲しい~!」が口癖の遥だった。
遥は、一目で気合が入っていると分かる、バリバリの勝負服で身を固めていた。戦闘準備は万全だ。
「あんたたち、ほんとに両極端なのよね…。」
菜奈がため息をついた。
合コンは、若者向けのアジアンエスニック系の居酒屋で始まった。香辛料の香りが鼻をくすぐり、店内はグラスのぶつかる音と笑い声で満ちていた。
主役の菜奈を挟んでつくねと遥が座り、向かいにはスーツのよく似合う、背の高い、やけにイケメンな3人組が揃っていた。
菜奈はハートの目で正面の拓斗くんを見つめ、遥は獲物を狙うような目つきで他の2人を交互に見定めている。
つくねは、お通しのタイ風春雨サラダとベトナム風生春巻を、ひとり興味深げに眺めていた。
みんながシンハービールで乾杯する中、つくねだけは「苦いのは無理」とマンゴーモヒートを選んだ。
3人は、大学の同級生らしく、全員29歳。
菜奈のお目当ての拓斗くんは、IT企業に勤めだと聞いていた。あとの2人は…、自己紹介をされたけれど、つくねは料理に夢中で、ほとんど聞いていなかった。
それでも、つくねと遥は、頑張って菜奈の恋のアシストに徹した。
菜奈と拓斗くんの会話が弾み始めたころ、遥は満を持して静かにグラスを置いた。
そして、正面に座る光一くんに、女優のような笑顔を向ける。
さあ、戦闘開始だ。
一方のつくねといえば、すっかりお役御免といった様子で、みんなの会話に「へえ」「ああ」「ふーん」と気のないあいづちを打ちながら、黙々と目の前の料理をフォークで突っつき、カクテル系のグラスを次々に空けていった。
ふと気づくと、前に座る男が、自分とまったく同じタイミングで、同じように気のないあいづちを打っていた。名前は…たしか、柊(しゅう)といったはずだ。「『ひいらぎ』と書いて『しゅう』と読むんです。」という自己紹介だけをかろうじて覚えていた。
そのやる気のない様子が妙にツボに入り、思わず「あはは」と笑うと、柊がキョトンとした顔でつくねを見た。
「あ、ごめんね柊くん。めっちゃつまんなそうだったから。ひょっとして陰キャだったりする?」
いい具合に出来上がってきたつくねが、柊にちょっとだけ顔を寄せて、可愛く絡んだ。
「あ、バレちゃった?頑張ってたつもりだったんだけどな。」
柊が冗談めかして言いながら、端正な顔を崩してニカッと笑った。
その笑顔が思いのほか無邪気で、つくねの胸の奥に、忘れかけていた熱がじんわりと広がっていった。それは、とても懐かしく、そしてひどく恐ろしい感覚だった。
つくねは一瞬言葉に詰まり、グラスの氷がカランと鳴った。
これ以上、心を許してはいけない。…これはマズい。心のアラートがビービー鳴り響き、慌てて目をそらした。心臓が、ひとつ強く打った。
そしてつくねは、その動揺を悟られないように、さして興味もないのに柊の仕事や趣味について話を振った。
「僕は、銀行に勤めていて、毎日そこそこ忙しいんだけど、残業は少なくて、1人暮らしだし、平日の夜は意外と暇でさ、ほとんど毎日、自分で料理をして、家で本を読んだり映画を観ていることが多くて、いわゆるインドア派?なのかな、あれ?これじゃマジで陰キャだな、趣味って言えるほどじゃないけど、土日に古着屋を巡るのが好きで、あ、そうだ、気になってたんだけど、つくねちゃんのジーンズってビンテージだよね?実は、僕も…」
『柊くんって、意外としゃべる人なんだ…。ひょっとして、緊張してる?』
つくねは、ちょっと驚いたが、嫌な感じはしなかった。
あらためて視線を向けると、細身のダークグレーのスーツを皺ひとつなく着こなしている。派手すぎないパープルのネクタイが、その柔らかな雰囲気によく映えていた。
きちんとした印象なのに、後ろ髪には小さな寝ぐせがピョンと跳ねていて、それがなぜか肩の力を抜かせてくれた。
それに、少し見上げながら話をするというのが、なんだか新鮮だった。
元彼とは、話すときも一緒に歩くときも、つくねはいつも背中を丸めて、見下ろさないように気をつけていた。
『あ…。』
知らず知らず、元彼と柊を比べている自分に気づいたつくねは、それを振り払うように、ライチソーダをグイッと飲み干した。
すると、それを見た柊が、負けじとばかりにハイボールのグラスを一気に空けた。
「競争じゃないんだから!子どもなの?」
つくねの頬が自然に緩んだ。
2人の話題は、古着の話からスパイスカレーのクミンの炒り方へと飛び、なぜか観葉植物の育て方に寄り道し、気づけば「道の駅で売っている謎のジャム」の話に変わっていた。まるで、どこに向かうか分からない会話の旅。それが心地よかった。
柊との会話で、心の奥に張りつめていた何かがふっと緩んだのか。
それとも、何杯も飲んだカクテルのせいだったのか。
つくねは、気づけばみんなと笑い合い、グラスを傾けていた。 心から楽しんで会話に加わっている自分に、少し驚いていた。
男女関係なく、一緒にいることが心地よく、その感覚がちょっとうれしかった。
あまり酒に強くないつくねは、終盤にはすっかり酔ってしまい、記憶もあやふやになっていた。一次会が終わり、みんなでカラオケへ行こうと誘われたけれど、
「彼氏のとこに帰るわ!」
と高らかに宣言した。
「は!?」
菜奈が目を丸くした。
つくねはニッと笑うと、カツンとハイヒールを鳴らしてタクシーへ乗り込んだ。
*
「しらたま!ただいま!遅くなってごめん!」
『あ、つくねちゃんが帰ってきた。とってもご機嫌だ。それに、いい表情をしている。よっぽど楽しかったんだね。よかったね。あ、ソファーで寝ちゃうと風邪ひくよ。』
心配になったしらたまは、ソファーにぴょんと飛び乗って、起きて起きてとつくねの頬をペロペロ舐めた。
つくねは、目をつぶったままガバッとしらたまを抱きしめた。
「えへへへ、しらたま、今日の飲み会でさー、なんか変な陰キャがいてさ……いや、変ってるっていうか、ちょっと面白いっていうか…あ、友達としてね!うん。ほんとに。……まあ、どうでもいいけどさ。」
しらたまは、つくねにまとわりついたカクテルの甘い匂いに包まれながら、彼女の言葉にじっと耳を澄ませた。
『あはは。つくねちゃんは、ほんと、相変わらず素直じゃないなあ。』
しばらくして、彼女が静かに眠りに落ちたのを確認すると、しらたまはつくねの腕の中で、満足げにそっと目を閉じた。
(続く)
