能力主義を根拠に差別しても構わないことの非論理性と、ゴリラとヒグマと、アンガーマネジメント推しの話
能力主義は能力高いの?
元の命題とその論理式
元の命題: 「能力主義を根拠に差別しても構わない」
これを論理式で表すと:
P → Q
ここで、
P = 「能力主義を根拠にしている」
Q = 「差別しても構わない」
つまり「能力主義を根拠にしている」ならば「差別しても構わない」という条件文になります。
対偶の導出
対偶は、元の命題の前件と後件をそれぞれ否定し、さらに入れ替えることで得られます。
対偶: ¬Q → ¬P
¬Q = 「差別してはならない」(「差別しても構わない」の否定)
¬P = 「能力主義を根拠にできない」(「能力主義を根拠にしている」の否定)
よって対偶は「差別してはならないならば、能力主義を根拠にできない」となります。
論理学では、命題とその対偶は常に論理的に同値(両方とも真であるか、両方とも偽である)です。したがって、元の主張の問題点を検討するために対偶を分析することは、論理的に妥当なアプローチです。
この対偶を分析することで、「能力主義を根拠にした差別」という考え方の矛盾点や問題点が、異なる視点から明らかになります。特に「差別してはならない」という前提から出発して考えることで、能力主義のみに基づく評価システムの限界がより明確になります。
このように、何かを根拠に差別を容認することは論理破綻しているのだけど、能力主義を理由に差別を容認したい人は倫理だけでなく、ダブルスタンダード、差別、論理的思考能力に限界があるけれど、『倫理だけでなく、ダブルスタンダード、差別、論理的思考能力』を無視してリーダーや専門家としてコンプライアンスや職業倫理を守れるのですか?
そんな話を書きました。英語だけど、よければChatGPTなどAIと話したりする叩き台にご利用ください。
Beyond a Single Win: Building Sustainable Competitiveness with Ethics and Education
①ゴリラとヒグマと我々の話
怒鳴ったり攻撃的なことが「雄々しい・男らしさ」ではないと僕は思う。そもそもジェンダーと「怒鳴ったり攻撃的なこと」が結びつくのが変だと思いませんか?
筋肉の強さで勝負するならゴリラは握力500kgくらいある。幸い、我々は通勤通学の帰りにゴリラに道を塞がれたりしませんよね。
ところがヒグマだと、色んな理由で攻撃的になる時期があり、オスでもメスでも、我々は素手で勝つのは困難だと思う。
ヒグマの生態・習性/札幌市
https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/seitai/index.html
ゴリラやヒグマと競うのではなく、我々は言葉があるのだからキング牧師のスピーチみたいな方向で強さを活かすと有利だと思う。とくに、筋肉量の差の影響が小さくなる点が魅力です。
②健康でPMS無いのになぜアンガーマネジメント学ばないのか問題
客観視やメタ認知、とくに大脳新皮質で処理する前に、刺激に反射していることを自覚して対処する訓練は応用が効きます。
例えば僕は双極性障害を管理してるから、自然な喜怒哀楽でも、「お前具合悪いのか?」と差別とか偏見ではなくて、友達が心配するので、理性的でいるようにしています。そこが嫌だと言われることもあるけど、どう行動しても必ず色んな意見はあるから、客観視を支援してくれたことを感謝しています。
つまり、感情の振幅が起きる障害を「揺らさない(≒揺れ幅を小さくする)」ことを、練習しています。
だから、個人がどう生きたいかではなく、人類が存続するために女性がPMSと共生していることは、経験から尊敬する。自覚的な努力が必要だから。
それで、煽ったりマウンティングしたいのではなくて、個人も組織も社会もストレス減って楽になるから、アンガーマネジメントやることをオススメします。
確かに練習して実践するのはコツやセンスがいるけれど、障害者の僕はやってるし、多くの女子もやってるし、なんなら「やって当たり前それが社会性」みたいな圧も無いですか?
ダブルスタンダードは良くないから、無理のない範囲で、取り組めるといいですね。
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私の主著です。フェミニズムや倫理学の観点で、現代を可視化して公共に資する願いを込めています。
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