言葉で教えても常識を逸脱する子を、1950年代と90年代で比較し、大きな流れを共有するnote
1950年代の田舎の話です。私の母は戦後生まれですが、戦争中に生まれ満州から祖父母と一緒に帰ってきた家族もいます。Aとしましょう。ある日、Aが小学校で傷つけられ帰宅しました。
母は足の弱い小学生の女の子ですが、竹箒を持って行き、村の悪ガキをひっぱたいて帰ってきました。当時の大人たちは、武器を持つなとは教えず、当然のこととして見守りました。
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この時代、村にはまだガスや電気などのインフラが整っておらず、共有の焚き木を拾う小さな山がありました。ところが、母が仕返しに行った子は、この共有の山を燃やしてしまいました。幸い、村の大人たちがすぐ気がつき、延焼は食い止められました。きつく叱られますが、犯人の子たちには常識や物事の程度が分からない傾向がありました。
1950年代のいじめは、1990年代のいじめとは異なります。当時の大人は「卑怯なことはするな」という価値観がありました。足が弱くて、父子家庭で父親の手伝いをしたり、大人しく本を読んでいる母のことも、山を燃やした子のことも背景を踏まえているから、その場のことだけで判断しませんでした。
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時代は変わりました。インフラはあるし、ネットもあります。けれど、学校は勉強をしたり、集団とのコミュニケーションを学び社会で生きる練習をする場です、一定確率で命をかけたり他人の命をもてあそぶことは、本来の学校の役割と異なりませんか?
私の経験では、偏差値の高い高校に進学する子の中に、倫理観が未成熟で残酷なことが好きな子を数人観察しています。大人からは良い子だと思われ、クラスのヒエラルキーは高いです。彼らは自分の内申点を傷つけたくない。そのため、暴力や非行でしか存在感を発揮出来ない子を、巧みに承認し、群集心理を操る影響力を楽しむようでした。
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昔が良かったと言いたいのではなく、ネット社会に移行して得られたメリットは多くあります。しかし、かつての社会と今の社会がどう変わったかを語り継がなければ、我々は判断材料を失います。
我々全員が問題解決に時間を使えるわけではありません。けれど、学校の先生やNPO職員など、問題解決に取り組む方々を孤立させないことは可能です。そのためには、まずは知ること、そして長期的な流れで考えることがポイントです。
山を燃やした子も、暴力しか存在感を出せない子も、成績は良くても倫理観が幼い子も、どの子も未成年です。「程度が分からない」ことは共通します。被害者の安全が最優先ですが、そのために彼らを排除するのではなく、複雑で有機的な群集心理も関係するいじめのみ無くすのが得策です。現実は、誰かを犯人にし、いじめは続いています。
多くの子どもは普通ですが、保護者が諦めてしまい家庭教育を受けられない子なども存在するから、極端に残虐なことが起こる場合があります。そうしたことも想定して対処できるようにするには、まず大人が大きな流れに気づくことが重要です。
包摂という意味で、社会の一員として共に生きるのだから、子どものうちに、未成年で保護者がいてくれる段階で、「卑怯なことはしない」「倫理観を理解する」「程度が分からないなら相談する」ことを教えれば、社会全体の利益です。
私たちが忙しすぎて流れが見えないことが、解決が長引く問題の一因かもしれません。だからこそ、これらの経験を語り継ぎ、共有することは、具体的な我々の個々の人生のプラスになります。
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