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アタッチメントとロールモデルと図書館

いじめの加害者などを擁護する趣旨ではないです。免責事項の意味では無く、センシティブな問題で、読んで下さる方を傷つけたくないから。『【15歳の限界の向こう側】いじめという群集心理を生き延びて思うこと。 #自分で選んでよかったこと』で、私も生き延びた側の一人ですし、『暴力か風雅』で書いた家族史を持つので、暴力自体嫌です。

母から文化、父から資質を受け継いだと、自分では観察しています。

子ども時代はこんな感じでもありました。

僕は人間にとってアタッチメントと、思春期のロールモデルや「壁」として立ちはだかり胸を貸してくれる信頼できる大人達が不可欠だと思います。

僕が被害に遭った際の主犯格(偏差値が高く、そそのかして代わりにやらせる者は謝罪に来ないので)が形だけ謝罪に来た時に、そのお母様が不自然に謝り慣れて(機械的で)、自分の子どもが悪いことを認め、形式的な儀式を流れ作業みたいに終えたいようでした。裕福なお家でもないです。おそらく、文化資本も無いです(主犯格の子は、運動・勉強・対人関係・話題の豊かさ・趣味など全て駄目で、暴力が自己表現に見えました。180cmある「幼児」は、危険です)

アタッチメントに関しては分からないけれど、「思春期のロールモデルや「壁」として立ちはだかり胸を貸してくれる信頼できる大人達」は不在です。

私は父を12歳で失い、親族も頼りにならず、母方の祖父・母を軸に、近所の憎めない優しいおじさんは反面教師にし、足らない面は犬養道子など本から「大人」を召喚しました。

家庭環境は選べません。だけど、社会の地域コミュニティを少し育てると、何かあれば専門家に繋げる大人は増やせるかもしれないし、思春期に入る前に図書館に行ってリファレンスサービスを含めて本を探し独学する基礎を与えると、万一、困難に陥っても、暴力や拡大自殺(テロ)などにエスカレートせずに済みます。

許すことは生涯しない。でも、主犯格の少年の障害があるわけではなく、感情を言葉にできず、暴力で発散するしかない、悲しみや劣等感、彼の「地獄」があったことは、理解は出来ます。

人生に浮き沈みはあるけれど、子どもの時点で人生を諦めることは理不尽だし、そうさせずに済むのが教育や教養でしょう。学歴や資格だけでなく、人が人に成長し成熟し社会貢献したり、誰かや何かを愛することの基盤です。

生命のやりとりではなく、被害・加害・傍観などでもなく、未成年が謝ってゆるされる範囲の「摩擦」にすると、どの子も安心して大人になれると思うのです。


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