多様性と尊厳:社会設計の新しい視点
はじめに
Corpi esibiti, corpi celati, corpi negati
By Maria Giulia Bernardini
https://www.academia.edu/1411616/Corpi_esibiti_corpi_celati_corpi_negati
このエッセイは上記論文にインスパイアされました。冒頭に述べ、その専門的なお仕事に感謝申し上げます。
また、本稿は上記論文と無関係であり、万一間違いがあれば私の責任です。そして、私は無所属で報酬を受けずにこのエッセイを書いており、利益相反はないことも読者に約束します。
さて、現代社会において、私たちはどのような基準で人間を捉え、社会を設計すべきでしょうか。医療や福祉の分野では確かに基準設定が必要です。しかし、それが社会全体の人間観や「当たり前」の定義になることには深刻な問題があります。本稿では、多様性社会をいかに実現するのか、その根本的な、倫理的視点転換について考察します。
多様性や尊厳も、倫理の話でもあります。
「標準」の限界と多様性の現実
従来の社会設計は、しばしば限定的な「標準的人間像」を前提としています。例えば、政策立案においては、男性で異性愛者である健常者を「一般的」とみなし、それ以外を「例外」として扱う傾向があります。この狭い「標準」から外れる人々があまりにも多いという現実があり、制度設計のセンスを疑います。
例えば、生命保険の例を考えましょう。加入できない人や高額になる人がいることは、命に値段がつけられているかのような誤解を招く懸念があります。
このように例外が多すぎると、もはやそれは例外ではないという矛盾があり、センスがないと言わざるを得ないのです。社会の大部分を占める人々が「例外扱い」される設計は、根本的に欠陥があると言わざるを得ないのだから。
人間の尊厳の再定義:生きることの価値
ここで重要なのは、人間の価値を根本から見直すことです。社会設計において真に大切なのは、「生きていてくれること」それ自体を100点とする視点ではありませんか。寝たきりの状態であっても、その人の尊厳は完全に保たれています。我々は全員、生きている時点で、すでに最大の価値を持っています。
偽善的ですか?
理想的ですか?
いいえ、リアリズムです。
あなたは、尊厳の有無を具体的に決めることができますか?
この視点から見ると、従来「障害」とされていた状態も全く違って見えてくる。「歩けない」のではなく「歩ける」のであり、「腕がない」のではなく「腕がある」のです。「知的障害」ではなく「たくさん考えることができる」のであり、「目が見えない」のではなく「視覚的な情報を処理することができる」のである。
ただの言い換えでしょうか?
いいえ。この思考実験は、私たちの固定観念を根本から覆すのです。「人間の最小構成は何か」と考えたとき、それは単に生きていることそのものといえます。その上で、歩ける人、格闘家のように体を使える人、スポーツ選手のように走れる人、哲学者のように深く考える人など、それぞれが異なる能力を持っているに過ぎません。
相互理解と社会の信頼構築
私があなたと共有したい多様性とは、単にみんなが違うということではありません。それは、お互いができることを理解し合い、相手がしてほしくないことを理解し合うことです。例えば、目が不自由な方が、そのことを責められるのは苦しいことだから、そうした配慮を怠らないことが大切です。
我々はヘレンケラーを尊敬するけれど、彼女が何かできないことを責めることはしません。すべきでないだけでないのです。したくないと感じませんか。それが、あなたの内面に倫理が機能している証拠ではありませんか。優しい・優しくないではなく、存在に対する敬意を我々は払います。
このような相互理解は、単なる「相互理解」を超え、社会全体の信頼を高める力を持ちます。それは歴史的なファシズムのような全体主義的な結束ではなく、相互尊重と多様性を基盤に生まれるボトムアップの信頼です。このような信頼に基づく社会こそ、多くの危機がありリーダーシップの欠如が指摘される現代で必要な社会です。あなたはどう思われますか?
競争と多様性の両立
しかし、ここで重要なのは、この視点が競争や努力を否定するものではないということです。私が述べた制度設計は公共をいかに守るかでもあるのです。
公共と競争は、適切に扱えば両立できます。歴史的に間違えた事例は沢山あります。ハースストーンのアグロ戦略のように、公共を壊したケースは多いです。日本でも起きています。
社会の進歩には競争が必要であり、専門的な分野では高度な知識や技能が求められます。AI開発に専門知識が必要であり、プロサッカーには高い技能が必要なのは当然です。
大切なのは、厳しい競争があっても良いが、負けても大丈夫で、その競争に参加しなくても他の分野で力を発揮できるという社会システムです。セリエAに行けなくても、数学オリンピックで勝てるかもしれない。一つの分野でダメでも、別の分野で結果を出せる社会であれば、多様性が担保され、同時に社会の生産性も維持されます。
新しい社会設計への道筋
このような理念を実現するための具体的なアプローチを考えてみましょう。まず、設計段階から多様な視点を取り入れることが重要です。
業務内容によりますが、意見の異なる人々にチームワークを持たせることができれば、より多角的に検証できるでしょう。
政策や製品開発において、様々な立場の人々を最初から参加させ、事後的な「配慮」ではなく「一緒に作る」プロセスを実現すべきです。
次に、ユニバーサルデザインの概念を広げ、特定の人向けではなく、誰にとっても使いやすい仕組みを標準とすることが必要ですね。社会制度も「例外対応型」から「多様性前提型」へと転換し、一人ひとりに合う柔軟な仕組みを構築することが理想です。
さらに重要なのは、「違い」を排除や特別視せず、「違い」は当然であり、「違い」を理解することの負担を認めた上で励ます文化を育てることです。教育やメディアが、多様な生き方や身体・心の違いを「特別な話」ではなく「社会の当たり前」として伝えることが重要です。
結論:逆転の発想による社会変革
現在の社会が「障害」を能力の欠損として捉える見方を、完全にひっくり返すことが必要です。それは、何か欠損があると引き算するのではなく、生きていることを100点とし、その上での多様な能力を認め合う社会、つまり101点以上を評価できる社会です。
誰もが挑戦する権利を持ち、どこで努力するかを自分で選べ、失敗しても人生が否定されない社会。これは歴史的に見て官僚化により衰退するパターンの抑止力にもなります。
このような逆説的発想は、我々の多様性社会への一歩です。命があって生きていてくれることが基準であり、尊厳は誰も変わらないという原則の上に、競争と協調が両立する社会を築いていくこと。それが私たちの目指すべき方向性ではありませんか。
「普通」「一般的」「標準」という概念を疑うこと。多様性を前提とした設計思想を社会全体に根付かせること。それは容易な道ではありません。困難だからこそ、一人ひとりの尊厳を大切にしながら、同時に社会の活力を維持する、バランスの取れた社会を実現出来た日の喜びは大きいでしょう。
英語版
主著
フェミニズムや倫理学の観点で、現代を可視化して公共に資する願いを込めています。
草稿(英語)もどうぞ
PDFをダウンロードしてAIに解説させると、「あー、なんかトラガラが、前に言ってたやつ」ってなるかもです。読むTED? 的にどうぞ。創作のインプットとして、効率的かと思います。
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