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言及ありがとうございます : 『「沈黙こそが神なのだ」by 樫木佐帆』

『哲学の神義論や不可知論や神の存在証明が問題ではなく、神の沈黙が説明責任の欠如であるため、神が信用を失い続けていることを神学も哲学も議論すべきです。

なぜならば、倫理的でないことは神の存在と矛盾するからです。』

https://note.com/karasu_toragara/n/n9676488da04e

「沈黙こそが神なのだ」by 樫木佐帆

だって言葉なんつー便利で不確かな記号じゃ説明しきれんじゃないすかーすかー。

https://note.com/kashikisaho13/n/n239deb3f6185

多くの記事から足を止めて言及してくださり感謝します。

形而上学や神義論は抽象的です。
言葉の限界はクワインの指摘があります。
そもそも人間の理解の限界があるから、不可知論もあります。

けれど、例えば、人間の幼い子に大人は目線を合わせて言葉を選びます。生き物もそう。言葉以外に抱きしめるなど、非言語コミュニケーションも行います。相手に合わせます。

これは形而下のことです。

人間が行えるのに全知全能の神が行えないことは矛盾します。だから、具体的に扱える形而下に「全知全能」であることを理由に引きずり出すことが、説明責任の話の狙いです。

従来の議論は、例えば「神の御心」や「試練」で説明できてしまうから。

言及して下さった沈黙こそが神の場合、形而下で何をするのですか?
沈黙することを選べば、その神が信頼を失うことは、最初の私の指摘と変わらないですよね。​​​​​​​​​​​​​


神学や形而上学の議論を進めるために、新しいアプローチはないかなと考えていました。
一緒に考えてくれたことに感謝します。



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