迷子犬のアナロジーと、自由の誤用の話
よく例え話で使うのですが、野良犬いませんよね。野良猫は少しいるかな? 皆さんの近くはどうですか。
そんな野良犬がいるとします。飼い犬が一時的にお家から出てきてしまった迷子犬なのでしょう。
周囲に誰もいなくて監視カメラもないから、いきなりこの迷子犬のお腹を蹴り上げるような暴力を振るう人がいたとします。
犬に限らず、言葉で反撃できない相手に危害を加えることは卑怯だと思います。
内心は、こうした行動を取りたいけれど、社会のルールを形だけ守ることはストレスもかかるでしょう。
伝統的な宗教と地域の共同体の影響力が下がることは、うるさいことを言ってくれる大人がいなくなるように感じられるはずです。孤独と感じるかもしれない。
だから、法律や倫理を重視する必要があります。抽象的にすると、「攻撃する自由はあるのか」と言えます。公共の福祉の範囲で自由だから、攻撃する自由は無いと思う。建設的に冷静に批判することは言論の自由でも、誹謗中傷は攻撃的だし法律や倫理にも抵触するでしょう。
我々は封建時代に戻ることは出来ないから、自由をどう生きるか考える必要があります。その際に0から考えるのは大変だから、法律や倫理を目安にして、それらはなぜそう決まっているのかを考えると、未知の問題も扱えるようになります。
自由と選択と行動には責任が伴います。それは具体的に何かを考える際に、倫理は頼もしい味方ですね。
関連note
部活動
ご案内とお願い







無料キャンペーンも終盤です。上記記事のご提案、ご検討ください。
プロフィール
「♡」は、誰でも(noteにアカウントを作っていない方でも)押すことができます。この投稿を「いいな」と思った方は、気軽に押してもらえると嬉しいです。もちろんフォローも嬉しいです!
いいなと思ったら応援しよう!
ここまでお読み下さり感謝。各種SNSでのシェアも励みになります。非営利の取り組みが多いため、チップのご検討、助かります。