ポケモンキッズと旅する 第202回 ヌメルゴン|山形県鶴岡市
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第二百二回、ヌメルゴンと鶴岡です。

現在の鶴岡公園は、庄内平野の中央部に位置する平城であった、かつての鶴ヶ岡城の跡地です。

上杉景勝が米沢へ移封されて庄内地方がその支配領域に組み込まれましたが、関ヶ原の戦いを契機とする東北の争乱の中で、山形城を本拠とする最上義光(⇒第84回)に攻め取られました。

その後、最上義光はこの場所にあった城を改修・拡張し、「鶴ヶ岡城」と改称しましたが、彼の死後にお家騒動が起こり、最上家は改易となりました。

最上家の旧領が分割されると、その一部である庄内地方には、譜代大名の酒井忠勝が移り入りました。

江戸時代後期に、幕府から他の藩との間で領地を交換する「三方領知替え」の計画が持ち上がりました。

しかし、庄内領民は藩主である酒井家を擁護するため、異例の直訴を行って計画を取り下げさせるなど、領民の支持のもと、酒井家は幕末までこの地を治め続けました。

鶴ヶ岡城は、庄内平野の中央に位置する、高低差がほとんどない平城です。

高低差による防御上の優位性を持てないため、周囲の河川と水堀を最大限に活用した縄張りが特徴です。

近隣を流れる内川などを天然の堀として取り込み、本丸・二の丸・三の丸などを幅広の水堀と土塁で幾重にも囲むことで、平地ながら強固な防御線を構築しました。

本丸には御殿がありましたが、天守閣は設けられず、低層の櫓と土塁、水堀の組み合わせで攻撃に備えるという設計でした。

本丸を囲む内堀と、さらに広範囲な外堀の二重構造は、平地ながらも城の堅固な守りを今に伝えています。

内堀は本丸と二の丸を取り囲み、十分な水量を湛えていたことで、かつては敵の接近を阻む存在でした。

一方、城下町まで及んでいた外堀は、現在も公園周囲を巡るように残り、春には桜の花筏が水面を彩り、優美な景観を見せてくれます。

天守閣が設けられなかった鶴ヶ岡城にとって、現在シンボル的存在として親しまれているのが大宝館で、展示館として活用されています。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
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