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ポケモンキッズと旅する 第124回 オノンド|京都・紫野

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第百二十四回、オノンドと京都・紫野です。

京都の北、紫野(むらさきの)にある大徳寺は、1315年に大燈国師として知られる宗峰妙超が開いた、臨済宗大徳寺派の大本山です。

境内には方丈や唐門を中心に、禅宗建築の精髄が南北軸に沿って配置されています。

砂利敷きの直線路が境内を貫き、白砂の庭園もあります。

これらは枯山水と呼ばれ、禅の宇宙観を表していると言われています。

大徳寺は応仁の乱で全焼後、一休宗純の尽力で復興に至りました。

本能寺の変(⇒第115回)で織田信長が没すると、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)がここ大徳寺で盛大な葬儀を行いました。

三門(金毛閣)の上部分は、千利休が完成させたものですが、木像を寄進して安置させていたところ、その像の下をくぐらせる気か、と豊臣秀吉が激怒したという逸話もあります。

また、一休宗純に学んだ村田珠光から千利休へと、茶道の文化が発展していったという、茶の湯文化とも縁が深い寺院です。


今宮神社は、大徳寺の北西に位置する古社で、疫病を鎮めるとして信仰されてきました。

その起源は、994年に都で流行した疫病を鎮めるために開催された紫野御霊会に遡ります。

1001年にも疫病が流行した際、南の船岡山から現在の地に移して祀られたことが、今宮神社の創建とされています。

また、西陣織の産地に近いことから、織物業者からは「機(はた)の神様」としても大切にされてきた歴史があります。

江戸時代、その西陣生まれの桂昌院(徳川綱吉の生母)が、故郷にあるこの神社を崇敬し、社殿を整備するなど篤く保護しました。

その桂昌院も復興に尽力した、4月の第2日曜に行われる「やすらい祭」は、京都の三大奇祭の一つと言われており、疫神を鎮める独特の神事です。

この祭りは、桜の散り際に疫病が蔓延すると考えられていたことから、花の霊を鎮める「花鎮め」という側面も持っているとされています。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Fraxure in Murasakino, Kyoto 20 (Imamiya shrine)

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