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ポケモンキッズと旅する 第96回 ランクルス|三重県松阪市

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第九十六回、ランクルスと松阪です。

松阪公園は、蒲生氏郷が南伊勢支配の拠点として築城した松坂城跡を中心として広がる公園です。

松坂城は標高38メートルの丘に築かれた平山城で、本丸跡は周囲より高い場所に位置しています。

頂上からは、雄大な台高山脈が幾重にも折り重なる山並みを一望できます。

明治維新後、大坂が「大阪」と改称されたのと同様、地名としての松坂は「松阪」の表記に変更されています。

松坂城の石垣には、自然石を精巧に組み上げる「野面積み」技法が見られます。

松坂城を築いた蒲生氏郷は、小田原征伐の功績により会津若松へ加増のうえ異動していきました。

その後、松坂城は服部一忠らを経て、和歌山城を拠点とした紀州徳川家(⇒第69回)の領地に組み込まれます。


江戸時代には、紀州徳川家の支城として城代(藩主が常駐しない城に置かれた城主の代理)が置かれました。

国学の大家である本居宣長は、欠かすことのできない重要な存在です。

本居宣長は松阪に生まれ、町医者として生計を立てながら『古事記伝』という古事記の注釈書などを完成させました。

城跡南西の「鈴屋」と呼ばれる書斎で研究を続け、44巻に及ぶこの大著を書き上げました。


城の南側に残る御城番屋敷は、紀州藩が武家屋敷群として建設した直線状の長屋建築です。

江戸時代の武家屋敷群がほぼ完存する稀有な例です。

城跡を仰ぎ見る邸宅前の道からは、石垣と生垣が織りなす幾何学的な景観が広がり、整然とした街並みが往時を偲ばせています。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。