エッセイ|食
以前、
欲求についてのエッセイを書きましたが
補足と言いますか
食欲に関して
少し思うところがあり
食に関して書いてみようと思い立ち
徒然なるままに書きたいと思います
まず
食欲は生きていくための生命エネルギー
食事は
生命の糧を得るために行うもの
所謂車でいうガソリンのようなもの
でありますが
それだけではないですよね
生きるためのエネルギー補給だけで良いなら
野生動物のように
肉を生で食らい
魚介類を生で食らい
植物を生で食らう
本来ならそれだけでいいはずです
ところが
人類は食べ物を
素材のまま味わうことも致しますが
より良く素材の旨みを引き出すために
火を起こす技術を身につけて
火を使いこなし
塩を作り
調味料を作り
出汁やスープを作り
ソースとして
味付けとして
試行錯誤をしながら編み出し
また
より良く美味しく味わう為に
食とゆうものを楽しむ為に
様々な調理法も編み出してきた
国によって差異はあれども
人類は食とゆう行為を彩りよく楽しむための
料理とゆう技術を産み
連綿と育み
実践してきた歴史がある
また
人の美的感性からくる
品格や行儀や礼儀作法が確立されてくると
下品に映る行為は控えるように注意し
テーブルマナーが整備されていった
食欲を唯の食欲に終わらせず
食を楽しもう
食に彩りを持とうと
食を本能でなく
食事とゆう行事に変容させていった
食べ物を食べると言う行為
料理と言う調理方法
これは当たり前に思うかも知れませんが
何気に凄い事であると思います
また、日本人は食べ物となってくれた動物や魚介類や植物に対しての供養塔や鎮魂碑を作って供養したり
日本も海外も食前の祈りをしたりして
食べ物になってくれた生命に感謝して頂く様にしていますよね
それだけ食事と言う行為は尊い生命を頂き
糧にしてまた生命を明日に繋ぐ儀式でもある
精一杯生命に感謝して、
食材を味わい料理に感謝し、
料理を調理してくれた者に感謝し、
素材に加工してくれた者達に感謝し、
食という行事を楽しむ。
それが食事と言う行為なのかもなと
最近、
僕は思う様になりました
そりゃあ
これだけ人類が食への飽くなき探究心持てば
現実に北大路魯山人
池波正太郎
料理の鉄人達や
二次元に美味しんぼの海原雄山
クッキングパパ
ミスター味っ子の味皇
中華一番!のマオ
食戟のソーマのソーマ
孤独のグルメの井之頭五郎等
が生まれる訳ですな……
やはり人間って何処か頭のネジが外れた
変態性を持っているのかも知れませんね
いや
ヘンタイだからこそ
変容していく事を恐れずに
変態していったのかも知れません
とすると
やはり神仏も変態なのかも知れませんね
人は神の現し身であり
仏は人が輪廻から解脱した姿なのですから
であれば
であるならば
踊る変態観る変態
同じ変態なら
踊らにゃ尊尊なのでは?
いや、損損か……。
崇め奉りて
我踊り狂わん!!
となりましょうやと思いましたが
やはり僕には些かハードか……
いや
いやいや
ここで踊り狂わねば男が廃る
恥は掻き捨て世は情け
泣いてくれるなほろほろ鳥よ……
お後がよろしいようで。
以上
アホで能天気で楽天家で愚鈍な凡夫の
世迷い言でございました





