エッセイ|白黒思考の狭間
白黒思考というものがあります
二元論とも言います
1か100か
0か10か
その二極で物事を判断する思考です
残念ながら
世の中は白黒はっきり分かれている訳ではありません
多元的に成り立っています
白と黒の間で
何層ものグラデーションが存在している
基本は
灰色で成り立っているのです
どんな物事を行なう際にも
過程が存在します
いきなり答えに辿り着くことはありません
その過程を見ずに
結果だけで善し悪しを判断するのは
独断なのです
独裁なのです
昨今
SNSでは
何かトラブルを起こした者を
執拗に責め立て
断罪しようとする流れが起きています
人はそんな単純に押し計れるものではありません
心の機微というものがあります
心理というものは複雑です
またそれぞれの認識や知識の違いもあります
様々な要因が重なり合う事で
結果に違いが生まれます
問題が無く既決するものもあれば
齟齬が起きて
破綻するものもあります
過失するものがあります
世の中完璧な存在はありません
多かれ少なかれ
人は失敗と成功を繰り返します
誰もが成功する可能性と
失敗する可能性を秘めています
なのに
程度の差に関わらず
過失を冒した者を断罪しようとする者が
多過ぎると思うのです
誰もが失敗する可能性を持っています
明日は我が身です
対岸の火事ではない
自身も火種になる可能性があるのです
過程を見ずに
結果だけ見て
或いは
過程を歪曲して見て
断罪する
そういった者が散見されます
自身が常に正義の側に立っていると思う者は
自身の残りの生涯で過失を起こさないと断言できるのでしょうか
濡れ衣を着せられないと思っているのでしょうか
人は不完全な存在です
堕天使とも言えるのです
白黒ではっきりとは分けられないのです
分けられるのなら
裁判など必要ないのです
過程や心情で幾重にも事情は異なるのです
世の中には情状酌量の余地の無い悪事はあります
それに関しては断罪しても良い
ですが情状酌量の余地があるものは
きちんとグラデーションで判断しなければならないのです
濡れ衣の可能性も考慮しなければならないのです
また過ちを冒した者は更生しないと考える者がおります
ですが
人はやり直せる可能性を持っています
更生の余地を持っています
はなから更生出来ないと判断するのも
人の可能性を閉ざす考え方なのです
非常に狭量と思える物事の捉え方なのです
どんなに真っ当に生きようと心掛けて居ても
過ちを冒す可能性は誰しもが秘めているのです
どれだけ戒めていても
破戒する可能性を秘めているのです
ですから
誰しもが
明日は我が身なのです
闇堕ちするヒーローの様に
ヴィランに変わる可能性を秘めている
逆もまたしかり
ヴィランがヒーローに変わる可能性も秘めている
無闇矢鱈に軽率に断罪せずに
過程を鑑みて
心情を考慮して
総合的に様々な角度で測って
判断しなければならないのです
正義を名乗る者ほど、自分が裁かれる立場になる可能性を想像すべきなのです。
私たちは裁く側である前に、裁かれ得る存在なのです。
マグダラのマリアや
セイラムや中世の魔女裁判の教訓を胸に
罪を憎んで人を憎まず
人を呪わば穴二つ
善人と悪人と渡世人
情状酌量の余地の無い極悪人
種々様々な要素と要因と因果を考慮して
人を見つめたいものですね
以上
阿呆で能天気で楽天家で愚鈍な凡夫の
世迷い言でございました










