【相撲の街 両国】 回向院と勧進相撲
両国と言えばご存知のとおり
『相撲の街』。
今回は両国にある
『回向院』と『大相撲』の関係を探っていきます!
◇『相撲の街』を感じさせる『両国駅』
JR総武線の『両国駅』のホームに降り立つと
両国国技館を見ることができます。
大相撲の『東京場所』開催中は、
ホームの一番西側(隅田川寄り)から、国技館脇に掲げられている幟旗も見えます!

一番「隅田川寄り(西側)」より撮影
ホームを降りて改札口に向かえば、駅の構内にかつての大相撲の優勝力士の額や手形の色紙が迎えてくれる!

大きな優勝額が飾られている。

満員御礼の垂れ幕の下には、
実際の土俵と同じ大きさの円が描かれている

歌川国郷『両国大相撲繁栄図』
このように、JR両国駅は駅についた瞬間から『両国は相撲の街だ!』ということを感じさせてくれます!
◇『回向院』と両国の歴史
両国にある『回向院』をご存知ですか?
国技館とはJR総武線の『両国駅』を挟んだ反対側のエリアにあります。


近代的であまりお寺っぽくない建物
その『回向院』と『相撲』の関係は非常に深く、日本の国技といわれる相撲の歴史において重要な役割を果たしてきました。
回向院と相撲との関係を話す前に、軽く歴史的背景を説明しますね。
『回向院』は1657年におきた、江戸時代最大の火災である『明暦の大火』で亡くなった大勢の身元不明の犠牲者を弔うために作られた浄土宗の寺院です。

また、『明暦の大火』で多くの犠牲者がでたことから、火災発生時に江戸の街から隅田川の川向こうに避難できるようにと防災の意味を込めてかけらた橋が「両国橋」。
橋の名前由来は、川の西側の「武蔵国」と川の東側の「下総国」の二つの国を結ぶ橋だから『両国橋』。
さらに幕府は両国橋の両岸に火災の延焼を防ぐための「火除け地」を設けました。
両国橋の江戸側を『両国広小路』といい、東側(現在の両国)は江戸側の人は『向こう両国』と呼んだそうです。

『火除け地』には常設の建物を建てるのは禁止されていました。
しかし、広い場所があるので、
仮設の見せ物小屋や芝居小屋ができたり、屋台で食べ物を販売する店が増え、
両国は後に江戸の一大繁華街となりました。
◇「勧進相撲」が行われた『回向院』
そんな江戸の繁華街であったこともあり、
1768年(明和5年)に初めて回向院の境内で『勧進相撲』が行われました。
『勧進相撲』とは寺社などの建立・修繕費用や、橋の架け替えといった公共事業の資金を集めるために行われた『相撲興行』のことです。
「勧進相撲」は、それまで「深川八幡」など江戸内を転々として不定期開催されいました。
1833年(天保4年)には回向院が『勧進相撲』の春秋二回の定期開催場所になり、回向院での興行が定例化されました。
その後は明治の後期に至るまで、回向院の境内にて『勧進相撲』が盛んに行われました。
こうして回向院は勧進相撲を通じて、大相撲の発展に大きく貢献してきたのでした。

『日本相撲協会』公式サイトより借用
◇回向院と相撲との繋がりを示す石碑群
回向院には、相撲との繋がりを示す「石碑群」があります。
とりわけ、昭和11年(1936年)に建立された歴代相撲年寄りの慰霊碑である『カ塚』は目をひきます。
これらの石碑群が回向院と大相撲との深い繋がりを今に伝えています。

一箇所にまとめられている

巨大な一枚岩に彫られていて、
目測では4m以上あるように見える。


転々としていた「勧進相撲」の開催場所が、
天保4年(1833年)から回向院にて
定期開催されるようになったことが記されている。

こちらには、力士や相撲ファンが訪れ、力をもらえるようにと祈願する場所となっています。
◇常設相撲場「(旧)国技館」の建設
そして1909年(明治42年)には、常設の相撲場である「(旧)国技館」が回向院の境内に造られました。
旧国技館はドーム型屋根の洋風建築で、収容人員は13,000人とのこと。
現在の両国国技館の収容人数は約11,000人ですから、当時としてはかなり大きな相撲場だったことがわかります。
国技館が出来たことにより、
両国はいよいよ『相撲の街』となっていきました。

旧国技館の跡地は、現在は「両国シティコア」という複合施設&マンションになっています。

現在は複合施設&マンションになっている

旧国技館の「土俵」があった場所は複合施設の駐輪場となっていて、当時の「土俵の位置」が円形の印でわかるようになっています。

駐輪場の利用者は、ここに旧国技館の土俵があった場所だと知ってるのかな?

この日は雨で、自転車の駐輪がほとんどなく、
土俵の位置全体が見渡せた!
◇空襲で焼け、戦後にGHQが国技館を接収
旧両国国技館は1945年3月10日の東京大空襲により炎上しました。

「相撲博物館」に展示されていた写真
そして戦争に負けると、旧国技館をGHQに娯楽場として接収されたため、国技館で相撲興行を行うことができなくなり、相撲の街から相撲が消えてしまいました。
※旧国技館は空襲で炎上したものの、解体せずに補修等で使用を続けました。

「両国駅」のステーションギャラリーに
展示されていた写真
GHQ撤退後、昭和27年(1952)に返還され、昭和33年(1958)6月に「日本大学」が購入し講堂として使われた。
旧両国国技館(日本大学講堂)は老朽化に伴い昭和58年(1983年)に解体された。
◇『蔵前国技館』時代へ
「両国」で相撲興行が出来なくなった相撲協会は、明治神宮外苑の野天相撲場や、浜町の仮設国技館などで大相撲の興行を続けました。
その後、本格的な興行場所を求めて『蔵前』に新国技館を建設することに決めました。
そして「仮設」ながら1949年から『蔵前国技館』で大相撲が行われることになり、1954年に正式な『蔵前国技館』が完成しました。
新国技館ができたことにより、
『蔵前』が新たな『相撲の街』となりました。

「蔵前国技館」の絵
私の子供の頃は『蔵前国技館』で相撲が行われていました。
また、プロレスの興行もよく行われていて、プロレス好きでもあった私としては、プロレス中継でよく『蔵前国技館』という名称を耳にしていたので、非常に懐かしく思いますね。
◇帰ってきた『両国国技館』!
時が経ち、蔵前国技館が老朽化すると、新しい相撲場を建てることになりました。
やはり新しい国技館は、「相撲の聖地」ともいうべき両国に回帰すべきだということになりました。
そして現在の『両国国技館』を建設し、1985年(昭和60年)1月場所から再び両国で大相撲が開催されることになり、今に至ります。


力士の名前の色鮮やかな幟旗が飾られる

『東京場所』が開催される
こうして、両国は再び『相撲の街』になりました。
両国には相撲部屋も多いですし、ちゃんこ屋さんも多いです。
まさに『相撲の街』と呼ぶにふさわしいです!
◇おわりに
ということで、相撲の街『両国』は、『回向院』との関係が非常に深かったことがお分かりいただけたでしょうか?
回向院の境内には、先述の通り相撲との繋がりを示す石碑群があります。
中でも一際目立つ『力塚』は一見の価値はあると思います。
両国国技館で相撲を見る機会がありましたら、その前に少しだけ時間を取って、回向院に足を運ばれてみてはいかがでしょうか?
・回向院への行き方
【回向院】
所在地 東京都墨田区両国 2-8-10
最寄駅 JR総武線両国駅西口より徒歩3分🚶
地下鉄大江戸線両国駅より徒歩10分🚶
URL https://ekoin.or.jp/
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■両国駅から始まる『相撲の街』おさんぽガイド!🐾⬇️
それでは、
今回も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
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