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小学生のときの「えっちな本」とKindle Unlimitedで再会した #全裸noteプロジェクト

「子どもの頃に読んでいた『あの本』のタイトルは何だったか…」

その日、わたしはChatGPTに相談しまくっていた。

わたしはKindle Unlimited会員歴2年ほど。しかし、知り合いが出した電子書籍を読んだり気になったビジネス書を買ったりするのが主で、いわゆる「読書のための小説」を手に入れる場だと認識していなかった。

しかし先日気が付いたのだ。

Kindle Unlimitedには、古い文庫本がかなり入っている。


最初にタイトルを検索したのは高木彬光「人形はなぜ殺される」だった。

これは1955年に発刊された推理小説だ。父の本棚にあったので何気なく手に取って以来、何度となく繰り返し読んでいた「思い出の本」の一つである。

父はこの手の推理小説・ミステリ小説を大量に集めており、それを子ども部屋の本棚に無造作に突っ込んでいた。漢字がある程度読めるようになった小学校高学年以降、わたしは小学校の図書室よりも、車で行かなきゃならない市立図書館よりも、この「父の本棚」にのめり込んでいた。


テレビドラマの「2時間サスペンス」などを思い出していただけばわかりやすいと思うのだが、この手の小説には「お色気シーン」というものが含まれるのがお約束である。

しかし父は、わたしが何を読んでいても文句を言ったり隠したりすることはしなかった。手塚治虫の『ブッダ(※なぜかシッダールタが王宮を出るところまでしかない)』や『奇子』『きりひと讃歌』も自由に読ませてくれていたし、これらの作品に関する話も普通にしていたので、おそらくそういう教育方針だったのだろう。


そんな中に、とびきり「こ、これはえっちだ…!」と感じる本があった。

通常の推理小説なら、「そういうシーン」はひとつの物語の中に一度か二度出てくる程度というのが相場である。しかしこの本については明らかにその比率がめちゃくちゃ高い。回数が多い。そういうシーンに割かれている文章量が、他の作品と比べて明らかに多いのだ。

さすがの(?)わたしも、この本については父に「読んだ」とは言えなかった。そもそもこの本が本棚にあることに気付いているのだろうか?読ませても大丈夫だと思っているのだろうか?と心配にすらなっていた。

ドキドキしながら何度も読んだ。寝る前、お布団の中でコソコソと。

ちなみにストーリー自体も、それまでに読んだことのない展開で、ちゃんと面白かった。

すごく大まかに言うと「ひねくれた女とひねくれた男の間に愛情が芽生える話」みたいな感じなのだが、まずこの主人公女性の「ひねくれ感」が新鮮だった。

当時、推理小説の女性はもっと従順でおとなしい存在なのがお約束で、たまに強烈なキャラが出てくる場合も「ヒステリックなハイミスのおばさん」か「ガハハ系のお母ちゃんキャラ」が関の山。

しかしこの作品の主人公女性は「いろいろな事情から心が冷め切ってしまった若きニヒリスト」。さらにえっちなシーンでしっかり描写されているが、非常に魅力的な肉体をお持ちの美女でもある。23歳。

わたしはこの女性に「かっこいい」と憧れる気持ちを抱きながら、こんな女性にあんなことやこんなことをして、最終的にはあんなことまで言わせてしまう男性側を心底羨ましいと感じていた。

そう、当時のわたしは組み敷かれたい願望ではなく「組み敷く側になりたい」という欲求を持っていたのだ。女性を押し倒して、小説に出てくるあんなことやこんなことをしてみたい、と思っていた。

姫野カオルコの『サイケ』に似たような欲望を抱く女児(その時代を思い出している大人だったかも)が出てきた記憶がある。「ないはずのお◯◯◯◯がむずむずする」みたいな表現があって「それだ!」と思ったような。


ただし、小学生から高校生にかけてのわたしは「組み敷いた&組み敷かれた後、男女が具体的に何をするのか」に関する知識を何ひとつ持ってはいなかった。

小学生時代はとにかく早く寝るよう寝室に追いやられ、中学生以降は自分からテレビのない自室にこもって本を読んでいたわたし。高校は辺鄙な女子校であり、男の子とお付き合いしている子なんて数えるほどしかいなかった。

そんな環境で純粋培養された結果、わたしはアダルトビデオを見たことがないどころか、テレビのお色気番組の類も視聴したことがないレベルで「性に疎い子ども」に仕上がっていたのだ。

でも、本でだけはそういうシーンを読んでいる。しかも小学生から。

ただし、推理小説などに出てくる濡れ場というのは比喩表現のオンパレードである。小学生でもわかるのは乳房と乳首くらいで、残りはなーんにも理解していない。雄々しく屹立する物体と「お◯ん◯ん」が同じものだと知らないし、濡れそぼった泉が人体のどの器官なのかなんて、見当すらついていなかったのだ。

結果としてわたしは「彼らが何をしているのかはほとんど理解していないのに、えっちという概念だけを摂取して一人でドキドキムラムラしていた」ことになる。

なんとも奇妙な話。でも、実際にそうだったんだから仕方ない。

今回紹介している作品も、あくまで「一般書籍として発刊されたサスペンス小説」であり「官能小説」ではない。彼らが具体的に何をしていたかを理解したのは、自分が大学生になってリアル男性とお付き合いをするようになってからのことであった。

(2162字)


■ で、結局その作品って何なのよ!?

きゃー。恥ずかしい。こんな話、初めてした。

さて。こんなところまでじっくり読んでしまった方は、今「ここまで引っ張ったんだからそろそろ何の本だか教えてよ!」と悶えているはずです。

埋め込みだとなんとなく恥ずかしいのでテキストリンクを張っておきますが、笹沢左保の『悪魔の人質』という本です。シリーズものらしいということは、大人になってから知りました。

それにしてもシリーズものの一冊だけがある状態が多くて、『父の本棚』は図書館としては中途半端だ。『ブッダ』もそうだし『人形はなぜ殺される』もそうなんだけど、父はシリーズ作品の気に入った巻だけを買って手元に置くタイプだったのかもしれない…?

ちなみにGPTに質問した際、開幕からヒロインの名前が「芙美◯」であることまで覚えていたのは、作中で「芙蓉の花の『芙』に美しいという字を書いて…」と口頭で説明するシーンがあったから。

芙蓉の花の存在をこの作品で知りました。でも「芙美子」かと思っていたけど「芙美代」だった。惜しい。

さて。読んでいただければわかると思うんですが、この作品の「そういうシーン」って、マジで比喩だらけなんです。当時の自分がこの文章からえっち成分を感じ取れていたのはちょっとすごいことかもしれません。

また、これも本当に知らなかったんですが、この作品ってのちに「にっかつロマンポルノ」で映像化もされていたんですね。

あ、やっぱりちゃんとえっちな作品だったんだな。と妙に納得してしまったのでした。


という久々の「#全裸noteプロジェクト」参加エッセイなのでした。


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