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子どもの頃、家を建て替える前、大きな柏の木が庭にあった。

春から夏にかけて葉が一気に茂り、庭には大きな日陰ができていた。夏になると、その下だけ少し空気が違っていて、子どもながらに涼しいと思っていた。大好きな場所でした。

ただ、そのぶん地面はいつも少し湿っていて、じめじめしていた記憶も残っている。

秋になると、大きな葉がドスンと落ちてくる。大げさな言い方かもしれないが、葉っぱの量がとても多い木なのである。

掃いても、掃いても、また落ちてくるのだ。

子どもの頃は、ただ「葉っぱの多い木」くらいにしか思っていなかったのだけれど、今思えば、あれが柏の木だった。

節句が近づくと、おばあちゃんは毎年柏餅を作ってくれた。店で買ってくるのではなく、家で作るのだった。

妹と一緒に庭へ出て、柏の葉を拾わされたことを覚えている。なるべくきれいな葉を選ぶのである。穴の空いたものや、虫に食われたものは駄目だった。

子どもの頃は理由なんて考えていなかったが、あの時間だけは妙に記憶に残っている。

我が家の柏餅は、いわゆる和菓子屋で売っているようなものとは少し違っていた。つるりとした餅ではなく、時にはベーキングパウダーを使った、饅頭に近い生地のようなものに餡を挟んでいたこともある。

今思えば、かなり独特だったと思う。ほかでは食べたこともないから。

それでも、美味しかった。

蒸した湯気と、柏の葉の匂いが混ざって、家の中へ広がっていく。他の柏餅とは違っていたけれど、あれがうちの柏餅だった。

父が飾った五月人形の前には、山盛りの柏餅が供えられていた。

それを家族みんなで食べる。

ただ、それだけのことなのだけれど、今になると、あの時間そのものが懐かしい。私は新聞紙で折った兜をかぶっていた。

あれが妙にうれしくて、自慢だったのである。折り目のついた新聞紙のインクの匂いまで、なんとなく覚えている。

でも、もうあの折り方を思い出せない。

今日、スーパーの入り口近くで、小さな柏餅を見つけ、思わず買ってしまった。三つで一パックになっている、ごく普通の柏餅である。透明な容器の中に、きれいに並べられていた。

それを見ているうちに、建て替える前の家の庭を思い出していた。

買ってきた柏餅を仏壇へ供え、父と母と昔話をしながら食べた。

庭の柏の木のこと。
葉っぱを拾いに行ったこと。
新聞紙の兜のこと。

思い出すのも供養のひとつだという。
ならば、これでよいのだろう。


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