見出し画像

切磋琢磨する競争と、片方が研磨剤になる競争。

こんばんわ。風山ふみです。

最近、塾を経営されている方とお話しました。

その塾では、普通の学習指導に加えて「学びたことを学ぶ」探究学習の時間があるという面白い塾です。

その方と話す中で、確かに違うなと思ったことがあります。

今回は、「競争と切磋琢磨」について書いていこうと思います。



まず切磋琢磨は、みなさんご存知の通り、
互いに高め合うって意味です。

学校現場で切磋琢磨というと、たいてい競い合って互いに高め合うというシチュエーションで使われます。

テストの点数だとあいつに勝った、あいつに負けたとかから「次こそは」「次もまた」と点数を高くしていく…というのが、学校で理想の切磋琢磨なのではないでしょうか。


ただ、もちろん、ポジティブに終わるわけでもありません。

競争する中で負け続けていれば、どれだけ頑張っても、相手に追いつけないのですから、自己効力感(やればできる!自分で何かは変えられるんだ!という感覚)は徐々に落ちていく。

自己効力感と学力には相関性がある
という研究もあるので、ここから学力は変わらない、
悪ければ、下がる一途を辿るかもしれません。

嫌な言葉ではありますが、
競争で一位の人と、下位の人では、
当然受験で合格できる学校の学力にも差が出てきますので、
早ければ中学受験から、高校受験、大学受験と
どんどん差が広がっていきます。

何より問題なのが、
競争によって自己効力感が失われ、
勉強そのものが嫌いになってしまうこと。

どんだけ頑張っても成果がでない
こんな状態にずっとい続けると学習性無力感と呼ばれる鬱状態になります。

先ほど受験の例を出しましたが、
もし高校受験で差ができてしまっても
その高校で学力を高めることができれば大学で追いつける可能性もあります。

ただ、学習性無力感により、勉強が嫌になってしまうと、それをすることすらできなくなってしまう。

結果はどうあれ、
競争は格差を生む。



では、どう言ったときにポジティブな競争と格差を広げてしまうネガティブな競争が生まれるのか。

あくまで私個人の考えだが、
自分の内発的な強い動機における競争はポジティブな競争になるのではないか。

自分の内発的動機における競争は、
高い順位や点数などの評価が目的ではない。

自分の「好き」や「やってみたい」、「作ってみたい」「知りたい」といった本当に自分の中から溢れ出してくるピュアな欲望を満たすことが目的だ。

陸上の100m走なら自分の成長や走ることそのものが目的だし、ロボコンならより良いロボットを作ることが目的だ。鳥人間コンテストとかは「遠くへ飛ぶこと」とか「みんなで機体を作ること」そのものが目的だ。

こういった自己内発的な動機があると、そこへ向かうことがゴールであり、順位はただの評価でしかなくなる。もちろん評価は評価として悔しがったり、嬉しいものだが、どちらにせよ止めることはない。
むしろ高い順位はモチベーションになり、
低い順位は先輩とライバルを見つけることとなる。


競争における切磋琢磨はこう言った状態で起こる。

でもそうでない、
さっき書いたようなネガティブな競争だと
ただの自己効力感を下げるだけになる。

今は、その競争は自己内発的な目的がゴールなのか、考えずに全部の競争を切磋琢磨としてしまっている気がする。

それだと、競争の中で落ちこぼれてしまった人は、学習性無力感へと向かっていく。もっと頑張れよ!と言われても、当然自分ごとでないのだから、やる気も出ない。他人事だ。

モチベーションもなく、ただ傷つくだけの競争は決して楽なものではない。

結果として、競争に参加することを諦める。

なんで最近の若者は負けてるのに悔しくないんだろう?
って思っている人は、おそらくここが原因だと思う。

勝った方はモチベーションになるが、
負けた方はやる気をなくしていく。

こんな状態は切磋琢磨なんて口がさけても言えない。

相手を研磨剤にして片方の刃を研いでいる状態だ。


ここまで、良い競争、すなわち切磋琢磨する競争とは?というテーマで書いてきた。

ここからは競争以外の切磋琢磨の方法について考えていこうと思う。

そもそも競争は切磋琢磨としてはあまりいい手段とは言えない。

ここまでも書いた通り負けた方は自己効力感が下がることに加えて、仕向けられた競争だと、勝てば不健全な自己肯定感を育む可能性もある。

加えて競争なのだから、差も生まれる。学力競争だと、受験のための塾(鉄緑会とかわかりやすいけど)に入るための費用も必要になるのだから、親ガチャみたいな要素が大きくなる。大卒と高卒では生涯年収が5000万以上も違うと言われるほどなので、また同じように競争による格差のサイクルが起きる。

つまりは、格差の固定とそれによって学習性無力感を植え付けることとなる。

切磋琢磨の意味である互いに高め合わないなんてことがザラに起きているのだから、これはいい切磋琢磨の方法とは言わないと思う。

じゃあどうしたらいいのか。

  1. 「学びたい」の制限を取り払う。

  2. ともに学ぶ場としての学校にする。

この二つこそが解決策なのではないか。

今日はここまでにして、この二つについてはまた今度書いていこうと思う。

もう眠い。
し、
2000文字も超えてるので、これ以上書いても駄文になる気がします。

惰性で書いても全く参考にならないだろうし、私の本音にも近づけない。

そんな無駄な文章、私なら読みたくありません。

だから今日はここまでにして、最後に今日のまとめをします。

  • 現在の「競争」の問題点:

    • 学校での競争は、負け続けると自己効力感を低下させ、最終的に学習性無力感(勉強嫌い、鬱状態)を引き起こす。

    • この種の競争は格差を固定化・拡大させる。

  • 真の競争と切磋琢磨の条件:

    • 高い順位や点数ではなく、自分の内発的な強い動機(好き、知りたい、作りたい)を満たすことを目的とする競争。

    • 内発的動機に基づく競争では、結果は評価に過ぎず、学習の継続やモチベーションの糧となる。

  • 解決策:

    • 競争は切磋琢磨として不適切である

    • 「学びたい」の制限を取り払うこと

    • ともに学ぶ場としての環境を作ることが重要


本当に最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

これを読んだ感想・教育を変えさせない社会への解決策・教育についてのモヤモヤがあればぜひ教えてください!(おもろかった!でOK)
それよりも絶対に大きい熱量で返します笑

次回は
「学びたいの制限を取り払うこと」
という話をしていこうと思います。

▼次回(書き次第設置します)

▼考える材料になりそうな記事(考えるヒントになったら嬉しいです)
勉強が嫌になる授業は、本番である「人生」でハンデになる。
「校則」から考える学校の民主主義。
最近のプライド高いくせに能力が低くて他責的ですぐ病む若者の作られ方。
風山ふみの名刺|リンク集、活動内容

それではまた👋



いいなと思ったら応援しよう!

ふみ|元不登校高校生の奮闘記 もしよければ15歳にお小遣いをあげてやってください。 いただいたお小遣いは挑戦と本に使います。