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キングダム|秦の趙攻略<図解>update

ネタバレ⚠

史実を交えた考察のせい?で、少し混乱しそうな記事になってましたので、改めて漫画キングダムにおける趙攻略をまとめておきたいと思います。

また、今後の展開についても、それほどネタバレすることなく図解という形で掲載しておきます。(それでもネタバレはしますので、ご注意を)

趙攻略図解

コミックスでは、鄴の戦い(紀元前236年)まで進みましたね。ヤングジャンプの本誌キングダムでは、現在平陽の戦い(紀元前234年)に突入するあありです。

例えば、平陽の戦いの趙軍は史実によると10万人以下となっているのですが、キングダムでは趙本陣が15万ということで描かれていますので、キングダムに忠実な資料にしています。

そこから武城の戦い(正式にはその名称はなく、平陽の戦いの一部として存在しています)に移行し、なんと同じ年に現・石家庄市あたりの肥下の戦いもやってしまうのです。目まぐるしい1年になりますね。

肥下の戦いについては記事を書きました。

この図解だけで、いかに桓騎軍の機動力が優れていたかが分かります。李牧然り。

番吾の戦いでは、参戦した秦の将軍が誰なのか、史書からは分かりませんでした。秦軍の兵力が史実では30万人とあるので、恐らく王翦クラスの将軍なのでしょうけど…私は王翦ではないと思っています(キッパリ)。ネタバレしそうなので伏せておきますが、原先生がどのように描くのか今からとても楽しみです。

たくさん書いてしまいそうなので、今日はこのあたりで止めておきたいと思います(笑)。

<追記2025.10.3>
キングダム本誌の対趙攻略戦に進展がありましたので、記事を書きました。

上記の記事にも載せましたが、史料に基づく秦軍の布陣図を載せておきます。

著者作成|秦軍による趙攻略戦・布陣図

邯鄲は地形的にも要塞でしたが、秦軍に包囲されるとは考えてなかったのかもしれません。秦軍は、ひょっとすると趙の王族が逃げることを見越して、北方の包囲網を緩くしていた可能性もあります。あえて蓋をせず、北方に逃亡させたのですが、その北方で布陣していた李信軍が趙の王族を捕まえきれなかったのかもしれません。逃げるところまでは想定内、ただし逃げ切られたことは想定外だった可能性です。その段取りを整えていたのが、生前の李牧だったのでは…と考えると、李牧の凄さがまた一段とクローズアップされそうです。

一方、李信は趙の王族を取り逃がしたことになりますが(代国はそのおかげで建国できた)、趙攻略戦後の楚攻略戦もヘマをしてしまいます。これは敵将アッパレでもあるのですが、どこか憎めない李信将軍の「人間らしさ」が垣間見えるエピソードです。

お読み頂きありがとうございました。他の記事は下記から読めます。


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