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絶訪シリーズ|日吉大社~大山咋神に迫る

密かに自分自身が楽しみにしている「絶訪シリーズ」=「絶対訪れるべき場所シリーズ」です。今回は滋賀県にある日吉大社を訪れました。

以前、吉野ケ里遺跡を訪れた記事の中で、日吉大社について少し書きました。最初にこちらを読んでもらえると、色々と繋がってきます。

記事に書いた通り、私は大山咋神の父が猿(大年神)とは思ってません。

猿は原住民・原住氏族の象徴であり、侵略者がこの土地を収奪した結果、信仰神としてすげ替えたのが大山咋神だったと考えています。ただ、机の上で考えるだけではダメで、実際にその場所に訪れて肌で感じることも大切にしたいと思ってきました。先日訪れた諸塚山もそうです。

日吉大社へ

琵琶湖のほとりの温泉宿に泊まり、翌朝一番で全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮へ。神社はやはり、人が少ない朝に訪れるのが最も良いですよね。

日吉大社・散策マップ

この神社の始まりとされる金大厳までは、平地から30分強の登山になります。簡単な気持ちで歩き始めたわけですが、割としっかりした登路が30分ほど続きます。マップの簡略化された道に騙されてはいけません。そこそこ険しいのですが、そういう記載は当然なく…心の準備が足りなかったようです。諸塚山然り…最近、登山ばかりしてますね。

登頂しますと、そこには琵琶湖を見下ろす素晴らしい景観がありました。

金大厳を背にして、眼下に広がる琵琶湖

この景観が見れただけでも、30分の登山をした甲斐があったと思います。しかしよくこのような場所に神を祀ったものです。

大年神と大山咋神

原始的な山神としての猿(大行事権現)は、日吉大社の最古の祭神とされています。猿=大行事権現は、神名・大年神と呼ばれ、日枝神社の主祭神・大山咋神の父にあたる神です。でもこれは後世の創作だと思います。

最古の祭神(地主神)である猿神(山神)を信仰の中心から追い出して、新たに大山咋神を信仰の対象としたことは、おそらくこの地にいた原住民・氏族を殺戮して、あらたな信仰神(大山咋神)にすげ替えた結果ではないでしょうか。

猿(原住民氏族)は神の使いに降格させて、怨霊が復活しないように未来永劫、人々に参拝させるようにしたのでしょう。その信仰の総量によって、怨霊が復活しないように、と『すげ替えた』側が考えたのだと思います。結果的に、今日現在(2025年7月)においても、数多の人々が日吉大社を訪れて祈りを捧げています。すげ替えた人たちの思惑通りではないでしょうか。

前述の記事の通り、先日訪れた吉野ヶ里遺跡にも日吉神社がありました。これも鎮魂でしょう。もともと日吉神社があった場所の地中から、石棺が見つかってます。石棺の中に殺戮した長の御霊を閉じ込め、怨霊封じをしたのだと思います。ちなみにその石棺の内側には、朱(ベンガラと水銀朱)が塗られてました。朱を日本に持ち込んだのは…(長くなるので割愛します)。

立派な東本宮

最後に

私の妄想的偏見にならないように、神話や記紀との整合性なども最後に整理しておきたいと思います。長々しく書くこともできるのですが、今回はできるだけ簡潔に記載しておきます。

①『古事記』に登場しない大山咋神が「大年神の子」として組み込まれている点は、神話的整合性を優先した後付けの可能性を示していると思います。

②近江や山城地域で祀られていた複数の山神・地主神が「大山咋神」として整理統一されている形跡が見られます。

③天孫系中心の神話体系に合わせ、地方の土着神(国津神)であった大山咋神を形式的に高位へ組み込んだものと思われます。

④比叡山・松尾(松尾大社=秦氏)周辺に信仰の中心が集中しているのに対し、記紀における大山咋神の扱いは限定的であり、政治的整序の可能性が高いと考えています。

いかがでしょうか。私は渡来系秦氏の血を継いだ神功皇后の後裔が、諸々の理由で「すげ替え」をしたのだと考えています。つまり、天皇家です。

ただ、これが良いとか悪いとかではなく、記紀以前の日本を理解するためには、今の価値観を一度否定しつつ、当時の人々の気持ちになって考えなければなりません。日吉大社における厄除け・魔除けは、一般人が得るご利益である一方、神社としては怨霊に鎮魂の祈りを捧げるという対価にもなっているのだと思われます。その相互作用こそが、この地に中庸をもたらすのではないでしょうか。これは後世の、怨霊信仰に繋がります。

お読み頂きありがとうございました。


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