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キングダム第849話考察・契り

今回もネタバレ注意です。

いよいよ秦による趙攻略戦が開始されます。と言っても、秦は以前から趙攻略を狙ってきたわけですが、その都度、趙・李牧によってその野望を打ち砕かれてきました。その李牧は、運命の戦に立ち向かう前に、カイネと契りを交わした…という回です。

今までの流れを含め、以前書いた記事をご覧ください。

本題に入る前に、キングダム本誌では、予想通りヨコヨコが飛信隊に加わりました。

もし韓・新鄭が無血開城するのであれば、洛亜完とヨコヨコは秦軍(しかも飛信隊)の傘下に入るのではないでしょうか。今回の韓攻略戦は、「消耗せずに攻略すること」が至上命令であり、消耗しないばかりか戦力を増強させて他国攻略戦に向かう…という流れがあっても良さそうです。

第806話考察「三つの選択」より

残念ながら洛亜完はあえて秦の軍門に下る道を選ばず、趙を去りました。一方、ヨコヨコは飛信隊の新戦力として陣営に加わったのです。我ながら鋭い予想だった気がします。ヨコヨコ、かなりやりそうな気がしてます。

第894話「契り」より

さて、ここからが本題です。

紀元前232年、番吾の戦いで趙軍に敗れた秦軍は、それから3年後の紀元前229年に改めて趙に侵攻します。その「最後の趙攻略戦」について史料から分かることをまとめました。


📌 秦による趙攻略戦と邯鄲の陥落(紀元前229年〜前228年)

🔍 概略

秦は戦国時代末期に韓に続いて趙を征服するため、紀元前229年に大規模な攻撃を開始しました。趙は名将・李牧(りぼく)の指揮のもと、秦の攻撃を何度も防いでいきしたが、秦は間諜工作を用いて趙国内部を崩壊させることに成功するのです。


⚔️ 邯鄲攻略戦の経緯と戦況

  • 秦の三軍による包囲作戦:紀元前229年、秦は王翦(おうせん)・羌瘣(きょうかい)・楊端和(ようたんわ)の三名の将軍を率いて、趙の首都邯鄲を三方から攻撃しました。また、別働隊として李信(りしん)が太原・雲中から趙北部の代郡を攻撃しました。

  • 趙の防戦と李牧の活躍:趙は李牧と司馬尚(しばしょう)が指揮する軍隊で防戦を行い、秦軍と対峙状態に入りました。秦軍はなかなか前進できず、戦況は膠着しました。

  • 秦の謀略と李牧の死:秦は趙の大臣・郭開(かくかい)を買収し、李牧が反逆を企てていると趙王に讒言(ざんげん)させました。結果、李牧は解任され、さらに逮捕⇒獄中で殺害されました。

  • 邯鄥陥落:李牧が失われた後、趙軍は崩壊。紀元前228年、秦軍は邯鄲を占領し、趙王・遷(せん)を捕らえて房陵(ぼうりょう)に流放しました。


💀 戦死者数・被害について

  • 邯鄲攻略戦そのものの具体的な戦死者数は、史記などの古代史料には明記されていません。

  • しかし、秦と趙の間で行われた長平の戦い(前260年)では、趙軍の戦死者が45万人とも言われており、趙の戦力はその時点で大きく消耗していました。(番吾の戦いでの戦死者数も不明)

  • 邯鄲攻略戦は長平、番吾の戦いの後の戦であるため、趙軍の戦力はかなり減退していたと思われます。秦も大国・楚との戦を控えており、邯鄲攻略戦は大規模な戦闘は避けられ、包囲と謀略が中心だったと考えられます。実際、楚との戦には相当数の兵士を動員してます。

🧭 最新の考古学的・史学的発見

  • 邯鄲周辺での考古学的発掘により、戦国時代の城壁跡・兵器・遺骸が確認されていますが、邯鄲攻略戦そのものを直接裏付ける遺跡は現在のところ明確に特定されていません。

  • ただし、秦の間諜活動や情報戦の存在は、新出の簡牘(かんどく)史料里耶秦簡などから間接的に裏付けられるようになってきました。

  • また、李牧の死に関しては、従来の史記の記録に加えて、趙の内部政治的対立が強調されるようになってきており、「謀反」は秦の策略ではなく、趙国内の権力闘争の結果だったという見方も一部の研究者から示唆されています。

最後に

史実では、大規模な戦闘はなかったのではないかと考えられます。一方で、キングダム本誌では総力戦として描かれるでしょう。趙にも曲者の将たちがまだ存在してますし、彼らを登場させずして趙が滅ぶのはかなりの尻すぼみになってしまうからです。

史料をもとに分析をしますと、秦としては趙攻略後も統一に向けて攻略戦が続くことになるため、兵力の消耗を避けたように思います。なぜなら、前述の通り、楚との攻防が大規模だからです。

秦の天敵・李牧との最後の交戦を楽しみましょう。




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