本質を見抜く力──ヒップホップが教えてくれた“仕事の割り切り方”【後編】
■ ラップが“音楽ジャンル”として独立しそうだった瞬間
パブリック・エネミー
Boogie Down Productions
KRS-One
彼らが台頭した90年代初頭、
「ラップはヒップホップから独立して“音楽ジャンル”になるのでは」
という期待があった。
しかし、結局そうはならなかった。
理由はシンプルで、
ラップはヒップホップで、ヒップホップは若者が中心となる文化だったからだ。
■ ラップは「音楽」ではなく「生き方」
ヒップホップが世界を席巻したのは、音楽がすごかったからではない。
“生き方”としてのヒップホップが、若者の憧れを全部さらっていったからだ。
だからこそ、ラップには“年齢の壁”がある。
• 若さ
• 旬のカッコよさ
• ストリートの空気
• その時代のリアル
これらが価値の源泉だから、歳を重ねるとロックのように“生涯スター”でいるのが難しい。
この違いを象徴するのが、
RUN D.M.C. とエアロスミスが共演した「Walk This Way」 だ。
1986年、ロックの象徴であるエアロスミスと、ヒップホップの象徴であるRUN D.M.C. が手を組み、
ロックとラップの“橋渡し”をした歴史的な曲。
しかし、その後の歩みは大きく分かれた。
エアロスミスは、歳を重ねてもロックの象徴としてステージに立ち続けられた。
ロックは“音楽そのもの”が価値の中心にあるから、年齢を重ねてもスターでいられる。
一方で RUN D.M.C. は、ヒップホップの象徴であり続けながらも、
文化の主役が常に“若者”であるがゆえに、全盛期のパワーを維持することが難しかった。
ラップは音楽単体ではなく、
ヒップホップという文化の中のパーツとして存在している。
だからこそ熱狂を生むし、だからこそシビアなのだ。
そしてこれは、仕事にもそのまま当てはまる。
ラップが「音楽」ではなく「生き方」だったように、
仕事もまた“職業”ではなく“生き方”だと自分は思っている。
仕事を生き方として捉えた瞬間に、
何を選び、どこに力を注ぐべきかが一気にクリアになる。
■ “反逆”は数年で“説教”に変わる
パブリック・エネミーも、KRS-One も、デビュー当時は若かった。
彼らの尖った主張は、若者の反逆そのものだった。
社会への怒り、構造への批判、ストリートのリアル。
それらは若者の代弁者として圧倒的にカッコよかった。
しかし、数年が経つと状況が変わる。
同じ主張を続けていても、
それが“若者の反逆”ではなく、
大人の説教のように聞こえ始める瞬間が来る。
ヒップホップ文化は、その変化にとても敏感だ。
若者の文化である以上、説教に聞こえた瞬間に、文化の中心から外れていく。
どれだけ音楽的に優れていても、
どれだけ社会性があっても、
ヒップホップという文化の宿命から逃れることはできなかった。
■ この本質を、勝ち組Bボーイたちは見抜いていた
ただし、この“文化の宿命”を早い段階で理解していたBボーイたちも多かった。
だからこそ、ラッパーとして成功したあと、ビジネスでも成功した人物が何人もいる。
この記事では詳しく触れないが、わかりやすい例を挙げるなら
「I'm not a businessman; I'm a business, man.」
「俺はビジネスマンじゃない。俺が “ビジネス” そのものだ!メーン」と
声高らかにラップしたJay-Z だ。
彼は、
「ラップは一生続く職業ではない」
という本質を早くから理解していた。
だからこそ、
ラッパーとしての経験・学び・信用をビジネスに転換し、
巨大な成功をつかんだ。
片や RUN D.M.C. は、
もしかするとこの“文化の本質”に気づくのが少し遅れたのかもしれない。
彼らはラップを世界に知らしめた、ヒップホップ史上最大の功労者であり開拓者だ。ただ、あまりに先駆者であったがゆえに、当時はまだ「出口戦略」(ラッパーとしてのキャリアを、次にどう繋げるか)という概念自体が存在しない時代だった。 あるいは、彼らはあえてそこに気づく必要もなかったのかもしれない。RUNの実兄は、後にヒップホップ最大のレーベルとなる「Def Jam Recordings」の創設者、ラッセル・シモンズだ。彼がいち早くビジネスを切り回していたからこそ、RUN D.M.C.は純粋なヒップホップのアイコンであり続けることができた、とも言える。 何よりラッセル・シモンズは、Jay-Zたち後続のスターたちが「追いつけ追い越せ」と背中を追いかけた、ビジネス手腕への憧れの象徴でもあった。
■ ここからビジネスの話につながる
この「本質を理解していないと、努力がズレていく」という構造は、
実はビジネスでもまったく同じだ。
自分が仙台で飲食店を多く経営している社長と話したとき、
その人がこう言った。
「カズさん、僕は飲食業をやってると思われてますよね?
違うんですよ。自分は“人材教育業”なんです。」
当時は正直ピンとこなかった。
でも、自分も50名ほどスタッフを雇うようになったとき、
その言葉の意味が骨身に染みた。
店舗ビジネスは、人材を育てない限り絶対にうまくいかない。
料理でも内装でもなく、
“人”がすべてを決める。
あの社長は、ずいぶん早くから本質を見抜いていた。
■ 本質を見抜く力がないと、努力はズレる
ヒップホップもビジネスも同じで、
本質を理解していないと、どれだけ努力しても成果が出ない。
ラップを“音楽”として捉えていたら、
自分は間違いなく遠回りしていた。
飲食を“料理業”として捉えていたら、
あの社長はあれほどの規模を作れなかった。
仕事も文化も、
本質を見抜いた人だけが、正しい場所に力を注げる。
■ 割り切りとは、冷めていることではなく「本質を掴んでいる」こと
かつて、自分がラッパーとして活動していた頃、親は私の将来を心配していた。「いつまでそんなことを続けるのか」「それで食べていけるのか」と。
しかし、自分の中では少し違う感覚があった。実のところ、当時から「音楽一本で一生食べていく」というこだわりはなかったのだ。
自分が惹かれていたのは、ラップという音楽を含めた「ヒップホップという文化」そのものだった。
この文化をベースに、何か大きな仕事を成し遂げたい。そのためには、まずプレイヤーとして、ラップで名前を売らなければ何も始まらない。そう考えて、必死にマイクを握っていた。
親から見ればそんな理屈が通じるはずもない。私はただの「夢を追う、売れないミュージシャン」にしか映っていなかった。そのギャップに、自分自身も葛藤しなかったわけではない。
確かに、現状はそのように見えてもしょうがない状況だったからだ。
そして、自分が考えていることが間違っていたら、本当に売れないミュージシャンのまま人生において大切な20代30代を過ごしてしまうことになるからだ。
しかし、そこを乗り越えるしかないと割り切っていた。
割り切りは、諦めではなく、生き方を選択し、挑戦するために必要だった。
ヒップホップは一生好きだし、一生聴き続ける。 でも、自分がやっているのは単なる“音楽活動”ではない。 ヒップホップという文化の中で、 自分の生き方をつくる作業をしていただけだ。
そしてその“本質を見る癖”は、 今の仕事にもそのままつながっている。 ヒップホップは、今でも自分の生き方のOSとして動き続けている。
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