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「産まないと決めた日」第3章

こちらは創作大賞2024に応募した作品であり、フィクションになります。
物語はプロローグ、第1章から始まり、第7章、エピローグまで続きます。noteでは7話にわけてアップしています。ぜひ最後までお楽しみください。
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第3章 私の人生


崩れゆく我が家

高校生活は充実そのものだった。流石に勉強に関しては、上には上がいるということを思い知らされたが、そんな友人達との会話が何よりも楽しかった。

ディベート討論会はもちろん、生徒会の仕事にも積極的に参加した。男子だから、女子だからと言われることはなく、意見を述べるのに性別は関係なかった。求められたのは論理性であり、根拠であり、データであり、そして経験から自分自身が考えることだった。

おかしな風習や慣習にはおかしいと言える仲間が高校にはいた。
部活は中学校に引き続き、英会話サークルに所属し、英語でのディベートも行った。毎日が刺激的だった。

ただいつしか、地元の英語劇サークルにはいかなくなっていた。 
性的役割を強要されるあの場にいることに限界を感じたのだ。そして町おこし協力隊で参加してくれていた海外の人も、町の慣習に馴染めず、一人減り、二人減り、と少しずつ去っていった。

そんな高校生活の充実度に反比例するかのように、我が家の中は崩壊寸前だった。

祖父はあの時の骨折が原因で、ほとんど寝たきりの生活となっていた。週に何回はヘルパーの方に来てもらってはいたが、日常の介護は祖母と母が担っていた。
寝たきり生活で刺激がなくなったのか、少しずつ認知症の症状も出てき、それがさらに母や祖母の手を煩わせることとなった。

母はたびたび「ふもとの女子高に行ってくれていたら、少しは家のことをやってもらえるのに」と言うようになった。
今でいうヤングケアラーのような役割を娘に求めたのだ。

私はそんな家にいることが苦痛となり、より外の活動に目を向けるようになった。雪の降る季節は、ふもとの駅まで行くのが大変ということもあり、次兄のマンションに泊まることも少なくなかった。隣県といえ、高校からは次兄が住んでいるマンションの方が圧倒的に近くて通学が楽だったのだ。実際、冬だけふもとの街で下宿させる親も少なくなかった。

次兄に彼女がいたかどうかは定かではないが、洗濯や掃除をしてくれる妹は案外便利な存在だったようだ。料理は次兄の方が上手かったので、私の出番はほとんどなかったが…

父は徐々に家に帰って来なくなっていた。出張というのは口実で、実は外に女性がいるのではないか?と次兄は言っていた。私同様、特に雪の時期になるとほとんど家にはいなかった。
もちろん、当たり前のように介護は母と祖母任せだった。父にとって「介護は女性がするもの」という認識だったようだ。

そんな中、少しずつ祖母の物忘れが酷くなり、行動もおかしくなってきた。特に祖父に手がかかった直後は、祖母の様子のおかしさは顕著だった。
祖父だけではなく、祖母にまで手が必要になりはじめたのだ。
認知症とまではいかないが、突然出かけて帰って来ないことが何度かあった。幸い徒歩で行ける範囲は限られており、近所の人がみつけてくれることがほとんどだった。

母は祖父に加えて、祖母からも片時も目が離せなくなってしまったのだ。介護に来てくれているヘルパーさんやケアマネージャーさんからは、祖母を施設に預けることを勧められたが、父は頑なに首を縦にふらなかった。

自分は自宅にほとんど帰っても来ないにもかかわらず、「施設に預けるなんて佐伯家の恥だ!おまけは俺に恥をかかせたいのか」と母を怒鳴りつけた瞬間は、流石の私も父に殴りかかりそうになったが、その場に居合わせた次兄に止められた。

その後、祖母は次兄とケアマネージャーさんが相談して、時折ショートステイを利用しながら過ごしていた。
私はというと、自宅では集中して勉強が出来ないことを理由に、次兄のマンションから高校に通う日が徐々に増えていった。

そんな最中、13歳上の長兄は大学時代の同級生の女性と結婚した。

両親は同居して、介護を担ってくれることを当たり前のように考えていたが、そうはいかなかったようだ。結局実家から1時間ほど離れたところにマンションを借りて住んでいる。

長兄の彼女は、結婚前に3つの条件を兄に提示したらしい
・同居はしない  祖父母の介護もしない
・産休・育休を取得して働き続ける 
・家事育児は分担すること

「佐伯家に対してしっかりとこの手の先手を打てる長兄のパートナーはただモノじゃないな」と次兄は笑いながら語っていた。

女子は地元に

あおいもいつしか高校3年生になっていた。そろそろ次の進路を考えなければならない時期だったが、3年前の高校進学の時のやり取りを思い出すとあおいは頭が痛くなりそうだった。
高校進学は県外にいくわけではない。県内の話で済むからこそ、祖父の一声でなんとかなった。ただ大学進学はそう簡単にはいかない。

最近はすっかり次兄のマンションに住みついており、家に帰るのは週末ぐらいなものだ。母も祖父母の介護に忙しく、その点に関してはほとんど何も言わなくなった。というより諦めているのかもしれない。
ただ二言目には、「お願いだから大学は地元の短大にいってちょうだい!!」と言ってくる。面倒なので返事もしないで立ち去っているが、そろそろ本気に考えないと、私はいつまでもこの土地に縛り付けられたままだ。

「地元から出ていくなら今しかない!」そう考えたあおいは、親の意向を無視して大学の受験先を選んだ。次兄と同じ隣県の国立大学でもいいが、もう少し遠くにいきたい…そう思ったあおいは、関西の国立大と私立大、私立の短大を受験することにした。

東京ではなく関西にしたのは、家賃や生活費の安さにあった。親から生活費は出さないと言われた時のためにも、少しでも安い地域を選んでおいた方が良いだろうという次兄のアドバイスからだ。
短大を受験に加えたのも次兄のアドバイスからだった。実はこの次兄の判断が、最終的にあおいを救うこととなったのだ。

大学受験に関しては、「地元の短大の受験費用と学費以外は一切出さない。どうしてもよそに行きたければ好きにすればいい」と父は無関心を決め込んだ。
大学受験は受験料だけでも最低30,000円は必要だ。そこに交通費や宿泊費も必要になってくる。あおいに準備できるわけがない…そう父は高をくくっていたのだ。

ただその点に関しては、次兄も抜かりなかった。実は祖父からあおいの通帳を預かっていたのだ。そこにはあおいが将来何かあった時にと200万入っていた。
次兄は、200万あれば、両親があおいの大学の費用を1円も出さなくても、短大の2年間なら奨学金とあわせてなんとか出来るだろうと考えていた。短大なら、あおいの学力があれば特待生になれる可能性だってある。

結果的に関西の私立大学、私立の短大に合格した。国立大は高望みをしすぎたのだろう、合格することは出来なかった

次兄の読み通り、1円足りとも両親は大学の費用を出すつもりはなかった。短大であれば特待生になれるということもあり、あおいは最終的には短大への進学を決め、生活費に関しては奨学金を借り、残りはバイトでまかなうことにしたのだ。

祖父が用意してくれたお金は、本当に困った時にだけ使おう…そう思い通帳と印鑑を鍵付きのケースにしまった。
父は「好きにしろ」とだけ言って、家を出ていったが、母は最後まで何か言いたそうだった。

実は地元の短大の願書を母が勝手に出して、受験料も振り込んでいたのだ。次兄のマンションに母から受験票が届いた時はちょっとした恐怖だった。
私が呆気にとられている間に、兄はその受験票の写真だけをとり、そのままシュレッダーにかけた。

ちなみに次兄は次兄で親に黙って、東京の企業から内定をもらっていた。地元の県若しくは隣県で就職するだろうと思っていた父は怒りに震えていたらしいが、そんなこと知った事ではないというのが次兄の意見だ。

「自分の人生は自分の物」それが次兄の口癖だった。やっぱり次兄は強い。春になって私は関西へ、次兄は東京に引っ越した。

無念 地元へ帰ることに

大学では国際社会について学べる学科に入学した。世界の貧困問題から、ジェンダーの問題、女性差別、児童労働など幅広い課題に向き合った。

その中でもあおいが特に関心を持ったのが児童労働に関してだった。低価格で使い捨てのように使われる商品の一部は、このような子ども達の手で作り出されているのだと知った時は、ショックを隠しきれなかった。
将来はこのような子どもを支援できる事業に関わりたいと、あおいは考えるようになっていた。

大学は4年制大学と併設しているということもあって、他にも様々な授業が行われていた。その中のひとつに、日本の女性を取り巻く地域格差を研究する教授もいた。授業の単位とは関係なかったが、あおいは足しげくその教授の授業に通った。

その教授の話がどうしても他人事とは思えなかったのだ。
あおいの境遇をしった教授は、あおいに4年制大学への編入を勧めてきた。そしてあおいに様々な特待生制度や返済義務のない奨学金制度を教えてくれた。

2年生の秋、いくつかの私立大学の編入試験にあおいは合格した。ただ、特待生制度や返済義務のない奨学金はどれも通らなかった。
11月、当たり前だが短大生の就職活動は終了し内定が出ているタイミング。あおいは慌てて就職活動を行ったが、採用してくれる企業はどこもなかった。
「有利子の奨学金を追加で借りて大学に編入しよう」そう決めたタイミングで、長兄から連絡がきたのだ。

「今、そっちに向かっている。少し時間を作れないか?」と

指定されたのは昔ながらの小さな喫茶店だった。長兄は時折仕事で関西に来るときに利用しているらしい。顔見知りのマスターに頼んで個室を用意してもらっていた。

「営業時に戦略を練り直す時に使うんだよ」と長兄は言った。
そんな話をしていると、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。長兄に呼び出されて次兄もやってきたのだ。

2人が揃う…あおいは嫌な予感しかなかった。
「1回地元に戻ってこい」
長兄は重い口を開いた。次兄も静かに頷く。

嫌な予感は的中した。

「あんな女性を家事労働の奴隷としかみてないような町には戻りたくない。あの家に戻るなんて私は死んだも当然。」
そうあおいは小さく呟くしかなかった。

ただあおい自身、関西での生活に限界が来ているのはわかっていた。多額の奨学金を借りたところで、その後奨学金の返済に苦しむのは目に見えている。銀行員の長兄だからこそ、これ以上妹に借金を背負わせたくなかったのだろう。

「それに爺さんが脳梗塞になった。もう先は長くないだろう。最後ぐらい爺さんのそばにいてやれ」
祖父の一声があったから、希望する高校にいけた。祖父が通帳を次兄に預けていてくれたから関西の大学に入れた。

残念ながら、このまま関西に留まり続けるのは厳しい。
あおいは兄2人のアドバイスを聞き入れて、一旦地元に戻って体制を立て直すことにした。

ただあおいはこのままで終わるつもりはなかった。「地元にいるのは祖父を看取るまで」そう心に誓った。

勝手に進む結婚話

あおいは長兄の紹介で地元の観光協会へ契約社員として入社した。地元に短大卒の女性が正社員で働けるようなところはほとんどなかった。
観光協会であれば少しは好きな英語を活かせるのではないかという兄の配慮だった。

仕事内容は、お茶くみやコピー取り、電話番、観光協会の窓口業務など事務的なことが中心だったが、時折、日本語の観光パンフレットを海外からの観光客用に翻訳したものに作り変えたりしながら、それなりに楽しく仕事はこなしていた。

年収は200万ちょっと。地方では女性としては相場的な金額だった。
奨学金の返済と英会話スクールの費用以外はほとんど貯金に回した。
貯金のために流行りの洋服もほとんど購入せず、最低限の服をローテーションした。メイクもプチプラで最小限のみ。コンタクトの費用ももったいないから眼鏡に変えた。中学、高校時代の華やかなあおいの面影はなかった。

お昼も簡単なお弁当を作っていった。ランチの時間はずっと英語のリスニングに時間をあてていた。そもそも社内に会話をするような同世代の女性がいないのも理由のひとつだった。
何人か女性のパート社員はいたが、口を開けばいつも子育てのこと、介護のこと、舅姑の悪口で盛り上がっていた。最初の頃は愛想笑いを浮かべながらその話を聞いていたが、そのうち、一人で近くの公園でお昼をとることが増えた。

車がないと不便な地域だが、車も購入しなかった。余計は出費を増やしたくないというのが一番の理由だが、父がほとんど帰って来ることもなかったために、乗られていない車が実家にあったのも大きかった。基本は公共機関とタクシーで移動したが、どうしても時は家の車を借りた。

これらすべていつか地元から出ていくための準備だった。
出来るだけ身軽にしておきたかったのだ。


ただただ職場と家を往復する毎日。そんな生活もそろそろ1年目になろうというタイミングで父が見合いの話を持ってきた。祖父が亡くなる前にあおいを地元の男性に嫁がせてしまいたかったのだ。

お相手は地元の役所に勤める男性。観光協会の仕事で何度か顔をあわせたことがある。口数少なく、物静かな男性だった。年齢はあおいより17歳年上。決して悪い人ではなかったが、周りの環境が最悪だった。

男性の家では、祖父母の認知が進み、母親だけでは介護が追い付かない。早く介護の担い手になってくれる嫁が必要だったのだ。まるで数年前の佐伯家と同じ状況だった。
あおいが生まれた地域よりさらに山間部にあり、家長制度や男尊女卑がより色濃く残る土地だった。現在3世帯同居で4世帯同居を希望している。田舎ならではのしきたりを重要視し、もちろん、あの嫌な祭りもある。

結婚式直前で婚約が破棄になったり、結婚式直後に離婚されたなど様々な逸話がある地域だ。そしてその男性もまた、お見合いはするものの、その地域での同居だけは避けたいと多くの女性に結婚を断られてきたのは噂話ながら聞いていた。

もちろんあおいも結婚する気もちは全くなく、何度、断ってほしいと言っても、父も母も聞く耳を持たなかった。あおいの意思などおかまいなしに、結婚する前提でどんどん話が進んでいった。

「女の幸せは、結婚して家庭に入って子供を産み育てることだ!!親の決めたことに文句を言うな」
父のこのひと言で、あおいの我慢は限界を超えた。

そんな騒動を横目に、祖父が静かに息を引き取った。満開の桜が咲く4月のことだった。父は祖父の葬儀後、苦虫を嚙み潰したような顔で何かブツブツと言っていた。
家長が亡くなった場合、1年は結婚式など華やかなことは出来ない。これがこの地域に続く昔ながらの風習だった。後1年、あおいを嫁にやれないことに父は歯がゆかったのだろう。

「1年は爺さんのくれた最後のプレゼントだな」
「自分の人生は自分の物」
次兄は火葬場の煙を見ながらそう呟いた。

そうこの1年こそ、あおいにとっては、この町から、この家から逃げ出す最後のチャンスだったのだ。

「あおいはあおいの人生を生きなさい」
そう、祖父が空から語りかけてくれる気がした。

第4話はこちら


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