⑩アロハ航空243便 天井脱落事故 前編 (1988年4月28日 CA1名行方不明)
1 事故発生に至るまでの状況
アロハ航空243便(243便)のB737-200型機は、パイロット2名、 客室乗務員(CA)3名、コックピットのジャンプ・ シートにFAA(米連邦航空局)の航空管制官1名(FAAの管制官は、操縦室席に無償で搭乗する権利が保証されている。)、そして乗客89名の計95名を乗せ、ハワイ島のヒロ空港を離陸し、オアフ島のホノルルに向かっていた。副操縦士が操縦し、離陸上昇終了まで異常はなかった。高度24,000ftで水平飛行に移った際、「バン」、「ヒュー」という音が操縦室入口扉の背後から聞こえた。続いて、猛烈な勢いで空気が後方へと吸い出され、副操縦士は、頭が後にグッと引っ張られるのを感じた。
操縦室内では物が宙を舞っており、機長が振り返ると入口の 扉は消え失せていた。ファースト・クラスの客室の天井部分には「青空」が広がっており、乗客の叫び声が聞こえてきた。幸いにも、このときシート・ベルト着用サイ ンが点灯していたため、乗客は機外への放出を免れたが、客室5列目に立っていたCA1名が、胴体左側の穴から機外に吸い出され、行方不明となった。
機長は、即座に操縦を取って代わった。機体は、僅かに左右にロールを繰り返しており、舵が利きにくい感じだった。パイロット2名とジャンプ・シートの管制官は、酸素マスクを着けた。機長は、スロットル・レバーを戻し、スピード・ブレーキを作動させ、機速280~290kt、4,000ft/minの降下率で「緊急降下」を開始した。 操縦室内では、あまりの騒音に、お互い手振りで意思の疎通を図っていた。機長は、乗客用酸素マスクを操作し、副操縦士はトランスポンダに緊急コード7700(緊迫した状態もしくは遭難状態)を設定するとともに、ホノルル航空交通管制センターにマウイへ針路変更する旨を伝えようとした。しかし、緊急事態宣言が受信されたのかどうかも分からない状況だった。
一方、ホノルル航空交通管制センターでは、副操縦士からの送信は受信できていなかったものの、243便を担当していた管制官が、レーダーのディスプレイ上にトランスポンダからの緊急コー ド7700を認めたため、243便との交信を何度も試みたが、副操縦士には聞こえていなかった。
CVR(コックピット・ボイス・レコーダ)には、天井部分が吹き飛んでからの5分間、 「(客室の)悲鳴」と「風の音」が記録されているものの、乗員の会話は記録されていな い。しかし、酸素マスクのマイクロフォンを通じて、乗員とマウイ管制との交信が次のとおり記録されていた。
13:45:43
副 操 縦 士:こちらアロハ 243、現在、降下中…(高度を)下げ…要請する。こちらアロハ 243。マウイ・アプローチ、こちらアロハ243
マウイ・タワー、こちらアロハ243
着陸するため(そちら)向かっている。
マウイ・タワー、こちら243
マウイ管制:もう一度、繰り返してください。
タワーを呼んでいる航空機は誰ですか?
≪243便、高度14,000ftを通過≫
副 操 縦 士:マウイ・タワー、こちらアロハ243、
着陸態勢に入っています。
現在位置は、えー、マケナの西…いやマケナの東で、13,000ftを更に降下しています。
そして、現在、急激な減圧…与圧がされていません。
緊急事態を宣言します…できれば…
マウイ管制:アロハ244ですか? 緊急事態なのは?
副 操 縦 士:アロハ243!
マウイ管制:あー、246?
副 操 縦 士:アロハ2・4・3!!
マウイ管制:アロハ243、位置は?
副 操 縦 士:ちょうど、えー、マケナ・ポイントの東、11,000ft を降下中、 …
マウイへ着陸の許可を要請する。
緊急車両等(の準備)を要請する。
マウイ管制:アロハ 243、OK、緊急機材は飛…、準備中
スコーク0343(トランスポンダに0343)をセットせよ。
(他機とはっきり区別できるよう意図した指示)
副 操 縦 士:OK です。
マウイ管制:アロハ 243、風向きは 040、15kt
アルチメーター(高度計の補正値)は、2999
送信が途切れがちです。 もう一度確認します。
コールサインは、244ですか? 243ですか?
13:49:47
243便は、約4分で11,000ftまで緊急降下し、ここで乗員は酸素マスクを外した。機長は、スピード・ブレーキを引き込み、フラップを下ろし始めた。 風による騒音もかなり減り、無線交信も明瞭になった。
機体は、操縦室の後から主翼前縁付近にかけての天井と側壁が、大きな音 とともに吹き飛んでいた。高度24,000ftというと、空気は薄く、気圧はかなり低い。これに対し、客室は1気圧に近い状態に与圧されているから、胴体の天井や側壁は内部から強い圧力をかけられた状態になっている。1985年8月12日の日本航空(日航)123便ジャンボ機墜落事故(御巣鷹山事故)の際は、この圧力差によって垂直尾翼と胴体尾部が破壊したと推定されたのだが、243便の場合は、 天井と側壁が吹き飛ばされた。天井と側壁がもぎ取られたところにいた乗客は、緊急降下の恐怖に怯えながら、さながら急降下するジェットコースターに乗車したときのような吹きさらしの状況になす術がなく、酸素マスクさえも使えなかった。ちなみに、標準大気では高度0ft(海面上)を基準(100%)とすると、高度 24,000ftの大気密度は約46%、大気圧は約39%である。また、24,000ftにおける大気温度は、-32.5℃(海面上は15℃の場合) である。
CAの一人が、次のように証言している。
「飛行機の真ん中辺りまで来たとき、「バン」という音が聞こえ、それと同時に足元をすくわれて…倒れました。気がつくと、誰かが私を掴んでいて、私は近くの座席の金属製フックにしがみつきました。何も見えませんでした。私は…床に横たわっていたんです。飛行機が降下し始め、気を失わないよう呼吸をするのに必死でした。酸素マスクを探そうともしましたが、息をする方が大事でした。辺りには残骸が散らかり、うっすらと水蒸気が立ち上っていました。(中略)客室の第3CAが、血を流して倒れていました。彼女は半ば瓦礫に埋もれており、乗客が数人がか りで彼女を押さえていました。」
また、乗客の女性は、次のように証言している。
「片腕の感覚はなくなっていました。その腕を中の方へ引っ張り込み、下を見る と、座席を固定している(一本の)レールがずれていました。それで座席が傾き、私は(腕もろとも)機体の外へ飛び出しかけていたんです。隣の男性が救命胴衣を着けていたので、私も手を伸ばして自分のを取ろうとしました。でも、座席が傾いていて手が届きません。(隣の男性に救命胴衣が)ないと言うと、近くの男性二人が手を伸ばして私を掴んでくれました。その後、私は両手で隣の男性にしがみつき、 その間に彼は私から手を離し、座席の下を探してくれました。でも、救命胴衣はありませんでした。そこで彼は身を屈め、私は彼の救命胴衣にしがみつく格好にな り、通路側の男性が隣の男性の後から手を伸ばして私を掴んでくれました。二人のおかげで、窓から落ちずに済んだのです。(飛行機から落ちないよう私を掴んでいてくれた男性は)外に落ちそうになっていたので、掴まなければと思いました。すると、その男性は、「あなたが落ちるなら、皆も一緒だと思ったのです」と話していました。大変感謝しています。私が今ここにいられるのも、偏ひとえに彼らのおかげです。」
その後の243便は、アプローチに入る経路変更でスロットルを進めたとき、左 エンジンが停止してしまい再始動もできなかった。というのも、客室床の変形によって、燃料制御ケーブルがカット・オフの位置で止まったからであった。床の変形で引っ張られた力はケーブルの設計荷重より低かったが、ケーブルの径が重度の腐食により減少していたため、この力によって切れたことが原因であった。ボーイング社は、1977年8月25日 付の サービスブリテン: 製造会社がユーザに出す技術情報(SB:737-SL-76-2-A)で、耐食ステンレス鋼のケーブルに交換するよう推奨していたが、アロハ航空は実施していなかった。
しかも、前脚のグリーン・ ライトが点灯しなかった(電球2つのうち 1つが焼けて切れていたこと及び部品の緩みが原因)ため、手動脚下げ操作をしたが、状態に変化はなく、ダウン・ロックを目視確認する点検口もジャンプ・シートの下で塞がった状況で確認できなかったが、機長らはマウイ島カフルイ空港への緊急着陸を成功させた。
着陸した機体を見て、誰もが息を呑み、言葉を失っていた。CA1名が、行方不明となり、別のCA1名と乗客 7 名が重傷を負った。その他の搭乗者は、意識を失ったり、耳などの圧障害を訴える者が多かったものの、無事生還を果たした。

事故後、女性乗客の一人は、「ヒロ空港で搭乗の際、横に伸びる胴体亀裂を見た」と述べたが、彼女は離陸前に乗員や地上クルーにそのことを伝えていなかった。また、ヒロ空港からホノルルへは折り返しの運航で、ヒロ空港到着後の機体外部の目視点検は要求されていなかったため、機長らは機内に留まったままであった。
事故機は、修復不能で解体され、部品又はスクラップとして売り払われた。
疲労の蓄積(ストレス)による衰え(老朽化)は
人も機械も逆らえない
2 事故発生の構図
事故や災害は、「まさか信じられない」と思うような形で起こることが少なくないとされるが、人の病気やケガも同じで、普段は疲労やストレスの蓄積が見えていないだけなのかもしれな い。一般的に、人は加齢に伴って、身体のあちこちに衰えが生じる。ケガも病気も薬の治療で済むこともあれば、場合によっては入院による手術や薬による加療が必要とな る。疾患のリスクを減らすためには、毎日のバランスのとれた食事と適度な運動とともに、睡眠をしっかりとって、暴飲暴食はもとより、過度な飲酒や喫煙を避けるなど健全な生活習慣が重要であることは、誰もが良く知るところである。それで も、先天的なものやストレスか何かで疾患が生じる可能性も否定できないため、定期健康診断が必要になる。年齢が高くなれば、疾患のリスクが高まるのは避けられない。精密検査(人間ドック)が必要なのは、こうした理由によるものなのだろう。
ならば、航空機のシステムも人と同様であると考えられないだろうか。機体は、定期検査で、異常や不調は認められなかったのか。どのような環境下で、いかに働かされ、翼を休ませ傷の手当を受けることができていたのか。この事故の本質は、正にここにある。
3 機齢に伴う疲労の蓄積と設計寿命
243便事故の後も、同様の事故が相次いで発生する。同年12月26日には、 イースタン航空のB727(機齢20年)が飛行中に尾部第2エンジン近くの天井に直径約 36cm の穴が開き、急減圧により緊急着陸した(乗員・乗客の負傷なし)。 翌89年2月24日には、ユナイテッド航空のB747(機齢19年)が、ハワイ上空の高度6,600ftを飛行中、突如胴体前部右側の貨物室扉から2階客室にかけての側壁が吹き飛び、前後方向約3m、上下方向約13mのほぼ長方形の大穴が開いて、乗客9名が吸い出 されるという痛ましい事故が発生した。これらは、 僅か10か月の間に3件の機体構造(与圧)に係る事故、それもボーイング社製旅客機3機種全てに発生したのだから、関連性が疑われることになった。

全ての工業製品には、耐用命数とか設計寿命というものがある。航空機の場合も同様で、経済設計寿命という。機体構造に大規模な修理をしない(大きなコストを負担しない)で、耐空性(安全性)を十分に確保し、運航できる飛行回数と飛行時間が機種毎に決められている。事故機のB737は、米国内での中・短距離運航に使用する中型旅客機として設計されたため、経済設計寿命は、飛行回数が多く、飛行時間は短く設定され、飛行回数が75,000回、飛行時間は51,000時間であった。また、耐用命数の尺度である経済サービス寿命は、標準的使用で20年と見積もられていた。243便(N73711号機)は、飛行回数で既に経済設計寿命の75,000回を上回る89,680回、35,496時間の飛行をしており、就航から19年が経過した機体であった。 ちなみに、N73711 号機は、当時世界中で運航されていたB737の中では着陸回数が2番目に多く、トップは同社のN73712で、3番目も同社のN73713であった。
さて、この事故から遡ること3年前の1985年、こうした危険性に航空関係者や報道の関心が及んだ事故が日本で起きていた。御巣鷹の尾根に墜落した日航123便ジャンボ機の事故である。航空機の単独事故として依然世界最大であるこの事故ほど、日本人に大きな衝撃を与えたものはなかった。
B747ジャンボ機は、長距離国際線(大陸間)の運航を想定して設計された機体であった。このため、B737とは逆に、B747の経済設計寿命は、 飛行回数が少なく、飛行時間が多く設定され、飛行回数は20,000回、飛行時間が 60,000時間であった。その後に設計された、B757の疲労強度試験では、40 年間の運航に相当する100,001飛行回数が、B777では、更にその1.5倍に相当する150,000飛行回数が実施されこととは大きな違いがあった。B747の疲労強度試験は、60,000飛行回数を行う予定としていたが、荷重のかけ方を工夫すれば、亀裂の進展は推定できるとして(実際のところは開発期間の短縮と経費削減が目的)、20,000飛行回数で打切った。ダグラスDC-8が、 112,000飛行回数のの疲労強度試験を実施していたことと比較すると、B747 (クラシック)の疲労強度試験は、明らかに少ない。欧州の航空各社は、疲労強度試験の回数が少な過ぎると反発したが、パン・アメリカン航空と日航は擁護したと当時の新聞が報じていたが、実に皮肉な結果をもたらした。
日航123便(JA8119号機)は、B747SR-100(SR:Short Range 短距離のこと)といい、日本国内の短距離運航を想定し、長距離国際線用のジャンボ機(標準客席数360席のLR型機、長距離Long Rangeのこと)のギャレーやトイレを削減、座席間隔をギリギリまで詰め、世界初最大となる527席の仕様に変更していた。基本構造は変更せず、離着陸回数の増加に対応して、フラップや脚、ブレーキなど一部強化したが、補強箇所は局限して製造され、点検検査の整備プログラムは他のB747と同一であった。これは、設計変更によるコスト増や着陸料に係る重量増加を抑えるのが目的であった。JA8119号機は、事故発生時点で飛行回数18,835回、飛行時間25,030時間に達しており、就航後10年(ボーイ ング社の保証期間)が経過した状態であった。
御巣鷹山事故発生の3日後、運輸省航空局(当時)は、B747の機体構造に何か問題があるのではないかと考え、ボーイング社が反発したものの、日本の航空各社に対し、「垂直尾翼と方向舵について一斉点検の実施」を指示した。すると、垂直尾翼については胴体と結合しているボルトには応力腐食による亀裂が、方向舵には油圧装置を方向舵に取り付ける箇所に同様の亀裂が発見されるなどの報告が23機にも及び、この動きは国外の航空会社にも瞬く間に広がった。 23機の内訳は、B747を先行導入した日航が21機、全日空とアジア航空が各1機であった。その後は、2階客室部分などの構造部材に予想外の大きい亀裂、破断が次々と発見される事態となった。
ちなみに、B747垂直尾翼の胴体への取付方法は、ボーイング社独特のものである。垂直尾翼の桁は翼根部までであり、ボックスビーム(前後桁と外板で翼を構成する部分)下端部と胴体を左右全72本のボルトで結合している。
一方、同じ4発機のダグラス社DC-8の場合、桁が垂直尾翼翼根部から伸びており、その部分が胴体内で結合され胴体尾部と垂直尾翼が頑強な一体構造となっている。従って、製造効率、修理の容易性などの点ではB747の構造の方が優れているが、この脆弱な構造故に、御巣鷹山事故をはじめ垂直尾翼が倒壊する事故が日本国内でも過去に発生しており、運輸省航空局は、その点を当初から問題視していたと考えられる。

『航空情報1985年11月号』P73 の図を編集

こうした動きに対し、9月6日付ニューヨークタイムズ紙は、「尻もち事故の 修理のため、ボーイング社のチームが後部圧力隔壁を修理した際、隔壁のつなぎ合わせ部分の一部が正しく接合されていなかった」と同社の声明を報じた(ただし、修理ミスはあったが、事故原因とは認めていない)。同社は、このFAAによるリーク報道を追認しつつも、「現在使用中のB747型機の半数に及ぶ総点検の結果、製造、構造に 問題があったことを示す証拠はない(JA8119のみの問題)」とのコメントを付け加えることを忘れなかった。
一方の運輸省航空局は、日航への立ち入り検査後、 9月4日付で同社に対し、「与圧構造点検に万全を期すこと」等を指示する運輸大臣(当時)の業務改善勧告を発出した。特筆すべきは、SR機ではサンプリング(抽出)検査方式を止め、「全機18,000与圧飛行回数以内を目途として、可及的速やかに総点検を行うことが適当」との見解を示したことであった。更に、運輸省航空局は、その他の重大な問題点として、
・老朽機、SR 機に対する整備上の配慮が不足していた。
・点検項目、点検作業のカードが不十分だった。
・損傷を受けた機体の長期監視プログラムがない。
・発見した不具合の系統的技術評価が不十分だった。
・オーバーホールしない、主要構造検査は抽出検査で分散実施する、整備の間隔を延長する。
など、経済性優先の整備体制を敷いていた点を厳しく指摘、是正を要求したのであった。運輸省航空局の見解は、正鵠を射たものであったが、努力も虚しく、その後の日米合同による事故調査では、政治的駆け引きなどの影響もあり、尻もち事故の際の圧力隔壁の修理ミスが事故原因として矮小化されることになった。
4 アロハ航空の事故原因
243便の場合は、日航123便とは異なり、破壊された胴体部分は修理等で手を加えられたことはなかったが、NTSB(米国家運輸安全委員会)が調査したところ、 胴体側面外板のアルミ合金に腐食が進んで、リベット孔に沿って疲労による亀裂が多数発生していたことが判明した。特に、亀裂の大半は、「ラップ・ジョイント」(隣同士のパネルを縦方向に重ね継いで合わせる部分)に集中して発生しており、これが急速に結合し、広範な部分に壊滅的破壊を引き起こしたと結論づけられた。また、リベット孔を調査したところ、孔が傾いて空けられていたことにより、リベットが斜めに取り付けられ、外板に緩みが生じていたことも明らかとなった。
本来なら、航空機はフェール・ セーフといい、亀裂や減圧等の異常が発生しても、機体の損壊は一部に止まり、シ ステム全体の破壊(致命的な事故)に発展しないように設計されているはずだったのだが、 御巣鷹山の事故でも、これが機能しなかったのではないかと取り沙汰された。しかし、NTSB は、243便の安全減圧機能(フェール・セーフ)については、剥がれ落ちた外板が回収できなかったこともあり、これらの亀裂が大き過ぎたか、ティア・ストラップ(外板が大きく引き裂かれないよう防止するためのあて板)が、製造時に接着されず、設計時に意図した機能を果たさなかった可能性を示す見解に留まった。
B737の構造検査については、ボーイング社では、サービス・ブリティン:SBを幾つも発行していた。事故発生の1年前(1987年8月20日)にも、「ラップ・ジョイントの腐食と修理」に関するSBが、緊急SB(Alert)に格上げされ、同年11月2日、FAA(米連邦航空局)はこのSBで示された胴体の疲労亀裂検査を耐空性改善命令(AD:Airworthiness Directive 87-21-08)として、全ユーザに命じていた。この中で、疲労や腐食の検査の詳細や実施間隔、修理方法等を具体的に指示しているものと思われていたが、このSBはB737の製造時におけるラップ・ジョイントの接着ミスによる外板の腐食と亀裂に対する対策であり、事故機で疲労亀裂が発生した胴体外板は、検査範囲に含まれていなかった。事故原因である外板の点検については、1986年11月30日付で SB737-53-1076として発行されていたが、ボーイング社がアラートSBに格上げすることも、FAAが耐空性改善命令で要求することもなかった。NTSBは、この点についても触れ、検査範囲はFAAによって狭められたと指摘したのであった。
5 アロハ航空の実像
アロハ航空では、構造検査や大規模な修理・改修を行う定期整備(D整備)を、 15,000時間間隔で保有機10機の中から25%のサンプリングによって構造検査を実施することで、B737の運航をFAAから許可されていた。しかし、同社はオアフ島周辺の島々を結ぶ短距離運航なので、飛行回数の累積がボーイング社の設計時の想定とは、大幅に違っていた。前述のとおり、B737の経済設計寿命は、飛行回数で75,000回、飛行時間で51,000時間であったから、1 飛行時間当たり約1.5サイクルの離着陸を想定していたことになる。243便の飛行実績は、89,680回の飛行回数で、35,496時間を飛行していたことから、1 飛行時間当たり約2.5サイク ルの離着陸を行っていたことが分かる。言い換えるなら、設計時の想定を大幅に上回るペースで与圧の繰り返し応力で機体を酷使し、強度の許容限界を超えたため、事故が発生したことになる。更に、累計飛行時間が延びない状況で、通常なら4~6年間隔で実施する D整備(構造検査・大規模修理)が約8年の間隔に実質引き延ばされていたことを意味していた。しかも、運航環境は、島嶼と洋上の低空で、高温多湿であり、潮風に吹かれたり、いわば金属の大敵である錆が好む環境であった。つまり、疲労の蓄積や腐食により亀裂、破断などが極めて発生しやすい条件とそれが見過ごされる点検整備の環境が予め揃っていたのだ。
後知恵かもしれないと自覚をしつ つ、また専門家ではないことを断った 上で、あえて言及をするならば、アロハ航空のB737のD整備の実施間隔について、FAAは15,000時間ではなく、 10,000時間以内(単純な比例計算だが、 15,000/(2.5/1.5)≒9,000)の設定か、飛行サイクルによる定期整備の設定を指導すべきだった。

加藤寛一郎『壊れた尾翼』講談社(2004年)図 51 を編集
この点に関して、驚くべきことに、事故の約6年前の1982年8月30日付で、 アロハ航空のD整備が当初11,000時間であったものが、15,000時間に延長されていた。これを承認したのは、FAAにおいて、航空会社の整備、予防整備及び改造プログラムなどが連邦規則に適合しているかの監督権限を有するPMI(Principal Maintenance Inspector)であった。ただし、NTSBは、事故調査報告書の中で、 PMIが9つのエアラインと中国、台湾にある7つの修理工場に対し責任を負っており、その上にペーパーワークも増えているため、実機の検査が不十分になっているなど、個人の能力を超えている問題点も付け加えた。
しかし、実際にはD整備の間隔延長がFAA(PMI)によって承認される1年前の1981年には、NTSBはFAAに対し、「安全基準と設計について」と題し、次のとおり大変興味深い勧告を行っていた。
「初段階の整備プログラムの作成には、設計者が直接参画するが、いったん航空会社が、その整備プログラムを変更し始めると、FAAはその変更が行われる前に型式証明を保有するメーカーに協議することを要求していない。更に、そのような変更を承認する権限があるFAAの部署(PMI)は、必ずしもその航空機を証明した部署ではない。整備プログラムの何らかの変更又は航空機の改修によって、その航空機の設計者のみが発見できるものと思われるような微妙な状態で航空機の安全が損なわれてしまうことも考えられる。」と。此度のNTSBによる事故調査は、内容的にやや後退したものとなった。
かくて、御巣鷹山事故、アロハ航空事故、その他類似のインシデントは、NTSBによって整備管理システム上の欠陥という形で事故発生以前から指摘をされており、事故は予見されていたといえよう。「墓標(墓石)安全」とは、正にこうしたことを指す。
6 アロハ航空事故と日航ジャンボ機墜落事故との類似点
島国での近距離運航であったことを含め、日航ジャンボ機墜落事故とも幾つか似通った点がある。例えば、日航はDC-8、B727ではD整備を実施していたが、B747-100の導入に伴い、信頼性管理整備方式によりD整備をなくし、3,000時間毎に実施するC整備でサンプリングによって構造検査を実施するとしていた。しかし、構造検査をC整備に分散して実施することはできても、修理や改修を行う機会を別途設ける必要があり、H(Hospitalization)整備が、これに該当するものであったが、その後の事故調査でも実施していた事実は認められなかった。
信頼性管理整備方式とは、機体構造をサンプリングで検査し、そのデータを送ることで製造会社がデータバンクとなり、各航空会社間で結果の情報を交換し、必要な対策をとるものであったが、アロハ航空の事故調査で明らかになるように、実際は航空各社が都合よく運用し機能していなかった。

事故機のJA8119が就航する1973年以前、B747初号機就航直後の1970~73 年の航空関係誌には、信頼性管理整備方式は、「高価なB747の地上休止日数を最小にすることに焦点を当てた経済性の高い整備方式で、1機70~80億円もするB747は、「飛行せずに地上にいても1機1日あたり費用として数百万円が消し去られる」、「極めてフレキシブル」な整備方式であるため、機体内部構造の検査を含め、ほとんどの定例作業を定時点検整備のチャンスに分散実施するとの結論に達した」など、「ジャンボの安全神話」に踊らされているかのような日航関係者の解説が並ぶ。さながら信頼性管理整備方式は、「航空機の稼働と収益性の向上」のための 「整備の合理化」のような当時の過信や過度の技術的依存の実態を窺い知ることができる。
日航整備関係者の複数の記事によると、最初に引き渡しを受けた10機(累積飛行時間の高い機体)を対象に、2機のサンプリングにより構造検査を行っていた(ボーイング社のB747整備要項基準に示された20%)。事故機のJA8119は、10番目以降の受領であったが、日航のB747保有機36機のうち、着陸回数は5番目に多かった。しかも、相模湾上空で倒壊脱落した機体尾部は、事故7年前の1978年6月2日、大阪伊丹空港着陸の際に滑走路面に接触させた尻もち事故の修理箇所であり、猶更であった。ちなみに、尻もち事故による修理後の飛行回数は12,319回、飛行時間は16,195時間59分であった。
同じジャンボ機でも、後継機のB-747-400(ハイテクジャンボなど運航各社は様々な愛称をつけ、新型機を印象付けた。)では、日航はM(メジャー)整備と称し、6年に1回、D整備に相当する定期整備を実施するよう改めたが、日航、全日空ともに 更なるコスト削減のため、1997年以降は定期整備を中国厦門の太古社(TAECO)及びシンガポールのSASCOに、海外委託することに変更した。しかし、両社が整備した機体からミスが相次いで発見されることになり、再び運輸省の指導を受ける事態となった。
7 アロハ航空での整備の実態
さて、243便の話に戻るが、事故発生の2週間前、FAAはアロハ航空の整備を監査したが、事実上は書類検査だけであった。驚くべき整備の実態が明らかになったのは、NTSBの事故調査によるものだった。定期整備のD整備で、一定期間運航を停止して構造検査等の大規模な点検修理を行うことは、運航効率を下げ高コストとなると考え、日航ジャンボ機と同様に検査項目をその他の定期整備に細かく振り分けていた。しかも、信じられないが、機能構造の特性上、本来は着陸回数(サイクル)で管理する点検整備さえも、飛行時間に基づいた点検整備プログラムに作り替えて実施していた実態にあった(目的は、点検整備回数の削減や実施の先延ばしにあったと推測される)。こうした背景には、「予備機」さえ用意しないという徹底したコスト削減や1日当たり8回の運航を行う(日航のB747SR-100の場合、5回以上)という営利至上主義があり、これによって整備の現場では組織的なバイオレーションとまで言っても差し支えない深刻な事態までも 引き起こしていたのだった。こうなると、構造検査などのように時間と手間がかかる作業は、蔑ろにされがちになる。さらには、耐空性改善命令、SBやマニュアル等は都合良く解釈され始める。現に、アロハ航空のカギ『事故調査報告書』には、予備機がないため、夜間、それも時間が十分に割り当てられない状況では、検査しなかったか、検査の質が粗末だった実態が明らかにされ、経営側は、構造検査の重要性の理解はもとより、「作業時間の長さ、孤独な作業環境、睡眠不足、不規則な勤務、十分な休憩時間、サーカディアンリズム等、検査員のパーフォーマンスの信頼性に対する影響」も考慮してマネジメントをすべきであり、整備部門の監督指導を怠ったと厳しく指摘したのであった。
更に、NTSBは、事故原因は、「アロハ航空の整備プログラムの不備であり、構造検査で疲労や腐食による亀裂を検出できなかった」ことと結論づけるとともに、アロハ航空の「整備プログラムを評価し、その検査、品質管理の欠陥を査定又は監督指導をする際の FAAの不手際が、事故原因に影響した」との苦言を呈した。
また、ボーイング社に対しては、次の事実を踏まえ、規則上は求められていないが、「アロハ航空の安全に関する状態を、FAAに通報すべきだった」とたしなめた。それは、日航ジャンボ機墜落事故の後に開始した経年変化フリート評価プログラムの一環で、1987年9月17日、10月22~29日にかけアロハ航空に立ち入り審査を行った際、同社がN73712とN73713を調査したところ外板に腐食による劣化が多数認められるため、30~60日をかけて是正処置を講じない限り、不安全状態が生じると勧告していたこと。同年11月、アロハ航空が整備作業を再評価するよう同社に要請した際、翌年1月にも N73717 を調査し、アロハ航空に対し、N73711(事故機)、N73712、N73713、N73717は、「完全な構造検査」を実施すべきと、幾つもの具体的な勧告をしていた点の数々であった。この点においても、事故の発生は予見できるものであって、未然に防止できた可能性がきわめて高い状況にあったのだ。
8 アロハ航空事故の教訓:緊急降下 (エマージェンシー・ディセント)
NTSBは、「B737を無事に着陸させたクルーの行為は、まさに訓練とエアマンシップのたまものである。キャビンクルーの方も全く予測もできなかった状況を目のあたりにしながら、模範的な行動で対処した。」として評価する一方、反省点にも次のとおり言及した。
緊急降下の際の「ハイスピードは、降下に要する時間を最小限にとどめたが、一方では運動に伴う機体への荷重を増加させた。その上、破壊した開口部から吹き込む猛烈な空気は、風で脱穀さながらに乗客をなぶり風傷を引き起こしている。同時に、吹き込む強い風圧は開口部の周辺に二次破壊の危険をもたらした」、 「飛行マニュアル、エマージェンシー・ディセント・プロシージャー & チェックリストのいずれも、もしも構造破壊による危険の疑いがある場合、可能な限りエアスピードを減らし、高い運動荷重を避けること」と述べているとの苦言を呈した。
更に、「243便の場合、構造破壊による弱体化に対する評価の甘さ、緊急降下におけるターゲット・エアスピード、形態の変更、運動荷重にみるクルーのテクニックには、一歩間違えば飛行の続行を危険に陥れる可能性を秘めていた」 。ATCの問題点としては、「事故発生後、243便はトランスポンダを緊急コードの7700に変更し、クルー は何度か試行錯誤を繰り返したあと、マウイ・タワーとの交信を設定できた。緊急事態を告げられた後も、タワーは 243便に周波数を変更させようとした」、「マウイ・タワーは、そのときレーダー上に緊急コードの7700を受信し、デコンプ pressurization emergency の確認をとっていたわけである。管制業務は、航空機のエマージェンシーに際しては、クルーのワークロードを最小限に抑えるべく、あらゆる努力を払うべきではないだろうか」、「もしも、周波数の変更やアプローチなどへのハンド・オフの途中で何かのエラーや行き違いでも生じたら、それこそ、交信は途絶えかねないのだ」 マウイ空港の救急車手配をめぐる環境について、「もしも救急車がもっと速くタワーから要請されていたならば、あるいは、243便の着陸時に空港で待機していたならば、重傷を負った人たちの応急処置もできただろうし、病院の搬送も13分は早められたはずである」、「緊急事態発生とその対応 に判断を下さねばならない人たちにとって、状況の把握と起こりうる事態シナリオの可能性を認識し ておくことは課せられた大切な義務である」との見解を示した。(後編に続く)
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