古典擅釈(21) 強さについて『折りたく柴の記』②
蘆澤という二十歳ほどの若侍がいました。
利直に近侍していましたが、何か主君の逆鱗に触れるような失態を犯したようです。
ある時、正済が召されて赴くと、利直は刀を前に置き、尋常ならざる形相でものに腰掛けていました。
利直は正済を近くに呼び寄せました。
「今より蘆澤を召し出だし、我が手で成敗してくれよう。
そちはこの場で見届けよ」
正済はただ黙然として控えていました。
暫く静寂の時間が流れました。
「返事を申すこともないのは、何か考えるところでもあるからか」
沈黙に耐えかねてか、利直が口を開きました。
正済はおもむろに答えました。
「はい。
かの男は常々申しております。
幼い時に父に先立たれた我が身は、莫大なる主君の御恩によってここまで成長することができた。
この御恩に報い申し上げるには、尋常の方法ではかなうはずがない、と。
天性大胆不敵な者で、しかも年まだ若く、愚かなふるまいも多うございますので、どのような不埒をしでかしましたものやら。
しかしながら、若い時かの男のような者でございませぬと、年長けて後、多くはものの役にも立ちませぬ。
かようなことを思い巡らしておりますうちに、ついご返答申し上げるのが遅くなり、恐れ入ってございます」
再び二人を沈黙が包みました。
ややあって、先に口を開いたのはまた利直の方でした。
利直の気持ちもしだいに治まりつつあるようでした。
「そちの面に蚊が集まっておるぞ。
追い払うがよい」
正済が顔を動かすと、血に飽きてグミのようにふくれた蚊が六・七匹、はらはらと地に落ちました。
正済は懐紙を取り出すと、蚊を包み取り、袖に入れました。
また暫く沈黙の時が流れ過ぎました。
「帰って休むがよい」
正済は一礼すると、主君の前から引き下がりました。
蚊も追い払うことなく、不動の姿勢で伺候する正済からは、何かしら底知れぬ強さが伝わってきます。
彼はひたすら主君に忠義を尽くそうとしていただけで、そのほかに全く雑念はなかったのでありましょう。
主君に指摘されるまで、蚊のことはほとんど意識されなかったかのようです。
利直も、正済の諌言に考えを改めたというよりは、彼の不動の強さに圧倒されたのではないでしょうか。
現代ではほとんど見られなくなった、羨望を禁じ得ぬほどの強さです。
〈続く〉
