未知の知性との対話は可能か|レム『ソラリス』が投げかける究極の問い
著者プロフィール: スタニスワフ・レム
1921年、旧ポーランド領ルヴフ(現在ウクライナ領)に生まれる。クラクフのヤギェウォ大学で医学を学び、在学中から雑誌に詩や小説を発表し始め、1950年に長篇『失われざる時』三部作を完成。地球外生命体とのコンタクトを描いた三大長篇『エデン』『ソラリス』『砂漠の惑星』のほか、『金星応答なし』『泰平ヨンの航星日記』『宇宙創世記ロボットの旅』など、多くのSF作品を発表し、SF作家として高い評価を得る。同時に、サイバネティクスをテーマとした『対話』や、人類の科学技術の未来を論じた『技術大全』、自然科学の理論を適用した経験論的文学論『偶然の哲学』といった理論的大著を発表し、70年には現代SFの全2冊の研究書『SFと未来学』を完成。70年代以降は『完全な真空』『虚数』『挑発』といったメタフィクショナルな作品や文学評論のほか、『泰平ヨンの未来学会議』『泰平ヨンの現場検証』『大失敗』などを発表。小説から離れた最晩年も、独自の視点から科学・文明を分析する批評で健筆をふるい、中欧の小都市からめったに外に出ることなく人類と宇宙の未来を考察し続ける「クラクフの賢人」として知られた。2006年に死去。
今回の記事は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの代表作です。海に覆われた惑星ソラリスに降り立った科学者たちが、「未知の知性」と対話を試みる物語。しかし相手は人間の理解の枠組みを完全に超えた存在でした。
この本を読むべき人
「理解できない存在」との接触というテーマに惹かれる人
アクション系ではなく哲学的なSFが好きな人
映画『惑星ソラリス』(タルコフスキー版)を観て原作が気になった人
登場人物
クリス・ケルヴィン
主人公。心理学者。
非常に理性的だが、過去への罪悪感を強く抱えている。
ハリーの夫。
スナウト
サイバネティクス研究者。
ステーションに残っている数少ない生存者。
皮肉屋だが現実的で、人間的。
すでに「理解を諦めている側」の人物。
ギバリャン
物語開始前に自殺した研究者。
彼の残したビデオメッセージが、物語全体に不穏な影を落とす。
ソラリスと人間の関係の「犠牲者」の一人。
サルトリウス
冷酷で極端に理知的な科学者。
対象体を「実験対象」としてしか見ない。
人間性よりも科学を優先する姿勢の象徴。
ネズミの描写は、彼の実験の一端。
ハリー
クリス・ケルヴィンの妻。
10年前に自殺。
ステーションに現れる「対象体(ビジター)」として再構成される。
作中で、クリスに人工衛星とを結ぶロケットみたいな物に入れられ飛ばされる。
作中でも液体酸素を飲んで自殺。
ギーゼ
ソラリス研究者。ソラリスや学説を体系化させている。
体系化・名前を付けることで理解した気になっている、この作品が疑問に問い掛けているものそのもの。
ベルトン
ソラリスの海の奇妙な現象を最初に観測した人物の一人。
初期の目撃証言が、後の研究の出発点になる。
ラヴィンツェル
哲学的解釈に寄った研究者。
ソラリスを「意味」や「意図」で理解しようとした。
シャナハン
理論派の研究者。抽象モデルや仮説を構築するが、実証できない。
ティモリス
数学・構造分析寄りの研究者。
シンメトリアードなどの分類に関与。
カルッチ
生物学的アプローチの研究者。
ソラリスを「生命」として理解しようとする。
メッセンジャー
初期観測者の一人。
「ソラリスは人類に何かを伝えている」という誤解の源。
フェヒネル
ソラリスの海の最初の犠牲者
ソラリス研究初期の学者。
用語・コンセプト
アントロポモルフィズム (Anthropomorphism)
非人間的な存在(動物、神、物体など)に人間の形や性格、感情や行動を付与する現象。 例えば、動物に人間の言葉を喋らり、感情を抱かせたりすることが挙げられます。
擬人観
フォルマティオン(形成体)
ソラリス学者たちが付けた学術的な総称
海が自発的に作り出す巨大・複雑・一時的な構造物全般を指す言葉
目的・意味・機能は不明(=理解不能)
ミモイド (mimoids)
人工物・建築物・機械のように見える構造
ただし「模倣しているだけ」で用途はない
シンメトリアード(symmetriads)
幾何学的・対称性の高い巨大構造
数学的に美しいが意味不明
四次元的・数学的構造
人間の空間認識を超える
アシンメトリアード(asymmetriads)
非対称で不安定、成長と崩壊を繰り返す構造
ファングス(fungoids)
菌類のように増殖・分岐する構造体
感想
最初の章を読んだ時、何が起こっているのか全然理解・イメージができなくて、読み進めようとするまでに時間がかかった。
2章になって、ソラリスの情報が出てきてから、物語の方向性・テーマがわかってきた。
でも、中盤までは、ソラリスが結局何なのか?という方向に疑問が向いていて、この物語全体を通して、異性知性とのコンタクトや独りよがりの理解、倫理観を越える実験などにテーマや視点が移っていった。
心理学者が主人公
元ネタはどこから来ているのかな?
『夜と霧』から影響を受けている?と最初は思った。
しかし、実際は全然違う。SFの歴史や系譜はわからないけど、どういう流れの中で、この作品になったのか?
異星知性に人間は耐えられないという点はこれまで読んできたSF作品と全然違うなと。
恋愛
自分の記憶の中にある理想の相手、でもCopyを愛せるのかどうか?というのも含まれた深いテーマだった(映画)。
最後のクリスのステーションに留まろうとする選択肢は深いし、新しいなと。ただ、ここは映画と小説でエンディングが違う。
ハリーはスナウトに協力を頼み、サルトリウスが作った装置で、自ら消えることを選ぶ。
First contact/異星知性との接触
実際はわからないけど、科学の前提的に、異星の知性体に会った時に、彼らと何かしらの方法でコミュニケーションを取ることができるというのがあったと思う。
Project Hail Maryでも、音の組み合わせでコミュニケーションを取る生物と、彼らの音と地球語(英語)を対応させることで、意思疎通していた。
大体のSF作品はそうだと思う。
しかし、今回はソラリスに何か意思があるのかどうかも不明だし、コミュニケーションそのものが成り立たないし、我々が思っている前提が間違っている可能性を示唆している。
ただ、ソラリスは知性体と言えるのかどうかはわからないなと。
知性体とはそもそも何なのか?
そして、人間は自分が理解したい方法でしか理解できないし、相手のことを考えているだったり、人類のために~といった高尚なことを掲げていていも、実際にやっていることは低俗だったり、押し付けだったりする。それに気づかないで、高尚だと思っているのは滑稽だなと。
科学と倫理観と地球ではない環境
サルトリウスが後半で行ったソラリスの海に向けて、意図的に「人間の脳の情報」を送り返す実験。
人間の脳の思考パターン(神経活動)をX線・放射線的な方法でソラリスの海に直接照射するというもの。
ソラリスが刺激にどう反応するか、より高度な応答を返すかを観測するために行なっている。
彼は地球への報告なし、被験者の同意なし、しかも人間の精神を「入力データ」として行っている。倫理観や正当性を問われる行為。
ソラリスは刺激に「反応した」が、相互理解には一切つながらなかった。
この態度は、冷酷で、非人間的、傲慢であるが、同時に人類科学の典型でもある。
分からないならもっと強く叩け、もっと深く覗け、相手の都合は考えるなという姿勢。
「異星知性を理解したい」と言いながら、実際には自分たちのやり方を押し付けているだけという矛盾を突きつけている。
地球においては、人間が一応一番高い知能を持っていて、物事を人間と実験の対象物と見ているところがあるが、自分達と同等かそれ以上の知能を持つ知性体に会った時に、その関係性はどう変わるのかなと。自分達が被験者・非対象物になることもあるというのを認識しているのかなと。
アントロポモルフィズム
ソラリス学そのものがアントロポモルフィズム。
ソラリスを知性、意識、意図を持つ「誰か」と仮定し、その前提で反応、メッセージ、言語を探すが、ソラリスは一度も「人間向けの行為」をしていない。
人類は「異星知性」を探していたのに、実際に探していたのは人間に似た何かだった。
人類は異星知性に出会えたと思った瞬間、実は自分自身と向き合わされている。
最後にクリスが取る態度は、理解しようとせず、期待もせず、でも去らない。
これはアントロポモルフィズムを捨て、それでも他者の前に留まるという珍しい態度。
映画
2002年のソダーバーグの方の映画を見た。
レムはこれについて不満らしく、海の他者性を描かず、恋愛物になってしまっているからとのこと。
確かに自分も映画は恋愛物だと思ったし、ラストシーンもソラリスはあまり関係なく、クリスはハリーとステーションに残るというので終わった。
輪読会
1. 「ソラリス」という名前・語感の話
「ソラリス」という単語自体が、映画や小説と無関係な文脈(施設名、サービス名、アンテナ名など)でも使われているのが気になる、という話題。
空(そら)っぽいニュアンスなのか、SF作品『ソラリス』由来で名付ける人がいるのか、地域性(SF好きが多い場所など)もあるのか…と雑談的に推測。
2. 読み始めの難しさと「分からなさ」の体験
冒頭〜中盤まで「何が起きているのかイメージできない」「前提知識なしだと理解に時間がかかる」という共通感想。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のように図や構造説明がある作品と比べて、ソラリスは読者に分からなさを長く体験させる設計だと感じた。
日本語としては読めるのに、情景が立ち上がらない描写(原形質、奇妙な生成物、海の性質など)が多い、という不思議さ。
3. テーマの中心は「異星知性とのコンタクト」だが、コンタクトが成立しない
読み進めると、関心が「ソラリスとは何か(科学)」から「異星知性を前にした人間側の限界・傲慢さ・倫理」へ移っていく。
多くのSFが「何らかの翻訳・接触手段で分かり合える」前提を置きがちなのに対し、ソラリスは
意志があるかも不明
意志があっても解読不能
そもそも相互理解という枠組みが通用しない
という点が新鮮で面白い、という評価。
4. 人間中心主義(アントロポモルフィズム/擬人化)への自覚
ソラリス側を「知性=人間的な意志・メッセージを持つはず」と仮定して探すこと自体が擬人化(anthropomorphism)であり、そこに人間の滑稽さがある。
「人間は結局、自分が理解したい方法でしか理解できない」「高尚な理念を掲げても、実態は押し付けになりがち」という反省点が議論された。
5) ハリーと「本人ではない存在」への愛・アイデンティティ
記憶の中の理想の相手に似た存在(ただし本人ではない)を愛せるのか、という恋愛・倫理・存在論のテーマが強い。
クリスが情緒的に引き寄せられていくこと(受け入れてしまうこと)の心理的リアリティ/怖さが印象に残った。
一方で「細部がズレていて違和感が出るのは、ソラリスが本当に深層心理まで理解して生成しているのか?」という疑問も出た。
→ 逆に言えば、そのズレが「本人ではない」ことを読者にも突きつけ、アイデンティティ問題を強化している、とも読める。
6. サルトリウスの実験と倫理観の崩壊
後半でのサルトリウスの実験(人間精神をデータのように扱う/同意なき試行など)が、極限環境で倫理が剥がれていく例として話題に。
地球側の価値観・ルールをそのまま適用してよいのか、という問いも出た。
7. ラストの解釈の揺れ(小説と映画の差も含む)
小説のラスト:クリスが地球に帰らず残る方向で、ソラリスと向き合う姿勢を選ぶ、という理解が中心。
ハリーがラスト時点で「いたのか/いないのか」や、消滅の仕方(ニュートリノ云々)の記憶が混ざっていて、参加者間でうろ覚えが発生(映画の印象に引っ張られる)。
映画版は(少なくとも参加者の見た版では)受け入れて愛し合う方向の印象が強く、ヘリコプター描写もなく、小説と後味が違う、という話。
8. 読後感の特徴
大きなカタルシスや爽快感があるタイプではなく、「ぬるっと終わる」「何とも言えない」読後感。
それでも「分からないものに向き合う/理解できなくても理解しようとする」姿勢が人間らしさとして残る、という評価。
9. 作品の時代・SF史の位置づけへの驚き
発表年代(1960年代〜)の古さに驚き、「その時代にこの発想はすごい」というリスペクトが共有された。
SFのパターン認識として
征服する/される/仲良くなる
だけでなく、「理解できない(コミュニケーション不成立)」という第四の型を強烈に提示した作品だ、という整理が出た。
10. 連想:カフカ「法の前で」との類似
「理解したいのに理解できない」「近づくほど遠ざかる」構図が、カフカの短編「法の前で」に似ている、という連想が提示された。
その後、短編のあらすじ(門番/待ち続けて死ぬ/門は本来その人のためだった)を共有し、ソラリスの理解不能性と重ねた。
11. SFを読むことがプロダクトや思考に与える影響
すぐにプロダクトに直結するというより、視野(時間スケール/未来のパターン)が広がるという効用が語られた。
「すぐ役立つものはすぐ役立たなくなる」的な話も出て、直接効用ではなく見通しや相対化が価値、という結論に寄った。
12. 余談:創作(漫画・SF)と時代性
近年は新しい型が出づらい/市場事情もあり、骨太な世界観づくりは難しいのでは、という話。
藤子不二雄や手塚治虫など、戦争体験世代の生命力・筆力・想像力の源泉(時代背景)にも話が広がった。
藤子不二雄の短編SFアニメ(短編で考えさせる系)のおすすめも出た。
引用
「ひょっとしたら、まさにこのソラリスは、きみの言う神の赤ん坊のゆりかごなのかもしれないな」と、スナウトが言葉をはさんだ。微笑みが次第にはっきりと形をとり、そのせいで目の周りにうっすらとしわが寄った。「この海はきみの説に従えば、絶望する神の萌芽、発端なのかもしれない。そして、元気のいい子供らしさのほうが、まだ理性をはるかに凌駕しているのかもしれない。そうだとすると、おれたちのソラリス研究書を集めた図書館は、この赤ん坊のいろいろな反応を記録した巨大なカタログにすぎないんじゃないだろうか……」
遠い昔から恋人たちや詩人たちは愛の力を信じ、愛は死よりも強く、死を超えゆくものだと考えてきた。私たちは、 finis vitae sed non amoris[命の終わりは、愛の終わりではない] という考えに、何世紀もの間、つきまとわれてきたが、それは嘘に過ぎない。
ここから立ち去ることは、未来が秘めている可能性を──たとえその可能性がはかなく、想像の中にしか存在しないものであっても──抹消してしまうことを意味した。それなら、やはり、これから何年も、私たちがともに触れた道具や品物に囲まれ、彼女の息をまだ覚えている空気の中で過ごすべきなのだろうか? いったい何のために? 彼女が戻ってくることを望んで? いや、私に望みはなかった。しかし、私の中ではまだある期待が生きていた。それは彼女の後に残された、ただ一つのものだ。私はこの上まだどんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみを待ち受けていたのだろうか? 何もわからなかった。それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。
SF、とくにアメリカのSFといえば、膨大な量の作品があり、地球外生物とのコンタクトがどのようなものになり得るか、さまざまな想定をしているが、そこにはすでに三つのステレオタイプができあがっている。ごく簡単に言えば、こんなふうにまとめられるだろう。「意思疎通がある場合、人間が彼らを征服する場合、彼らが人間を征服する場合」である。どういうことかといえば、私たちが宇宙の理性的生物と平和な協力関係を築くか、あるいは逆に、こんなことも大いにあり得るわけだが、争いになり、星間戦争にまで発展してしまい、その結果、地球人が彼らに勝つか、彼らが地球人に勝つかということになる。そういう三つのケースに集約できるということだ。
『ソラリス』は、人類が、他の星にいたる道の途上で、理解不能な未知の現象に出会った場合の 製作見本(私は精密科学の用語を用いている)となるはずの作品である。この小説で私が言いたかったのは、こういうことだ。宇宙のあちこちで、きっと思いがけないことが待ち伏せしているだろう。すべてを予測することはできないし、前もって計画しておくことも無理だ。この「星でできたパイ」がどんな味なのか知りたければ、齧ってみる以外にない。そして、その結果がどうなるかは、まったくわからない。
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