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痛みこそが本質:Jim Legxacy, Ceeboが描くブラック・ブリティッシュ・Z世代の今

 アンダーグラウンドから新たな才能と可能性が生まれ、活況に満ちた存在感を示しているUKラップシーン。昨年はシーン全体の注目を引き上げる重要作が続々とリリースされたが、その中でも、現代のイギリスで生きる「ブラック・ブリティッシュ」のZ世代のアイデンティティと向き合う作品として高い評価を得たのが、Jim Legxacyの『black british music』と、Ceeboの『Blair Babies』だった。Ceeboの『Blair Babies』には、Jim Legxacyもプロデューサーとしても参加しており、異なるアプローチからイギリスの現在の世代を描いた両者がこの作品で交差している点も興味深い。

 今回は、批評家からも高い評価を獲得し、昨年のUKラップシーンで大きな注目を集めた2つのミックステープが、いかに現在のブラック・ブリティッシュのアイデンティティや葛藤を描いたのかを見ていきたい。

ブラックブリティッシュのアイデンティティ

そもそも 「ブラック・ブリティッシュ」とは定義が非常に複雑な存在だ。その対象には、アフリカだけでなく、南アメリカやカリブまで、旧英領植民地を中心に様々な場所にルーツを持つ多様な人々が含まれており、『ブラック・ブリティッシュ・カルチャー 英国に挑んだ黒人表現者たちの声』(臼井雅美著・明石書店)によれば、ブラック・ブリティッシュは、「ブラック・アフリカン」(Black African)、「ブラック・カリビアン」(Black Caribbean)、「ブラック・アザー」(Black Other)という3つのカテゴリーに分けられる。このように、異なるツールを持つ人々が「ブラック・ブリティッシュ」と一括りにされていることも、彼らのアイデンティティをめぐる問題を困難にしている。

 イギリスの都市部においてブラックの人口が増加したのは戦後の1940年代後半以降とされているが、これは、イギリス政府が、第二次大戦後の労働力不足を補うために、旧英領から労働者をリクルートし、西インド諸島の国々、アフリカ大陸、インド亜大陸から多くの労働者が移住してきたことが関係している。彼らの多くは、戦後のイギリスで人材不足となっていた工場、郵便局、交通機関、新たに設立されたNHS(英国国民保健サービス(NHS –National Health Service)といった、現在であれば「エッセンシャルワーク」と呼ばれる職業に従事し、第二次大戦後のイギリス社会を支えてきた。臼井氏は、「彼らの労働力がなければ、戦後の経済復興はあり得なかった」と述べる。

 こうして戦後の経済復興を支えたにも関わらず、英国政府にとって移民たちはあくまで不足している労働力の一時的な穴埋めでしかなく、彼らの文化的・社会的な包摂は取り組まれてこなかった。ブラックブリティッシュのアイデンティティの問題は、帰属する場所のない移民の労働者として宙吊りにされてきたのである。イギリス文化の国家的な海外輸出プロジェクトである「クールブリタニア」においても、ユニオン・ジャックがシンボルとした、白人を中心とする単一的な文化表現がプッシュされ、ブラック・ブリティッシュの表現やリアリティは常に取り残されてきたとThe Guardianは指摘している。

 だが、「ブラック・ブリティッシュ」という定義に様々な人種やグループが含まれているように、そのラベリング自体も流動的だ。例えば、移民第一世代と、移民の親と一緒に渡英した子供達、さらには、イギリスで生まれた移民の子供たちの間では、自己や帰属意識に対する認識が異なるように、そのアイデンティティは世代によっても揺らぎが存在している。ブラック・ブリティッシュは、揺れ動くアイデンティティに向き合い、それぞれのコミュニティや世代ごとにアイデンティティの再定義が行われている。

 ロンドン・ランベス生まれで、Z世代のラッパーであるCeeboは「ブラック・ブリティッシュ」のアイデンティティについて、以下のように語っている

「俺たちの多くは移民の子供。イギリス人とはみなされていないけど、両親の国のネイティブというわけでもない。だから、今の世代の意識の中では『ブラック・ブリティッシュ』というアイデンティティがより鮮明になってきている。かつてイギリスの植民地支配によって荒廃させられた国々にルーツを持つ子供たちが、”イギリス人”という言葉の意味を掘り下げていく。それこそ、自分たちのために用意されていたわけではない『アイデンティティ』という難題に対し、この(ラップ)シーンが向き合おうとしている方法なんだ」

https://www.theguardian.com/music/2025/dec/05/constant-stimulation-dopamine-overload-esdeekid-uk-underground-rap-exploded-global-scale

 ここからは、Jim LegxacyとCeeboが、自らの世代における「ブラック・ブリティッシュ」のアイデンティティや経験をどのように伝えているかについて見ていきたい。

Jim Legxacy 『Black British Music』

 Jim Legxacyは、サウスロンドンのルイシャム出身で、これまでFred again..やCentaral CeeといったUKの音楽シーンを代表する大物とコラボレーションを行ってきた。作詞・プロデュースを手掛けたCentral CeeとDaveの「Sprinter」は、8週連続で全英チャート1位を記録するなど、2023年を代表する大ヒット曲となり、プロデューサーとしても広く名前が知られるようになった。

 Kanye Westの『The Life of Pablo』などに影響を受けて、ラップを始めたJim Legxacyは、2019年にミックステープ『Dynasty Program: A Metrical Composition Inspired by the Nights Spent as the Raiider』をリリース。Daveを彷彿とさせるような独特のメロディアスな歌い回しや、ボーカルとラップの絶妙なバランス感が特徴で、2021年には、ボーカルの才能をより前面に押し出した『Citadel』が話題を呼び、その後2023年にリリースしたEP『Homeless N*gga Pop Music』では、アンダーグラウンドでの評価を完全に確立することに成功する。満を辞してイギリスの名門レーベルXLからのリリースが決まったJim Legxacyの新作ミックステープには、2025年、最も期待される作品の一つとして大きな期待が寄せられていた。

 『Black British Music』は、タイトルが示す通り、アフリカやカリブ海諸国からの移民の子供としてイギリスに生まれ、家系の中で初めてイギリス人となった、黒人イギリス人第一世代のアイデンティティと向き合うプロジェクトとJim Legxacyは語っている。彼は同時に、「ブラックブリティッシュとはこうであるべき」というステレオタイプに対して意識的に自由になることを試みたと話しおり、そのチャレンジは、グライム、ドリル、アフロビート、UKガレージといった、ブラックブリティッシュの音楽的系譜に対してインディロックやエモ/ポップパンク調のサウンドを融合させたオリジナルなサウンドスケープや、歌詞で描かれる彼自身のナラティブにも現れている。

 ミックステープを通してJim Legxacyは、グライムやUKドリルで語られるような、ストリートでの暴力やドラッグ、貧困、成り上がり、セックスといったステレオタイプ的なストーリーとは異なる、彼自身が経験した繊細なディテールを描いている。そこで描かれるのは、ナイジェリア移民の子として直面したホームレス状態をはじめとする経済的な困窮、犯罪といったストリートでのリアルな経験を軸に、家族との緊張関係や恋愛といった過去、自身が抱える野心や燃え尽き症、脆さといった内面の葛藤だ。

 特に、「ブラック・ブリティッシュ・ミュージック —ウィンドラッシュ以来、俺たち(の音楽)は(人々の)ケツを震えさせてきた」(Black British music We've been makin' asses shake since the Windrush)という歌詞から始まる「father」は、ミックステープを象徴するトラックだ。歌詞に登場する、ウインドラッシュ世代とは、1948年から70年代初頭にかけて、ジャマイカやトリニダード、セントルシア、グレナダ、バルバドスなどの西インド諸国からやってきた移民たちのことを指す(1948年6月22日に最初に到着した、エンパイア・ウィンドラッシュ号に由来する)。彼らは現代イギリス社会において多人種社会を作り上げる上での基盤となっただけでなく、音楽的にも、カリブ海のダンスミュージックやサウンド・システム文化を持ち込み、イギリスにおけるブラック・ミュージックに重要な影響を与えた。

 Jim Legxacyは、「father」で、出身地であるロンドン・ルイシャムで、貧困や父親不在の中育った自身の経験を内省的に描いているが、彼は単に苦悩をほのめかすだけでなく、生活の中で支えになった音楽的な影響や自身の多面的な側面を描き出している。「あの街角でMITSUKIを聴いていた」というリリックからは、ロンドンで最も犯罪発生率の高い地域の一つであるルイシャムで貧困の中を生き抜きながら、日本とアメリカにルーツを持つMITSUKIというオルタナティブなアーティストの音楽を聞いていた、10代の頃のJim Legxacyの繊細な世界観が浮かび上がる。

  彼は、ルイシャムで暴力や貧困に遭遇した経験を辛辣にラップするだけでなく、荒涼とした状況の中にも希望や愛といった明るい物語があったこともノスタルジックに描く。『Black British Music』において「ノスタルジー」は、Jim LegxacyがMVやビジュアルを通して繰り返し向き合っているテーマだ。

 Lauzzaが監督した「father」のMVでは、制服姿でバスで学校へ向かい、教室で友人たちとふざけ合い、放課後にチキンとチップスを食べ、自分の部屋でXboxをプレイした、Jim Legxacyの青春時代が描かれている。しかし、映像では、こうした明るい思い出と同時に、生活における父親の明確な不在が示唆されており、彼の青春時代を構成する多面的な感情が独特な世界観で立ち現れる。さらに、2000年代初頭に流行した、Y2K以降の2000年代〜2010年代前半に流行したエステティックである「Frutiger Aero」の柔らかな未来感が彼の思い出全体を包み込むことで、映像の中で描かれるJim Legxacyのノスタルジックな良い思い出自体も、実は存在しなかったフィクショナルなものなのではないかと思わせられる。

 Y2Kといったトレンドに留まらず、将来への不安を抱えるZ世代の若者たちの間で流行するノスタルジーの特徴は、彼らが実際に体験した過去だけでなく、フィクションやあくまで想像である虚構としての過去に対してもノスタルジーが見出される。「father」のMVで描かれる明るい思い出は、そうした想像上の過去に対するノスタルジーであるかのようにも描かれる。「father」での、Jim Legxacyの真意は不明瞭だが、いずれにせよ、『Black British Music』のミックステープを通して、Jim Legxacyは、ブラック・ブリティッシュのステレオタイプ的な表現から離れ、内省的で繊細な新たな表現とストーリーを確立することに成功している。

Ceebo 『Blair Babies』

 サウスロンドンのランベス出身のラッパー・Ceeboが昨年リリースしたミックステープ『Blair Babies』もまた、現代のイギリスにおけるZ世代のアイデンティティと葛藤を捉えた傑作だった。作品には、Jim Legxacyも参加しているが、CeeboはJim Legxacyについて「まるでいとこのようであり、同時に音楽における重要なメンター」だと語っており、彼から多くのことを学んだと振り返る。実際にCeeboは、『black british music』のセッションの現場にも何度も立ち会い、そのアプローチから学びを得たのだという。他にもこの作品には、afrosurrealistといったUKアンダーグラウンドの重要アーティストが参加している。

 ミックステープのタイトルである、「ブレア・ベイビーズ」とは、イギリスのトニー・ブレア政権時代の1997年から2007年の間に生まれたZ世代のことを指している。ミックステープの一曲目「1997-2007」は「ブレア・ベイビーズ」の特徴について「世界の行く末が既に決まっている時代に生まれた」人々と語っている。労働党への政権交代が実現した1997年に存在した楽観主義はとうに消え去り、多くのZ世代は、後期資本主義における生活費の高騰、パンデミック、住宅危機、メンタルヘルスといった苛烈な現実に直面している。だが、彼らは、どれだけ目の前の現実が過酷であろうと、今の社会や現実とは別のあり方が実現することは不可能であり、現実が変わることなどはないという虚無感や絶望感を抱えている。

 Ceeboによれば、Z世代にとって、社会を変えるために、集団で共通した想像力や意識を組織化する可能性があった社会的な運動のほとんどは、生まれる以前に終わってしまった。彼らは自身を「歴史的に遅れた存在」として位置付けており、社会に関与できる余地はほとんど存在しないと感じている。そして、こうしたZ世代の虚無感や無力感に追い討ちをかけているのが、現在ソーシャルメディアで展開される”自称”左派による言説やアクティビズムだと批判する

 ソーシャルメディアでは、わかりやすい謳い文句やスローガンによって他者を巻き込み、進歩を演出しているものの、実際のところ社会の前進に何も寄与しない”偽の進歩主義”が蔓延している。そうした運動に関与することで若者はより疲弊し、現実の進歩の無さに傷ついている。

 SNSの空間では、今の社会とは別のありようや変革の兆しを示すはずの左派のラディカルな概念や言葉が、本来の意味や文脈が剥ぎ取られた状態で、単なる空虚なミームとしてSNS上を彷徨っている。これは、ソーシャルメディアが、他者と繋がり、コミュニケーションを行うプラットフォームから、コンテンツのプラットフォームとなったことで、SNSがユーザーのアテンションを引き込み、エンゲージメントを高めるだけの場所となったことが関係しているというのが、Ceeboの主張だ。結果として、左派の言葉は、オンラインでの論争に勝利し、承認欲求と「いいね」を得るためのツールに成り下がってしまった。彼のブログ記事は、ソーシャルメディアで展開される左派によるアクティビズムの空虚さと進歩の幻想が生み出すニヒリズムについて、クリティカルに述べている。

進歩という幻想(The illusion of progress)by Ceebo

「考察記事でフォロワーを増やすインフルエンサーの出現により、社会主義的な専門用語や概念の断片が、私たちの語彙の中に入り込むようになった。その結果、本来の文脈や意味はことごとく剥ぎ取られ、それらの言葉は、単なる「道徳的優越感」を誇示するためだけの空虚な表現へと成り下がってしまった。

 (中略)資本主義、革命、プロレタリアート、インターセクショナリティ、家父長制、等々。あまりにも多くの用語が、自称「革命家」や左派的政治思想の伝道師たちによって平坦化され、悪用されている。その明白な目的は、オンライン上の論争において、何の生産性も教育的価値もなく、誰の助けにもならない不毛な言い争いに『いいね』の数で勝利を宣言し、論破することにある。しかし、それは承認欲求を満たし、「自分は世界を変えている人間だ」という実感を得るために必要なドーパミンを供給してくれる。『ネット依存(chronically online)』な人々にとっての左派的姿勢とは、99%がこの程度のものだ。私の世代に関して言えば、正直なところ10人中9人がこれに該当するだろう。

 しかし、人々がポーズとして左翼思想を利用すること自体は、さほど驚くべきことではない。むしろ、進歩的な思想や理想を「社会的ステータス」のために利用することは、マックス・ウェーバーが概念化した「資本主義下の社会的成層」のポストモダン版のように思える。つまり、正義の公人やネット上の特定界隈のマイクロセレブリティであることでもたらされる名声は、それ自体が一つの『権力』なのだ。「Black Lives Matter」の創設者たちを例に挙げればいい。彼女たちは2020年、寄付された資金を使って600万ドルの豪邸を密かに現金で購入した(Campbell, 2022)。こうした詐欺、虚勢、コスプレ、およびそれに類するすべての振る舞いにおいて最も救いようがないのは、Z世代やミレニアル世代が『変えてみせる』と豪語した開拓者たちが叫んでいたはずの物質的条件が、実際には微塵も変わっていないという事実だ。むしろ、それらは急速に悪化している」

https://ceecees.substack.com/p/the-illusion-of-progress?utm_source=profile&utm_medium=reader2

 ミックステープを通じて、Ceeboはブラック・ブリティッシュだけでなく、多くのZ世代が共通して抱える虚無感や無力感と向き合っており、日本で暮らす私たちも含めて、多くの人が共感可能なメッセージを発している。3曲目の「buzzball summer」が描くのは、Z世代のドーパミン中毒の問題だ。「buzzball」は、日本のスト缶のイメージに近いようなパーティドリンクで、イギリスのZ世代の間では、アルコール度数が13.5%とされる、buzzballをイッキ飲み(chug)して、酔いや快感を得るのが流行している。日本でも、刺激が強く、短時間で快感を得られるショート動画やゲームに依存し、単純作業や落ち着いた行動に集中できなくなってしまう若者や子供を揶揄する「ドパガキ」という言葉があるが、Ceeboは、こうしたドーパミン中毒の問題をZ世代が抱える孤立感や虚無感と結びつける。結局のところ、残酷な現実が変わることなどないのだから、ドーパミンによって束の間の快楽を得る方が合理的なのだが、こうして、Z世代が抱える孤立感や虚無感、痛みは、止まらないドーパミンによって覆い隠されてしまうのだ。

 ゴスペル的要素が盛り込まれた「pentecost of living」は、宗教へと傾倒するブラックブリティッシュを、より広範な社会変化やニヒリズムの問題と結びつけてラップしている。イギリスでは、Z世代を中心に宗教回帰が進んでおり、YouGovの調査によると、イギリスのZ世代の37%が神を信じていると回答しており、この割合は、他のどの年齢層よりも高い。

 曲のタイトルのペンテコステ派は、キリスト教福音派の一派だが、The Guardianによると、右派政治勢力と強く結びつき、大きな政治的影響力を持つアメリカの福音派とは異なり、イギリスの福音派の政治的影響力は大きくない。 Dazedは、Z世代に見られる宗教への回帰は、経済不況や社会不安の中で、共同体や帰属意識を見出そうとする動きが関係していると述べており、イギリス国内における宗教回帰は、政治的な動機よりも、伝統的なコミュニティへの帰属意識・集団意識、孤独から人とのつながりを求める動きが影響しているという。Ceeboもまた、熱心なペンテコステ派の家庭に生まれ、一度は宗教から離れたものの、その後、帰属できるコミュニティや自分を導く対象を求めるようになり、信仰に回帰するようになったと語っている。

「Pain is Essence」(痛みこそが本質)

 ミックステープで、Ceeboが特定の解決策を示すことはない。だが、今よりも良い未来へ向かう唯一の方向性とは、弱さを認め、コミュニティに頼ることだと語る。過酷な現実が広がり、これからの未来ですら予め運命付けられ、自分たちに関与できるものではないと感じられるような世界で、私たちは傷付き、痛みや孤独を感じている。だが、そうした世界を生き抜くために、他者に依存しない強い自己として振る舞うことも、逃避的にドーパミンを渇望することも、過ぎ去った時代を美化してノスタルジアを煽ることも、いずれも私たちの苦しみを克服することには繋がらない。むしろ本質とは、私たちが感じている痛みや傷、生きづらさといった、違和感の方にある。

 Ceeboは、GiggsとDubzの「Pain is Essence」(痛みこそが本質)に大きな影響を受けているとインタビューで答えており、彼はこれまでサンプリングや歌詞の引用などを通じて繰り返し曲を参照している。GiggsとDubzが描く現実は過酷で、そのリリックの内容は非常に重いが、彼らの描くリアルこそが同じ環境にいる多くの人々の共感を呼び、曲を素晴らしいものにしているとCeeboは語る。他者と痛みや苦悩、葛藤を共有することで、現実と向き合い、過酷さを克服するための一歩を踏み出すことができるのだ。

 実際に『Blair Babies』のレコーディングの過程で、Ceeboは、貧困やメンタルヘルスの問題に直面していたというが、Jim Legxacyをはじめとする周囲の人々に大きく支えられたと彼は答えている。弱みを打ち明け、周りの人々に頼ることで初めて人生の困難に向き合おうという意識が芽生えたという。

 Jim LegxacyやCeeboは、異なる視点からこれまでのUKラップで捉えられてこなかったブラックブリティッシュとしての経験について語った。彼らは、自分たちが生まれ育った場所や経験から”痛み”を描く。その痛みこそが彼らにとっての本質なのであり、そこでは、彼らの複雑で矛盾に満ちながらも人間的な存在であろうとする意志が強く現れている。痛みにこそ、ブラックブリティッシュのZ世代のリアルが込められているのだ。

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