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64歳という事実

人生100年時代なんていうけれど、平均寿命80歳超えているけれど、そんなの嘘じゃん!去年、私はそう思わずにはいられなかった。

生死に関わる話です。苦手な方はここで閉じてください。

義理姉のガンが発覚したのは、亡くなる4年前。ちょうど今の私の歳です。そして、亡くなったのが64歳。

「まぁ、ガンだからね」とか「たまたまね」とか「もっと若くして亡くなる人もいるよね」とかいろいろ言いたくなる人もいるでしょうけれど、私が言いたいのはそこじゃない。

人生100年時代とか平均寿命80歳と聞いて安心して、なんとなく生きてていいんですか?

ここです。

まさか、義理姉だって自分が64歳で亡くなるなんて10年前には思っていなかったでしょう。まわりの家族だってきっと同じだったはず。でも実際に起きました。

私は、小学生の時に一緒に住んでいた祖母が交通事故で亡くなるという、人はある日突然この世から去ることがある、そのことを知ってしまいました。なので、小さい頃から「死」に対して遠いこととは思わなくなっています。とはいえ、若い頃は今ほど意識はしていませんでした。

でも、さすがに去年、60代の友人も数名亡くなり、義理姉も亡くなると、そうは呑気な感覚ではいられなくなりました。

当然なのですが、100%「死」は起こること。誰かには起きて、誰かには起きない、そんな話ではありません。絶対に起きることなんです。

子どもが大きくなったら。親の介護が終わったら。お金が貯まったら。

そんな言い訳を山ほど聞いてきた。確かに、子どもも大きくなるし介護も終わりが来るとは思う。でも、その時に自分は何歳?そもそも生きてる?そこまで考えたことある人いる?

私は冷たいと言われればそう思ってくださいと言い切っていますが、足の不自由な母を1人暮らしさせています。ヘルパーさんやご近所の方が手伝ってくださり、母は長年住んでいる家から出ることなく生活できています。本当にありがたいことです。

ひどい娘と言われるかもしれない。でも私には、私の人生がある。それは、実家に居たら叶えられない。だから母には、キッパリそう伝えています。

母の面倒だけみて過ごしてたら、私が可哀想でしょ?って。

母は、その言葉に納得しています。長年住み慣れた土地、気にかけてくれる友人もいる。母は母で、動きたくない。それでいい。私だけが自分の大切な時間を母のためだけに使うなんて、悪いけど無理です。

身内が納得しているのに、関係ない人の「ひどい」「冷たい」という言葉に、私は耳を傾ける気はありません。

人は、今しか生きていないんです。最初に書いたように、64歳で亡くなることもある。もしかしたら、それより早いかもしれないし、ギネス記録に迫るほど長生きかもしれない。でも、それはわからないこと。だからこそ、「今をどうしたい?」それしかないと私は思っています。

今をどうするか、どうしたいか。自分の心の声に素直に生きること。それをしていれば、人生の終わりが来ても、私は自分が幸せだったと思えるはずです。

いつの日か来る、自分の人生の最期。その時に、あなたは何て思いたい?

私はこう思いたいと思っている。

「やることやったなぁ。楽しかったなぁ。」

そう思いたいのなら、本当に、やりたいことをやっていかなければ思えない。楽しいことばかりじゃないかもしれない。けれど、やりたいことをやっていたら、最後は全部が笑い話になると私は信じてる。

どんな失敗だって、やってみたからこその失敗で、やらなかったら失敗も存在しない。やってみたことに、私自身の価値があるとそう思える自分がいる。なので、やってみようと思ったことは「やる」と決めている。人生の最期の日のために。

どんな生き方が正解とか不正解とか、そんなものはない。自分が、自分でいてよかったとそう思えるなら、どんな生き方でもいいと思ってる。

私は、あくまでも私が生きたいように生きると決めてるだけ。それを真似しなさいなんて、微塵も思わない。

ただ、その生き方でいいの?本当に?

それだけは、何度も聞いてみたくなる。私は、私に何度も聞いてみてる。

人生100年時代も、平均寿命80歳超えも、自分の人生に当てはまるかはわからないよ?

さて、あなたはどうする?このまま生きる?何か変えてみる?自分の人生の選択は、自分にしかできないよ。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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