正解を探すのをやめたら、一緒に考えられるようになった — 親が学んで気づいた「一緒に選ぶ」ということ
親が学ぶと子どもを守れるシリーズ
「どうしたらいいですか?」
気づけば、
その一言ばかりを繰り返していました。
支援者に聞けば安心できる気がして、
正解をもらえたような気がして、
その場では少しだけ楽になる。
でも、家に帰るとまた迷う。
同じような場面で立ち止まり、
結局また「どうしたらいいんだろう」と考えている自分がいました。
本当は、子どものことを大切に思っているはずなのに、 いつの間にか“間違えないこと”のほうが大事になっていた。
「これで合っているのかな」
そんな不安の中で、
私は“選ぶ”ことを手放していたのかもしれません。
早く正解に辿り着きたくて、
つい先回りしてしまう。
「こっちがいいよ」
「こうしたらうまくいくよ」
そうやって関わりながら、
私は“選ばせているつもり”で、
実は選ぶ機会を減らしていたのかもしれません。
経験が足りなかったのではなく、
経験する前に“整えすぎていた”のだと思います。
子どもが何度か選んだ赤色。
好きなんだと思い込んでいました。
赤がいいよねって渡してました。
成長するとともに好きな色が変わるなんて
簡単なことに気が付きませんでした。
不安定になるときは決まってお片付けのとき。
不安定にならないようにある程度手伝っていた。
先回りが私のくせになっていました。
どれから片付けていいかわからなかっただけでした。
そうやっていくうちに気づいたのです。
選ばせたつもりが、子どもが不安定になるばかり。もしかして納得できていない?
そう思う日が増えていきました。
その中で子ども自身が納得する選択に辿り着くまでにはこんなこともありました。
答えを私自身が誘導してるかも?
選んだら叶うと思わせてしまった!
聞きすぎて嫌がられてしまった!
失敗は数知れず、長い月日がかかりました。
それでも赤じゃなくて青がすきだとわかったとき、ピカピカの笑顔に辿り着きました。
悲しいときの原因を知りたくて試行錯誤して
聞いていきました。
そしてその答えに辿りついたとき、
あー、やっとわかってくれたと
下を向いていた子どもの顔が上がりました。
また立ち上がる理由となりました。
うまくいくことばかりではないけれど、
「自分で選んだ」という経験が残る。
選ぶその先には必ず責任が残ることが大切。
本人が理解できる形でどうしたい?と
再現性のある選び方ができるようになっていきました。
そうやって子どもたちと選ぶことを
軸に生活していく中で、私自身も
選ぶことを大切にしていいんだと
思えるようになっていきました。
そう言えるようになった今でも、
迷いがなくなったわけではありません。
これでいいのかと考えることもあるし、
揺れることも、何度もあります。
でも、ひとつ違うのは、
“選んでいる感覚”があること。
誰かの答えに従うのではなく、
自分で引き受けて選んでいる。
完璧な選択ではなくても、
納得していると、
そのあとの関わり方が変わる。
子どもに対しても、
「こうしなさい」ではなく、
「私はこう思っている」と伝えられるようになりました。
その違いは、
思っていた以上に大きいものでした。
親が学ぶことは、
子どもを変えるためのものだと思っていました。
どうしたらできるようになるのか。
どう関われば問題が減るのか。
でも今は、少し違う意味を感じています。
学ぶことで変わるのは、
子どもではなく“自分の見方”でした。
見方が変わると、
関わり方が変わる。
関わり方が変わると、
子どもとの関係が少しずつ変わっていく。
そしてもうひとつ。
学ぶことで、
支援者の言葉をそのまま受け取るのではなく、
一緒に考えられるようになったことも大きな変化でした。
親が学ぶことは、
子どもを守る力になる。
そう思えるようになったのは、
この積み重ねがあったからです。
子どもとの関係が、
劇的に変わったわけではありません。
今でもうまくいかない日はあるし、
迷うことも、変わらずあります。
でも、ひとつ確かに変わったのは、
その時間の“質”です。
子どもが崩れても、
正解を探して焦るのではなく、
「さぁ今度はどうしていこうか?」と、
一緒に考える時間になっています。
不安がなくなるわけではないけれど、
不安に振り回され続けることは減ってきました。
私はこれからも、
子どもに意思があることを信じて
“一緒に選ぶ親”でいたいです。
