天職は降臨する
その一言を聞いた瞬間、私の中で「カチリ」という音が響き、今まで寄る辺なく渦巻いていたエネルギーがみるみるうちに整然と方向づけられた。
経営している小さな宿の宣伝のため、動画制作を依頼したときのこと。宿の特徴や料理を説明する私に、撮影していた制作会社の人から突然飛び出したのが「ナレーション、やってみませんか」の言葉だった。
昔から、なぜか適当にあしらったことが絶賛され、努力の方向性に疑問を持っていた。
小学校時代、我ながら笑うくらい手抜きの限りを尽くしたお祭りの絵が金賞になり、恥ずかしくて冷や汗がでた。中学時代、細かい絵を描くのが面倒くさいので大きな銀杏の葉を1枚描いただけのろうけつ染めのクッションカバーが優秀作となり、首を傾げた。大人になってから、賞金目当てに小学校以来となる詩作を、しゃれ半分で地方の文学賞に投稿したら、大賞の最終候補に残り、詩人の方から講評をいただいた。
だが、私は画家にも詩人にもならなかった。心血を注いだ結果ならともかく、いくらほめられたところで、何かの巡り合わせが招いた偶然にすぎないことは本人が一番良くわかっていたからだ。このとき、絵や詩の才能があると勘違いしなかったことだけは、自分をほめたいと思っている。
そして人生も終盤にさしかかったある日「ナレーション、やってみませんか」の言葉が降ってきたのだ。
子供の頃から国語の時間、教科書を音読するのは得意だった。授業も終わり近くなると必ず当てられたのは、私がほぼ間違えず、しかも、足は遅いが口は早いので、貴重な休み時間を削ることがないからだ。そうだ、私には音読の才能があったのに、自分で気づいていなかった。
その日から、改めて発語・発声のトレーニングに励み、好きなナレーターや俳優の朗読に耳を傾け、文章や作品の解釈を深め、表現力を磨いていった。そして私の天職・声の仕事への道が開けていった。
ずっと読書が好きで、様々なジャンルの本を読み、拙いながら文章も書いていたが、大きな目標もなく何となく続けていたことが「声の仕事」という目標によって統合され、ますます意欲が高まった。良い文章は声に出してすらすら読めることを学び、ライティングにも良い影響を与えてくれたように思える。
そして、この仕事に関わった何よりの喜びは、朗読によって、作者の心情と一体になり、作品を通し、時空を超えて心を通わせることができたことである。
一見回り道をしたようだが、すべてはここに通じていたと、今、心から信じている。
だが、自分が何となく「好き」と思ったことは必ずしもすべて天職に通じるとは限らない。かつての私がそうであったように「好き」には、それぞれの生活事情や虚栄心、時代を支配する価値観、などに影響されている可能性があるからだ。
天職とは自他ともに認める才能があり、倦まずたゆまずエネルギーを打ち込め、疲れを知らずに続けられる、続けずにはいられない行為である。それは必ずしも経済的に生活のすべてを支えることはできないかもしれないが、生涯心の支えになってくれるだろう。
日本の版画界の第一人者が「自分は版画の神に愛されている」と、天職という言葉を実に簡潔に表現している。すべての人は必ず何かの神に愛されている。その愛に気づき、応えるか、生涯気づかずに過ごすかが、天職に巡り会えるかどうかの分かれ道になると思う。見栄や欲望を捨て、周囲に流されることなく、自分自身に正直に向き合えば、いつか天職が降臨する日が来るのではないだろうか。
天職は英語で」calling なのだそうです。なるほど
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