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歴史学者ウォルター・シャイデル。経済格差は暴力によってのみ是正されるのか?

インフレが進んでいくと、資産を持つ人と持たない人のあいだで大きな経済格差が開いていく。スタンフォード大学の歴史学者ウォルター・シャイデルは、歴史上、経済格差が本当に縮んだのは、戦争、革命、国家崩壊、疫病……、つまり大量死をともなう「暴力」が発生したときだけだったと述べている。(鈴木傾城)

▼ 格差は暴力でしか埋まらないのか?

インフレが加速すると、経済格差はさらに過激に広がっていく。資産を持っている人は資産価値が上昇して利益を得る一方、資産を持たない人々は出費がかさんで生活苦に陥ってしまうからだ。

この経済格差はどうすれば縮まるのか。この問いに対して、スタンフォード大学の歴史学者ウォルター・シャイデルはきわめて冷酷な事実を提示している。

ウォルター・シャイデルは「人類が大規模に格差を縮小させた局面を並べると、そこにひとつの共通点が浮かび上がる」と述べている。

第一次世界大戦、第二次世界大戦、ロシア革命、中国の共産革命、西ローマ帝国の崩壊、そして14世紀のヨーロッパを襲った黒死病……。これらは、いずれも膨大な数の死者をともなう破局的な事件だった。

格差を本当に縮めたのは、累進課税でも最低賃金の引き上げでも社会保障制度の拡充でもない。資本そのものが物理的に破壊される事態だった。

戦争は工場と設備を焼き、株式や債券を紙くずに変えた。革命は地主から土地を取り上げ、資産家階級を丸ごと消滅させた。疫病は働き手を大量に奪い、生き残った農民の交渉力をいっせいに引き上げた。

ウォルター・シャイデルは、著書『暴力と不平等の人類史』のなかで、これらを「四騎士」と名づけている。

世界大戦、変革的革命、国家の崩壊、疫病の4つだ。シャイデルの主張は明快である。平時の政策がもたらす格差是正の効果は、これら4つの事件がもたらした効果とくらべれば、はるかに小さい。

不穏な話だが、この指摘には裏づけがある。

20世紀に欧米の格差が劇的に縮んだ時期は、2度の世界大戦の期間とほぼ完全に重なっている。戦争が終わり、平和が定着し、経済が成長するにつれて、格差はふたたび開きはじめた。1980年代以降の欧米では、その傾向が加速している。

そして現在、米国の上位1%が保有する資産は国全体のおよそ3割に達している。日本でも、金融資産をまったく持たない世帯が単身世帯を中心に相当な比率を占めている。格差はもはや拡大の一途をたどってエスカレートしているのが実態だ。


▼ 四騎士がもたらした数字の落差

第一次世界大戦の直前、欧州主要国において上位1%が保有する資産の比率は、国によっては6割前後に達していたとされる。それが2度の大戦と大恐慌を経た1970年代には、大幅に低下した。フランスやイギリスでは、上位1%の資産シェアが戦前の水準から半減以下になった。

この低下は税制改革の成果というより、資産そのものが消えた結果だ。

空襲によって工場が破壊され、海外資産は接収され、戦時国債はインフレによって実質価値を失った。ドイツと日本にいたっては、敗戦によって国内の生産設備の相当部分が失われている。資産が消えて、資産の集中も同時に消えた。

黒死病の事例はさらに極端である。14世紀半ばのヨーロッパでは、疫病によって人口の3割から5割が失われたと推計されている。労働力が半減すれば、働き手の価値は跳ね上がる。

実際、イギリスでは黒死病後の数十年で農業労働者の実質賃金が大幅に上昇した。領主たちは賃金上昇を法律で抑え込もうとしたが、市場の力には勝てなかった。

一方で、平時の再分配政策がどれほどの効果をあげたのかを見ると、話は一気に地味になる。

米国のニューディール政策は労働者の権利を大きく前進させたが、上位層の資産シェアを劇的に押し下げたわけではない。実際に米国の格差が急速に縮んだのは、第二次世界大戦への参戦後、最高税率が90%台に引き上げられ、賃金統制と戦時動員がおこなわれた時期である。

つまり、ニューディールという政策の効果と、世界大戦という暴力の効果は、時期的にほぼ重なっている。両者を切り離して評価するのはむずかしい。シャイデルはこの点を突いて、平時の政策単独では格差是正の力は限定的だと断じた。

批判的に見れば、この議論には測定の偏りがある。シャイデルが扱うのは資産分配の変化であり、生活水準そのものの底上げは別の話だ。国民皆保険や公教育の普及は、資産統計には表れないかたちで生活の格差を縮めている。

だが、資産の集中という一点に絞れば、シャイデルの指摘はおおむね事実に即している。そして現代の資産集中を生んでいる最大の装置が、言うまでもない。「株式市場」そのものだ。


▼ 米国株市場が生む静かな分断

米国株市場は、いま格差を拡大させる仕組みとして機能している。世界を支配している企業の多くは米国株式市場に存在する。エヌビディア、アップル、マイクロソフト、アマゾン、アルファベット、メタ、テスラのいわゆるマグニフィセント・セブンもすべて米国企業である。

富が米国株式市場に集中している。この米国株式市場に投資できている人たちが大きな富を得ている。株価が上がれば上がるほど、上位層の資産だけが膨らむ。ニュースは株価の最高値更新を好況として伝えるが、その恩恵を受け取っているのは人口の一部にすぎない。

トマ・ピケティが『21世紀の資本』で示した「r>g」という不等式、すなわち「資本収益率は経済成長率を上回る」という社会現象は、これを端的に説明している。簡単に言うと、資産を持つ者の富は、働いて賃金を得る者の所得よりも速く増える。

日本でも事情は変わらない。新NISAによって個人の投資参加は増えたが、投資に回す余裕資金がない層は制度の外側にとどまる。金融資産ゼロの世帯にとって、非課税枠がいくら拡大しようと意味を持たない。

さらに指摘しておくべきは、この分断が世代をまたいで固定される点だ。株式を保有する親の資産は相続によって子に渡り、複利の効果はその時点からさらに働きつづける。一方、資産を持たない家庭の子は、賃金所得からのスタートを強いられる。

もっとも、株式市場そのものが悪意を持って格差を広げているわけではない。誰でも同じ銘柄を同じ価格で買える点において、市場はきわめて公平だ。問題は、参加するための元手を持つ者と持たない者が最初から分かれていることにある。

公平な市場が、不公平な出発点をそのまま拡大して映し出している。

暴力をともなわないまま、格差は静かに、着実に固定化されている。ではなぜ、政治はこれを止められないのか。


▼ 暴力なき是正がむずかしい理由

平時の民主主義において格差の是正が進まない理由はいくつもある。

資産を持つ層は政治的な影響力を持つ。選挙資金の提供、業界団体を通じた働きかけ、メディアへの露出において、資産家層は圧倒的に有利だ。増税案が出るたびに反対の声が組織的に上がり、法案は骨抜きになる。

米国では2017年の税制改革によって法人税率が35%から21%に引き下げられ、株主への還元がさらに拡大した。

では、特定の国が資産課税を強化すれば、どうなるのか。資金は税率の低い国へ移る。実際、フランスは富裕税を導入したのちに国外への資産流出を招き、2018年に対象を不動産に限定するかたちへ縮小した。

国境を越えて動く資本を、一国の税制だけで捕捉するのはきわめてむずかしい。

富の再分配をするのであれば、格差の当事者である低資産層が政治に働き掛ければいいのだが、残念なことに低資産層ほど投票率が低い。所得階層と投票率には正の相関があることが各国で確認されている。

これは、無理もない。考えてみれば分かるが、生活に追われている人間ほど、政治に時間を割く余裕がない。誰に投票したらいいのか調べる気力もないし、投票に行く元気もない。

要するに、平和的な手段による大規模な格差是正は起こらない。

だから、シャイデルは指摘しているのだ。歴史上、格差が本当に縮んだのは、こうした政治的な抵抗をすべて吹き飛ばすほどの「暴力」が発生したときだけだった。

「暴力」による是正は格差を縮めるが、同時に無数の人命を奪う。戦争も革命も疫病も、支払う代償が大きすぎる。格差が縮んだからといって、誰も豊かにはならない。全員が等しく貧しくなるだけだ。

歴史が示しているのは、暴力による是正の効果であって、その正当性ではない。できれば、それは避けて欲しいものである。


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