内灘ー金沢・暮色のパノラマ
四季の雨が降る街でー旅するように暮らした金沢
さて、どこから描けば良いだろう。
内灘は、私にとって一言で済ませる事が出来ない場所となった。
宇野気から白尾へ抜けるバイパスのトンネルを抜けて、日本海へ真っ直ぐ飛び込んで行くあの爽快感。
視線は一気に高度を上げ、上空を滑空する一羽の鴎となって、眼下の世界を広く見下ろす。
そこには能登半島のうなじともいえる長い海岸線に広がる松林を飛び越えて、道は右に大きくカーブを曲がり、能登に向かって真っ直ぐ北に延びていく。
ここから眺める波の大きさやうねりを見て、心は今から挑む波を見つめていた。
それが何かから逃れたい時も、この海へ飛び込んでいく道は私の胸の高鳴りをいつも支えて来た。
金沢を遠く離れ、今はあの頃の社内政治という台風の暴風圏の外に出て東北の海の上に浮かんでいる。
あの時の泥は一握の砂のように渇き、指の間から流れ落ちていく。
これは自分が成長したからではなく、戦いからの撤退をしたからだろう。
かつてあれほど自分を狂わせた感情は、今は自分を傷つける意味を持っていない。
今はあの景色だけが、私の中に残っているだけだ。
金沢に来て最初の休みは内灘に行った。
まだ車を持っていなかったあの夏、地図を広げ、浅野川線の終着駅を目指した。
銀色の無機質な表情をした時代錯誤な古い列車に驚きなら、私は本能的に海を目指したのだった。
それはまるで、保護犬が新しい環境に慣れるためにマーキングをする縄張りの確認のようでもある。
街に充満する綺麗事の閉塞感から抜け出したくて、自然と身体が境界線を求めていたのかもしれない。
駅からの二キロの道のりは、赤茶けた融雪道路のアスファルト、住宅街の長い上り坂。
この先に本当に海があるのか。
肌に張り付くシャツ。
汗を拭い丘の上に立つと、横切るバイパスの向こうにようやく青い線が見えた。
同じくらい長い坂を下って、アスファルトは次第に乾いた白い砂へと変わっていく。
やがて真向かいから潮風が吹き付けて来た。
固い砂浜に何本も書き足された車の轍がどこか遠くの星に来たようだった。
足許はすっかり白い砂浜になり、ひどく歩きにくかった。
砂浜地帯がどこまでも拡がっており、ぽつんと取り残された、射撃指揮所跡が半分砂に埋もれている。
無機質な灰色のコンクリートの傍ら、まばらに生えた草の上に座り込んでやがて来る夕陽を待った。
「砂漠みたいだな」―井上靖「北の海」
物語のあの日と同じであろう大きな積乱雲を背に、遠く海辺で興じる少年たちに洪作たち4人が見た情景を重ねてみる。
遮るもののない日本海の大海原に沈む夕陽を飽く事なくじっと見つめた北の海の夏。
金沢に戻ると折り返したジーンズの裾から内灘の細かな砂がさらさらとこぼれ落ちた。
やがて車を手に入れると、行動範囲は広がり、内灘は金沢の「出入り口」として、より大きな境界線へと変わっていった。
仕事としての金沢は綺麗事ばかりではなかった。
むしろ、回収されないやりきれなさや、嫌な役回り、欺瞞など、華やかな世界とは真逆の汚さやいやらしさ、何より自分の中に巣くうこだわりとプライドが常に満ちていた。
偏屈さやみじめさ。
かといって、野良犬に戻るほどの勇気もなかった。
そこから何もかも放り投げたくなる衝動を抑えるために、私は休みの度に車を走らせた。
それが延命措置にすらならないことをどこかで分かっていても。
それでも、そうしないと心も身体も落ち着かなかった。
そのもどかしさと苛立ちを携えて、激しく波にもまれることで全てを忘れた。
同時に、己のひ弱さを知った。
この海の圧倒的な恐怖感に比べれば、社内政治の処世術などまったくもって救命道具にならない。
自分は一体何しに来てるんだろう、とも思った。
それでも、あの街とうまく付き合っていくために、自分をどこか欺くために、私はこの境界線を越え続けた。
社内メールの通知をすべて切って。
能登からの一時間を走り抜け、内灘の丘へ這い上がり仰ぎ見る東の空。
左に残雪を冠して鋭くそびえる剱岳と立山連峰の雄姿、そして右手にたおやかに構える白山の大山塊、医王山の青い山並みが、夕暮れの斜光──アーベントロートに焼かれ、神々しい残光を放って連なっている。
翻って西の海には、遥か遠くから幾重の襞となった長い波が海岸線を洗っていく。
そして夜へと融けていく怒涛。
そして眼下には、揺れる街の灯。
暮色が融解し、ひとつに重っていく。
私はただそのパノラマの真ん中で立ち尽くしている。
何故ここに来たんだろう。
何の因果で、ここに来るなんて、
あの頃どうやって想像がついただろう。
何が正しいのか間違いなのか。
私は何がしたいんだろう。
そして私はどこへ行くんだろう。
世界は私を慰めるでもなく、沈黙したまますべてをうやむやに、けれど圧倒的な美しさで包み隠していく。
この金沢の天気の、気まぐれな一瞬の中で。
足の裏についた砂の感触だけがわずらわしい。
フロントガラスの向こうに現れるパノラマを、私は自分の傷を隠すための贅沢な包帯として使っていただけなのかもしれない。
ただ内灘から見る金沢の景色は、私に「帰ってきた」という奇妙な安堵だけをもたらしてくれる。
「きれいやな」と、声が出た。
再びアクセルを踏み込む。
夕暮れの大野川橋梁を越えて光の中へ帰っていく列車と並走する。
バックミラーの中で、内灘の丘が静かに闇に没していこうとしている。
私は最初から何の感情も持たなかったかのように、ただハンドルを握り続けている。
そんな「小さな嘘」だけが、あの日の私を支えていた。
次章:⑤片町と長町―聖と俗の往還
#旅するように暮らす #金沢暮らし #金沢 #街の気配 #土地の記憶 #エッセイ #内灘 #北の海 #夏の日
#50代
