将棋歴十年以上の将棋部員が読む「うつ病九段」〜将棋と共に生きる一人の人間の闘い〜
あなたは、紙一重の勝負で、何十年も生活をする人間の気持ちが想像できますか?
うつに倒れ、誇りをもって続けてきたものが、社会的に認められなかったらどうでしょうか?
「うつ病九段」は、将棋のプロ棋士・先崎学九段がうつ病と闘った一年間を自ら綴ったエッセイです。
自分は現在大学で将棋部に所属しており、メンタルがやられていたときにこの本を読んで、大きく影響を受けました。
将棋を指す人でなくとも、先崎先生の将棋への姿勢には心を揺さぶられるものがあります。
また「うつ病とはどのような病気か」というだけでなく、
うつ病によってギリギリで必死に生きている人間が、
その歯車を大きく狂わせられたらどうなるのか
という見方もできるな、と思いました。
うつはメンタルじゃない
一通り読んだところ、第一線でプロ棋士として戦ってきた先崎先生はメンタルが弱い訳ではないなと感じました。
宮田聖子氏の
「アマ最強への道 将棋強豪の勉強法と習慣」という本で、
トップアマである鈴木肇氏が
「終盤はメンタルゲー」
「メンタルの成長は将棋の成長に大事」という風に語っていました。
将棋においてメンタルの強さは不可欠です。
その世界で第一線に立ち続けた先崎先生がメンタルが弱いとは考えにくい。
ですから、うつ病はメンタルの病気、という考えはこの点から否定されると思います。
彼の場合、将棋界の重鎮として界隈のとても大きな問題に真っ向からぶつかってきたことで、限界が来てしまった、という感じです。
具体的には当時「ソフトの不正使用疑惑事件」があり、先崎先生は連盟の形を保つため奔走していました。
その上で、映画「3月のライオン」で将棋界のイメージの挽回を図っていました。
「ソフトの不正使用疑惑事件」は当時のアマチュア界でもかなり影響が感じられました。
その頃から、
「対局中はスマホの電源を切って机に伏せておく」
「トイレに籠もるといった怪しい行動は避ける」
などの新しい常識ができました。
それでも以降、学生将棋でソフト指し事件はありましたし、将棋連盟がこの先ずっと向き合っていくべき課題ができたといえます。
話は戻りまして、うつの症状が重症化しても先崎先生はすぐには入院しませんでした。
なぜなら先崎先生にとって、
「三十年前に棋士になって、千局以上指して、不戦敗は一局もなく、これは私にとって誇り」
であったからです。
先崎先生は
「あっさり負けて苦労して勝つ」タイプなので
体調が万全でないと苦しいことが多かったでしょうが、
誇りを持って闘い続けていました。
この「誇り」は先崎先生の根幹をなすもので、
「将棋が強いという自信は自分の人生の全てだった」と語っています。
しかし、「時間を稼ぐのがうつ病治療のすべて」であり、やむなく一年間の闘病生活を送ることになります。
将棋のプロがうつになるということ
将棋のプロがうつ病になることは、普通よりもさらにつらいものだと想像できます。
プロの将棋は紙一重で勝負が決まるので、研ぎ澄まされた「感覚」が鍵を握ることが多いです。
うつ病は脳の病気なので、先崎先生はその繊細な感覚が元に戻らずとても苦労されました。
医学的に「治った」とされてもとても元のように手は見えないでしょう。
また、将棋は一局にとても体力を使いますし、ストレスも感じます。
自分の経験でいうと、アマ学生トップクラスの強豪と四時間かけて一局将棋を指したときにそれを実感しました。
その日は風呂に入らず寝てしまい、
脳が興奮状態でなかなか寝付けず、
寝てもまだ疲れており、
風呂に入ると髪がごっそり抜け落ちていて、ぞっとしました。
こんなことを続けて生活するプロ棋士の壮絶さは想像もつきません。
さらに、将棋の世界は弱肉強食です。将棋が弱いと人が離れていきます。
うつ病から「医学的に」治ったとして、果たしてこの世界で生きていけるでしょうか?
それは、とても難しいでしょう。
誇り
では、なぜ先崎先生は真の意味で回復できたのか?
それは、先崎先生が大切にしていた
「誇り」
「人間関係」
があったからでしょう。
まず「誇り」について。
「病気のことならともかく将棋のことなので、誰にも相談するわけにもいかない。」
先崎先生は一人苦しんでいました。
プロはやめて将棋教室で暮らしていこうかとも思いました。
しかし、「将棋が弱くなる」
それはどうしても許せない。
これが先崎先生の原動力になりました。
解けなくなった詰め将棋に向き合ったり、知り合いのプロと練習対局をしたり…。
先崎先生はこう語っています。
「将棋は、弱者、マイノリティ-のためにあるゲームだと信じて生きてきた。国籍、性別、肉体的なことから一切公平なもの、それが将棋だ。私は、その将棋のプロであることに誇りを持って生きてきた。」
あなたは、何かに誇りを持って生きていますか?
私は、持っていません。
持っているといえるほど積み上げてきたものがないからです。
読んでいると、誇りだけでそんなに頑張れるものなのか、と何度も思いました。
欲をいえば三十歳を過ぎるくらいには、小さいことでもいいので
「これに誇りを持って生きています」
と言えるようになりたい、という思いが生まれました。
人間関係
続いて「人間関係」について。
先崎先生の周りには、
精神科医である兄、囲碁のプロ棋士である妻、そして多くの将棋仲間など、うつ病と闘う背中を押してくれる人が多くいました。
精神科医の兄は「必ず治ります」のようなひとことを多くかけてくれました。
多くを語らず、人に響くひとことを伝える姿に憧れを覚えました。
囲碁のプロ棋士である妻はプロ棋士としての誇りを理解して、近くから先崎先生の苦労に少しでも寄り添おうとしてくれました。
先崎先生と同じ将棋のプロ棋士の方々の後押しも大きなものでした。
自分が特に印象に残ったのは鈴木大介先生と中村太地先生です。
鈴木大介先生はプロ雀士でもあり二刀流で有名な先生です。
第一線で闘う貴重な振り飛車党であり、麻雀でも相手の捨て牌を読む姿に将棋指しらしさを感じて、
以前からファンでした。
しかし本書を読んで、
将棋界の重役として連盟を支えていたり、先崎先生が倒れた際に何度も会いに来られていたことを知り、
人間としてもファンになりました。
中村太地先生については、元タイトルホルダーであり、
簡単には倒れない終盤の鬼、といった印象でした。
しかしそれとは対照的に本書では、中村先生の「抜けている」ところが描かれており、人間的な部分に親しみを感じました。
人の奢りで豪快に食べるシーンも好きですが、特に好きなシーンは故・米長邦雄先生の墓参りに行くところです。
先崎先生が座りこんで米長先生の奥さんを待っているとき、ふたりきりで行くと思っていた中村先生はボーッと立っていました。
「ふたりきりだとわかっていたのなら、こちらが座り込んでいるのになぜ早く行こうといわんのじゃ。アホか」
と先崎先生が言ったのに対して
「そりゃそうですね、馬鹿なんです、ぼく」
と答えたそうです。
真偽はわかりませんが、
中村先生は、うつである先崎先生のペースに合わせようとしてただ立っていたんだと思います。
それで「馬鹿なんです、ぼく」と答えたとしたら、気遣いを悟られないような思いやりに満ちた返しですよね。
どちらにせよ、先崎先生目線、愛嬌があっていい後輩
という感じでいい印象を受けました。
自分はこう読んだ
自分は本気度こそ違えど、将棋と共に生きる人生を生きています。
実力主義の大学将棋で勝ち抜かねばいけません。
そのため、中途半端にエンジョイ勢として落ち着いているわけにもいきません。
また自分は、大学受験や大学生活による精神的な不自由をもっています。
程度は違えど、先崎先生と重なる状況にある今、自分はどう生きていこう。
貪欲に将棋の強さを追い求めよう、
退屈に感じる将棋の勉強もすすんでしよう、
負けてもめげず弱さと向き合おう。
ただ自分の「誇り」に向かって。
それはきっとどんな辛いことがあっても乗り越える力になる。
自分の中ではこういった結論になりました。
これはあくまで将棋指しとしての受け取り方ですし、他にも色々感想を持ちました。
うつについてのこと、人間関係のこと。
等身大の文章だからこそ、読む人によって痒いところに手が届く発見があると思います。
なのでぜひ、この本を手に取って読んでいただきたいです。
改めて問いかけたいのですが、
あなたにとっての「誇り」は、何ですか?
初めてのnoteにも関わらず、3400字を超える長文になってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
