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承認という梯子を外されて〜孤独なシャッターの先に見つけた、借り物ではない自分だけのハンドル。

前回は、コミュニティから疎遠になり、一人の孤独を受け入れるまでの話をしました。

孤独を受け入れることは、寂しいけれど、何だか清々しい決断でした。

でも、あの写真展で「娘さんの成長、楽しみですね」と言われたとき、僕を襲ったのは孤独感だけではありませんでした。
もっとドロドロとした、認めたくない「プライドの崩壊」があったのです

今回は、誰かの「いいね」のために生きていた僕が、いかにして「自分を愛すること」を取り戻したかをお伝えしていきます。

あなたは、承認欲求と上手く付き合えていますか?
もし、「No」という方には、この先を読み進めて貰う事で、少し心が楽になれるお手伝いが出来るかもしれません。

人からの承認で走る車

かれこれ25年ほど続けている写真。
娘が産まれるまでは全国を飛び回り、撮り回る日々でした。楽しくて仕方ないはずだった写真に対して、2010年代辺りからこう考えるようになっていました。

顔を売り、評価を求め、コミュニティの「中心」に近い場所にいるような自分でないと意味がない

コミュニケーションスキルもないくせに、大勢の人が集まる場所で名刺を配ってみたり、界隈の有力者と近づきたくて飲みの席に行ってみたり。ある時は、まるで知り合いのいない飲み会に飛び込んだ事もありました。
写真も、オリジナルでも勝負していましたが、同時に「それでも周りからの評価が目に見える形で実を結ばなければ意味がない」と思っていました。一日数時間平気で費やすようなSNS、「いいね」の数で激しく一喜一憂していました。

投稿した写真に「いいね」がつかない事に一人ざわつき、コメントが来ると浮かれる。
「写真が好き」という本来持っていた感情以上に、とにかく周りからの承認を渇望していました。

とにかく認められたい。一目置かれたい。
一角の人になってから娘を迎えないと
「何者」でもない自分なんて意味がない
俺の事をを忘れないでくれ!

まさに僕は「承認欲求」で走る、すこぶる燃費の悪い車に乗っていたんです…。
「誰かの目」という、借り物のハンドルを握って…。

久しぶりの再会、そして外された梯子

娘が産まれてからの生活は、喜ばしい事と同じ、いやそれ以上に、上手くいかない現在の自分と、そこに至るまでの生い立ちをないまぜにして直視させられます。そんな中で心のバランスを崩しかけていた僕は気分転換に、かつて出入りしていたコミュニティの写真展に行ってみる事にしました。
久しぶりにお会いする人たちとその写真に、かつてのアイデンティティを束の間取り戻せた気になりました。
ひとしきり観た後、ご挨拶をと関係者に話しかけるとー

「パパ、頑張ってるね!」
「可愛いのは今のうちだよ!」
「娘さんといっぱい楽しんでね!」

前回の記事で強い孤独感を味わったこの台詞たちの裏で
僕はもう一つの絶望感を味わっていました。

あ、もうここでは、僕は写真家として評価されないんだな…

普段表向きは「謙虚」の皮をかぶせておいた「表現者としてのプライド」が、木っ端微塵に砕け散った瞬間でした。
強制退場させられた(ように感じていた)僕の価値は「ゼロ」。
僕は、プレイヤーとして、死んだ。
当時の僕はそう感じていました。

自分自身の再構築、そして「決別」

これだけが原因ではありませんが、諸々心の不調が重なり、メンタルダウンしました。
カウンセリングにかかるのをきっかけとして自分自身を見つめ直す作業が日課となりました。

内省を深める日々とは別個で、心理学についても学びを深める事を日課としていました(今でも継続中です)。そんな中で、ある考え方に出会いました。

・「人からどう思われたいか」より、「どんな自分でありたいか」を大事にしよう。
その「ありたい姿」を愚直に磨き続ければ、ファンは自ずとついてくる。

・比べるなら他人ではなくて過去の自分。

冷や水をぶっかけられた思いでした。
僕は、今まで本当に長い時間を、「誰かの価値基準」に合わせて生きていた。そのくせ、認められたい・何者かでいたいと渇望していた。
投稿ありきの写真「いいね」や「コメント」数の寡多に一喜一憂する事
どれも、本来の核である「写真を撮るのが好き」という事の「外周の出来事」に過ぎないのに…。

おりしも「これまで以上に孤独を愛そう」と決めた頃でした。それからというもの、嘘のように他人からの賞賛に執着する事が減りました。

他人の評価を求めて全国を回らなくても、僕には積み上げてきた技術と、僕だけの視点がある。それを無理なき範囲で活かせばいい。

誰かに見せるために媚びなくても、自分の世界を愚直に作り続けていれば、見てくれる人は必ずどこかで見ていてくれる。これまでだって、あったはずです。
それに、心底自分軸で撮れている事自体、過去の自分に比べたら大きな大きな成長の証です。

そうして、家の近くに格好のワクワクする被写体を見つけてからというもの、「誰かに愛されるために撮る」のをやめました。あんなに渇望していた「いいね」に囚われなくなり、SNSを、一部断捨離しました。基本はInstagramの発信のみ。通知はオフ。たまに覗いて「いいね」が少ないからって、自分の価値が下がったわけじゃない。
僕が撮りたいものを撮って、出したいものを出している。ただそれだけ

「自己満足」と言われればそれまでだけれど、自分が最初に満足出来てなくて、一体どう楽しめというんだろう?

そう、僕は借り物ではない「自分特製のハンドル」を手に入れて、自分の気持ちを燃料にして走れるようになったんです。
自分自身の表現を心から愛せるようになったんです。

撮れない時があってもいい
カメラを持ち出せた事が重要
「自分を取り戻す」時間には変わりないのだから

いつの間にか自己肯定感も上がって、完璧主義も緩んでいました。

そして、あの日ギャラリーでの出来事をこう定義し直しました。

もう、他人の土俵で戦うのはやめよう。
梯子を外されたのではなく、承認の呪縛から解き放たれるために、自分から梯子を降りたんだ

近況報告や投稿でSNSは今でも使います。
でも、呪縛の解けた僕は、今は引き摺られていません。
とはいえ、家に戻れば日々の生活があるので、写真にかけられる時間は激減しましたが、
今までで一番自由で快適な写真人生を送れています。

自分を、誰よりも愛して欲しい

今、スマホの画面越しに誰かの顔色を窺って、自分を「ダメな奴だ」と責めているパパさんへ。

その承認欲求は、あなたが「自分を愛すること」を忘れているサインかもしれません。

人を愛するためには、先ずは自分が真に満たされているのが大事!

その為にも、満たされる為の土壌造り(自己肯定感を上げる・承認欲求に縛られ過ぎない等々)は最優先課題です。

無理して誰かと繋がらなくていい。
無理して誰かに認められなくていい。
ただ、自分の「好き」に忠実でいてください!それだけで、パパであるあなたの価値は、何者にも代えがたいほどに輝くはずですから。

陰ながら応援していますね📣

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