動機なんて、不純でいい
――俳優思考・第十三回
「芸能界という場所でやっていこうとする本当の気持ちは何ですか?」と教え子たちに問うと、「観てる人に感動を与えたい」「自分も昔、映画を観て救われたことがあるから、私も誰かを救いたい」などと言ったような、何とも優等生的な回答をされることがあります。
何が正解か、そんなものはありません。なんだっていい。
動機なんて人それぞれで構わない。
でも、観てる人に感動を与えたいのであれば、俳優以外でもいいわけですよね。スポーツ選手だって、画家だって、建築家だって。
誰かを救いたいのなら、警察官だって、レスキュー隊だって、ショップの店員さんだっていいじゃないですか。
テレビや映画に出たいんです、っていう人もいます。
それも、俳優じゃなくてもいくらでも出る術ありますよね。
なのに、それでも俳優にこだわる理由は何なのでしょう?
俳優志望でなくても、あなたが今目指しているものがあるなら、
それにこだわる理由は何なのですか?
その答えは、おそらく今は出てこないと思います。
むしろ最初から答えが出すぎている方が、案外窮屈だったりします。
もう何年も前ですが、私が、俳優を志した理由は単純に「もてたい!」でした。安易でしょ。教え子のほうがすごく立派。
でも、これ自体を駄目だとは全く思ってなくて、動機なんて不純でも、続けているうちに「もてるにはどうすればいいんだ?」って思考になってきたりするんです。
つまり、「行動から得られる気づき」ですね。
そうして進化をとげていくと、今度は、
「もてるにはもっと別の方法の方が簡単だ」
ということに気付いたりします。
私の場合は、演技の難しさや厳しさ、その陰にひっそりと佇む愉快さを知って、「どうすればこれを仕事にできるのか?」っていう思考になってきた。もし、もてることを追求し続けていたらきっと別の道に行っていたというだけの話。
仕事でも習い事でも趣味でもなんでも、そうですよね。
最初は、
「なんとなく面白そう」
「稼げそう」
「人にすごいと思われたい」
そんな入口だったとしても、続けていくうちに見える景色は変わっていきます。最初に抱いていた動機なんて、途中で形を変えて当然なんです。
むしろ、ずっと同じ理由だけで続けられる方が珍しい。
やってみたからこそ見えるものがあるし、
やってみたからこそ「違う」と気付くこともあります。
それは失敗ではなく、前進なんです。
きれいごとを言いたいわけではありませんよ。
実際、私自身も、むかし、生半可でなめた行動をとってました。
そうすると、中途半端な答えにしか到達しないし、似たような温度感の人ばかりが寄ってくる。本物のスペシャルでプロフェッショナルな人はどんどん去っていく。
どれぐらいの可能性を潰したんだろうって嘆いてました。
でも、生半可な行動があったから、違うなと気付けたのも事実で、
そして、「現在」があるのだと、今では胸を張って言えます。
どういうわけか、予想もしていなかった講師なんてものにたどり着き、どうやって指導すればいいのかと日々、考えあぐねていたりします。
そして、そこで見てきたものや学んだものが、脚本執筆に生かされたりしています。
皆さんも、今どういう状況なのか、少し問うてみてください。
あれもこれもやりたい。
はい、貪欲でいいと思います。どんどん気にせず、やればいいと思います。
「こけたら痛いよ」と言えば、
こけたら痛いんだと頭では学べるでしょうけど、実際こけてみないと、
本当の痛さはわからないものです。
でも、その痛さを知れば、自ずと成長していきます。
動機があるのなら、まずは進んでみてください。
考えるのは動いてからでいい。
次回はこちら→『不公平は嘆くものではなく、使うもの』
前回はこちら→『うまくやろうとするほど、見失うものがある』
まとめはこちら→【俳優思考】
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