不公平は嘆くものではなく、使うもの
――俳優思考・第十四回
こんな仕事をやっていると、もうそれはそれは、不公平だらけです。
というか、この業界に限らず、世の中全てにおいて言えることですね。
ただ、この事実を認めるのと認めないのとでは、先の人生が全く別のものになってくると思っています。
不公平なんて、あって当たり前。
そこにいちいち目くじらを立ててもしょうがない。
おそらく、「平等社会」という言葉から、不公平は〔悪〕だという認識が強く刷り込まれてきたんでしょう。
もちろん、理不尽なことが許されていいとは思っていません。
でも、現実問題として、人間は全員違います。能力も違えば、環境も違う。育ち方も、運も、出会う人も違う。
なのに、「全員平等であるべきだ」という考えだけを握りしめて生きています。そうすると、現実とのズレでどんどん苦しくなってくるわけです。
自分も、東京に住んでた頃は、本当に超嫉妬マンだったのでね。
(俳優思考・第一回の「嫉妬は、健全だ」でも少し触れましたが)
役者関係に至っては、わら人形レベルだったと思いますよ。
とにかく、役者友達がうまくいくと悔しくて、うまくいかないと安心する。そんなことばかり考えていました。何かのせいにしては、自分を正当化するというループ。だから、当然、不公平なんか受け入れられない。となると、もうしんどいわけです。
でも何かね、ある日、どうでもいいかって思っちゃったんですよね。
開き直るというと少し違うかもしれませんが、何が起こっても全部自分の責任、この人生引き受けました!みたいな受け入れ方をするようになったんです。
例えば、二人の男子がいます(A君とB君にしましょうか)。
毎日同じ回数の腹筋運動を始めたとします。食生活や習慣も全て同じにしたとしても、同じ筋肉のつき方をするかといえば、そうではありません。
人の能力には個人差があるし、育ってきた環境も違う。
でも、人間って、ヒロイズムというのか、「不公平だ」「不平等だ」と叫んで、そこで留まりたくなるんですよ。「親がもっと体を大きく生んでくれてれば」とか、「自分専用のジムがあれば」とか、とにかく何かのせいにしたい。
わかる。すごくわかる。考えてしまうんですよね。わかる。
でも、それを考え続けたところで、自分自身は一歩も前に進まない。
現に愚痴を言い続けても全く筋肉はつかない。
そんなの言われなくてもわかってるよ!でも考えてしまうんだよ!って。
ねぇ、わかる、そうなんですよね。
じゃあ、思いっきり考えましょう。そこは否定しないでおきましょう。
不公平だ!は結構。その通り。
ただ、やらない理由にするのはやめましょうって話。
A君が、B君より腹筋をつけたいと思うのなら、B君の倍の回数トレーニングをやればいいわけです。でも、倍やっても全然駄目かもしれません。その時は、思う存分、不公平だと嘆き、B君に嫉妬してください。大いに結構。
でもそこで留まらず、さらに考えて、さらにまた工夫してください。
そうやって、自分なりに前に進んでいくしかない。
そうやってやっていくうちに、不公平があること自体には、そこまで腹が立たなくなってきます。
不公平がない世界なんて、おそらく存在しません。
問題は、不公平を感じる自分や、嫉妬する自分を否定しすぎること。
それらを受け入れたうえで、その中で自分がどう生きるかが大切なんです。
だから、結局は動くしかないんですよね。
次回はこちら→『「自信がついたらやる」は、たぶん逆』
前回はこちら→『動機なんて、不純でいい』
まとめはこちら→【俳優思考】
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