向き合うほど、人間になる
――俳優思考・第六回
「俳優」「役者」「演者」…同じ職業でも、呼び方にこだわる人もいれば、全く気にしない人もいます。本人なりのイメージがあるんでしょう。
「監督」もそうです。
昔、現場で「監督!」と呼んだら、「監督って呼ぶな!」と怒られたことがあります。いろんな人がいます。
…話が逸れました。
さて、「俳優」という漢字、知っていますか。
人にあらず、人に憂うと書きます。
まさにその通りだと思いますが、そんなことを考えながら俳優をやっている人は、おそらくいないでしょうね。
「俳優は潰しがきかない」とよく言われます。俳優なんてやったら、もう他の道には行けないぞという恐怖の言葉です。人によってはそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただ、これだけは言えます。
これほど人間を見る職業は、他にないと思います。
普通、人間は痛いところに目をつぶる傾向にあります。
嫌なことがあれば、忘れる努力をする。意識的にも、無意識的にも。
でも俳優は違います。
その感情を、ふりではなく、リアルに感じているものとして見せなければなりません。(感情たっぷりでも、見えなければ意味がないのですが)
これをやっているうちに、必要以上に洞察力が磨かれていきます。
相手や状況をしっかり感じていないと、スカスカの演技になりますから、
知らないうちに、人を見る目が洗練されていくんです。
そして、もう一つ。
普通に生きていたら、よほどのことがない限り、
別人を演じて生きていくことはないですよね。
でも俳優は、別人の人生を生きます。
すると必ず、こういう壁にぶつかります。
「自分ならこうするのに、この役が全く理解できない」
当たり前です、別人ですから。
何で?何で?の嵐です。
例えば、普段まったく怒らない人が、激昂するキャラを演じるとします。
「怒ったことがないからわかりません」では成り立ちません。
もしそれが成り立つなら、殺人犯の役は殺人犯にしかできないことになってしまいます。
だから俳優は、必要以上に人を見ます。
映画を観る、本を読む。
あらゆる行為が、人間を理解するための糧になっていくんです。
理解できないことを理解し、受け入れる。
これは、耐えがたい試練です。
苦しいし、逃げ出したくなることだってある。
でも、そこでどれだけその状況を楽しめるか。
それがその人の器であり、魅力につながるんじゃないかと思っています。
そしてこれは、俳優に限った話じゃありませんよね。
ビジネスシーンにおいても、理解できないことだらけじゃないですか。
でもね、理解できないことと向き合い続けた人に、魅力がないわけがない。
さあ、一緒に魅力的な人間になっていきましょう。
このシリーズのまとめはこちら→【俳優思考】
前回はこちら→【固定観念という名の鎧を脱ぐ】
次回はこちら→【『才能がない』という言葉の裏側に、隠れているもの】
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