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猫と文学、そして翻訳のこれから

先日、「猫と小説と、AI時代のことばのゆくえ」というお話しを聞いてきました。
猫にご用心 知られざる猫文学の世界』を翻訳された翻訳家の大久保ゆう氏と書評家の倉本さおり氏の対談で、soyogobooks(日本印刷株式会社のオウンドメディア)が主催されたイベントです。

普段から翻訳や言葉に関心を持っている身として、このイベントがどのような視点を提供してくれるのか楽しみにしていました。実際に参加してみると、想像以上に奥深く楽しい内容で(倉本氏の猫ちゃんたちの写真に心を射抜かれる)、いろいろと刺激を受けました。
 

『猫にご用心』:街の言葉が物語を紡ぐ
1553年にボールドウィンによって執筆された『猫にご用心』は、「英語で書かれた初の小説」といわれています。

それまで、イギリスで文学とはラテン語で書いてあるもの、あるいはイタリア語やフランス語で書かれた作品を英語に翻訳したものであって、自分たちが英語でオリジナルを書く、という段階には至っていなかったのだとか。また読み物といえば騎士道物語のような韻文や宗教書がメインという中で、『猫にご用心』は散文のフィクション、つまり小説であったということから、「初の英語小説」となったそうです。

このような小説が世に出たきっかけは、メアリー1世(ブラッディ・メアリー)の治世が終わり、社会が明るさを取り戻したことも関係している、と訳者の大久保氏は言います。読者が自分たちの国の言葉で、身近な世界を物語として楽しむことができるようになった、ということなんですね。
 
猫は執事的な存在
対談では、猫が主役の文学もトピックとなりました。その中で『長靴をはいた猫』が取り上げられ、書評家の倉本氏が「猫は執事的」と評していたのが印象的でした。確かに、この物語の猫は無一文の三男坊である主人のために知恵を働かせ、策略を巡らせながら人生の成功へと導きます。

犬はイメージ的に、人間にとって相棒、あるいは忠実な僕(しもべ)という役割が連想されますが、この作品の猫は主人に尽くしつつ、常に一緒にいるバディというよりは、時に狡猾に立ち回り、主人のピンチをさらりと助けてくれる。確かに執事という表現がぴったりです。

ちなみに『長靴をはいた猫』には派生形がいろいろあるのはご存知ですか?私が読んだのは猫が最後に主人に裏切られるバージョン。無一文から何もかも猫のおかげで城とお姫様を得た主人ですが、「お前のことは死んでもなお大切にする」と猫に約束したにもかわらず、実際は陰で「私の悪運と共にあの世に行ってしまえばいい」とのたまうイケメンクズ。それを知った猫は、振り返ることなく城から立ち去るのです。切なすぎる……。
 
翻訳の演出:「語る」と「伝える」の違い
『猫にご用心』は語り手に応じて変わる文体の妙も味わいの一つ。そこから対談では、女性語、いわゆる語尾の「~だわ」は実際には使われていない、という話へとつながり、それを避ける工夫をした翻訳が、オーディオブックになると予想以上に強気なキャラクターとして演じられ、訳者自身が驚いたというエピソードもありました。この違いは、翻訳者が「読む」ことを前提に文章を組み立てているのに対し、朗読者は「聞かせる」ことを意識しているために生じる齟齬かと。

こうなると、翻訳を通じて言葉の選択というだけでなく、作品の「伝わり方」も考えなければなりません。言葉がどのように「語られるか」によって、作品の印象はだいぶ変わります。オーディオブックという新しい読書形態が広がりつつある中で、翻訳者は「音読を意識した翻訳」を考える必要が出てくるのかもしれません。リズムやイントネーション、対話の間合い。こうした要素が、今後の翻訳の在り方に影響を与える可能性もありそうです。

もう一つ、語り手によって変わる文体、という文脈で自身の仕事を振り返った時、黒人ラッパーのコメントを訳したことを思い出しました。"Urban Dictionary"や"Rap Dictionary"などに載っているようなスラングを使っているのであれば、そこはそれらしく訳すとしても、全体的に「~だぜ」や「~だろ」というトーンで訳さないよう気を付けました。

翻訳でもキャラクターを演出することは大切ですが、同時に、言葉の選び方次第で無意識にイメージを固定してしまうこともある。ステレオタイプを増長しないよう、注意が必要だと考えたからです。そもそも、女性語と同じで、男性だって、そうそう「~だぜ」って言わないですもんね。

ともあれ、翻訳やことばとの向き合い方に、猫のような「しなやかさ」と「したたかさ」を持ちたいと思った一日でした。
物語を紡ぐ手触り、伝え方のニュアンス、それをどう届けるか。AIが進化していくこれからを見据えて、人としての感性を研ぎ澄ませていきたいです。



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