マイケル・ジャクソンに学ぶ身体操作15:体軸が立つと聞こえてくる『This Is It』の音の世界(後編-3)
(後編-2からの続きです。)
4. フレーズの間の「音の抜け方・間合い」が呼吸に作用する
次は、34:23~、曲を頭から通して確認する場面に移ります。ここからは、マイケルの音の世界での「自然な調和」の背景を、演奏指示の言葉を手がかりに、体軸リズムの視点からひも解いていきます。
35:05~、マイケルは次のように言います。
It's got a moment where it has to be simmer.
you're not letting it simmer. Just bathe in the moonlight.
意訳:「ここは音の間合いが大事なところなんだ。ちゃんと間をとってくれないと。月明かりが体に染み込むように、音を感じてみて。」
ここでの「月明かり」の比喩からも、体感優先型でない人たちへ向けた、マイケルなりの伝え方の工夫が垣間見えます。
では、少しだけ、夜空に浮かぶ満月を見つけた瞬間を思い浮かべてみましょう。
ハッと息をのむような静かな驚きやわずかな緊張感とともに、その青白い光が体に染み込んでくるような、そんな微細な感覚を感じないでしょうか。
マイケルが意識しているのは、観客の体感に作用する「間」の取り方です。
比較的穏やかなリズムが続いたあと、音がふっと途切れると、人は自然に息をのみます。体軸リズムそのものが止まるわけではありませんが、呼吸が一瞬、内側に引き込まれるような感覚が生まれるのです。
この「間」をあらかじめ設計することで、マイケルは、聴覚だけでなく、観客の身体感覚そのものにも働きかけています。
体感優先型+没入型世界の認知では、音から生じる身体感覚を瞬時に感知できるため、音楽の流れと身体感覚とのズレをすぐに把握します。
そのうえで、音が鳴っている瞬間だけでなく、音が存在しない時間も含めて、全体が自然な調和になるよう、音楽の流れを組み立てているのです。
4-1. 体軸リズムで紐解く完成形~どう胸に響いてくるか
ここまでの内容を踏まえて、35:30~、当時の時点での完成形の曲を聴いてみましょう。背景は工事現場の足場と労働者、そして、NYの夕暮れ時で始まります。場面は暗転し、マイケルの姿が見えない状態で始まると想像しながら、なるべく音だけに意識を向けてください。
どうだったでしょうか。
マイケルの姿が見えた途端、そちらに意識が引っ張られてしまったかもしれません。人間の認知は視覚情報に引っ張られやすいのです。
音に集中できなかった場合は、映像を見ずに、下の2点を少しだけ意識しながら、もう一度聴いてみてください。
胸元への響きや、気持ちの高まり方
音が途切れた瞬間、自分の呼吸がどう変化するか
いかがだったでしょうか。
ここから、マイケルの音づくりの一端を紐解いていきます。
4-2. 完成形から見える「音の設計思想」
ここでは、マイケルが演奏指示していた「シンセ音」に注目してみます。
「そんな音あった?」と思う人も多いと思います。
小さい音なので、気づかなくても大丈夫。私も初めて見た時は、マイケルにみとれて気づきませんでした。
次の曲の構成を読んだ後で、もう一度、①36:33~に入るシンセ音(ほわっとした軽い和音)と、①’ 37:23~で再び入るシンセ音を探しながら、聴いてみてください。
曲の構成を整理すると、次の通りです。
A. 35:30~35:51 低音・コーラス・スナップ音
B. 35:51~35:55 スナップ音のみ
C. 35:55~36:28 打ち込み音の後、マイケルの歌
D. 36:28~36:31 「間」の部分&ダンス
E. 36:31~36:54 スネアの音とともに、歌が再開
(①36:33~ 演奏指示したシンセ音が入る)
F. 36:54~ 「間」の部分&ポージング
(②指示した間合い)
G. 37:16~ 打ち込み音と共に、曲の本題に入っていく
(①’ 37:23~ 再びシンセ音が入る)
最初のA~Bでは、単純なリズムの繰り返しが続きます。この単純さは、わずかな退屈さと同時に「早く次が来てほしい」という期待感を静かに蓄えていきます。
Cに入ると、穏やかで高めのマイケルの歌声が入り、微細な体軸リズムが胸元に刻まれ始めます。Dの「間」では、ハッと息をのむような反応が生まれます。そして、Eで歌声が戻り、シンセ音が加わることで、呼吸が戻ると同時に胸の揺れが一段強くなります。
Fの「間」が訪れると、マイケル自身も静止し、音が止まることで観客の呼吸は一瞬、より強く内側に引き込まれます。体軸リズムは止まらず、次を予測していた身体が、思わず息を溜め込みます。
その緊張を抱えたまま、Gで曲は本題へ突入。直後に再び入る①’のシンセ音は、先ほどよりも大きな存在感を持ち、胸の高まりを、さらに一段引き上げます。
ここでのシンセ音は装飾ではなく、胸の高まりを徐々に引き上げる「階段」として配置されています。その階段をのぼる前には、必ず「間」が設置されており、フレーズの間で呼吸が止まり、再び息をし、胸が高まり、また間が来る。その微細な身体反応まで設計された音作りであることが、A~Gの流れからも見えてきます。
艶っぽさはありません。単純なリズムと間合いだけで体軸リズムを操作し、観客の身体感覚を導く。そんなマイケルの音の設計思想が、ここからはっきりと感じ取れます。
5. 「体感優先型+没入型世界」タイプの「Human Nature」
こうして認知や体軸の視点で読み解いてみると、マイケルがリハーサル中に行っているのは、単なる「いい音」づくりとは言えません。
自分の体軸リズムがどう動くか。その音によって、観客の体軸リズムがどう動くか。そして、スタッフも含めた会場全体の呼吸や緊張感——それらが、きちんと同期しているか。そして、これらを切り分けることなく、いくつもの層を同時に思考し、体感で確かめる作業をしているように見て取れます。
会場が大きくなれば、それだけ関わる人数も増え、音の届き方や、観客の視線の向きも変わります。そうしたすべてを含めて「調和のとれた自然な音」を探し続けることは、彼の認知のあり方そのものだったのだろう、と感じられます。
リハーサル中に、言葉よりも、自然と口真似や身振り手振りなどの身体表現が多くなるのも、こうした複数のシミュレーションが、言語より先に、意識の背後で走っているためです。マイケルは「考えていない」のではなく、「思考が止まらない」のです。身体と体感の層で幾重にも思考が重なり、無意識に「自然な調和」を探し求めて働いてしまう。
その結果、フレーズの「間」や音の抜け方、シンセ音の入り方といった一つひとつの要素が、観客の呼吸や胸の高まりにまで作用するよう、緻密に設計されていきます。こうして積み重ねられた設計があるからこそ、観客は「異次元を感じさせるパフォーマンス」を、体感することができたのです。
『This Is It』を観て、「なんて表現したらいいか分からない」気分を抱いた方も多いのではないでしょうか。
その体感こそが、全体の「自然な調和」を探し求めているときの思考の渦の感覚——そして、その調和が一人では完結しないがゆえに、その渦を乗り越えないと”自分でいられない”という認知特性をもつ「体感優先型+没入型世界」の人の性質(サガ)。
マイケルが映画の中で見せた様々な表情やしぐさは、そうした多層的に絡み合う思考の感覚と、それを乗り越え、観客へ届けようとやりきるための決意だったように思えます。
6. 最後に
認知特性というものは、意図的に変えたり、後から作り出したりできるものではありません。それは、生まれつきの感覚の偏りや、世界の受け取り方の癖として、静かに私たちの中に組み込まれています。
この記事を書くにあたって調べてみると、マイケル自身は、言葉で自分のことをあまり多く語るタイプではなかったように見受けられました。代わりに、音や映像、ダンスといった表現を通して、観る人・聴く人の無意識に、直接働きかけるような作品づくりをしてきたように感じられます。
その結果として、「理由は分からないけれど、なぜか引き込まれる」「気づいたら身体が反応している」——そんな体験が、多くの人の心の中に深く刻まれたのではないでしょうか。
マイケル自身は、身体知という観点から見れば、きわめて高い領域に到達していた人物だったと言えるでしょう。ただ、認知の面では、どこまで自覚していたかは分かりません。
しかし、こうした認知特性を踏まえた上で、改めて過去の楽曲やライブ映像を見返してみてください。音の鳴り方やフレーズの間、身体の動きの一つひとつが、以前とは少し違って感じられるかもしれません。
そして、誰かとの会話の中に、感覚のズレや違和感を覚える瞬間があれば、そこにもまた「認知特性の違い」が静かに顔を出しているのかもと考えてみてください。理解し合えない壁にぶち当たることは、マイケルも同じでした。
理解し合えない状況に直面すると、人は認知の働きとして、距離を取ったり、防御的になったりすることがあります。しかし、理解し合えない状況は誰にでも日常茶飯事に起こるもの。そういう前提で、人と関わり、世界を感じてみる——そんな優しい世界への広がりの一端を、ここに見出してくれたら、と思っています。
あとがき:
このシリーズ記事は、序章で書いたように、術後の回復のためのエクササイズを「母に伝えたい」という想いから始まりました。そこから書き進めるうちに、「自分の感じている音の世界の一端を、母に伝えられないだろうか」と考えるようになり、前編・中編・後編と長く続く「音の世界の記事」を書くに至りました。
書いている途中も、「音の世界はあまりにも幅が広く、伝えきれない」と何度も思いましたが、同時に、マイケルはこの苦しさを何万回乗り越えてきたのだろう、とも思いました。
また、「感情や言葉が、かなり遅れてしか意識に上がってこない」という体感優位型の認知特性を知らず、私のように言語化に苦しんで試行錯誤して長年生きている人もいるかもしれない、という想像もしました。
自分の感じている音の世界の一端が、少しでも母に届いているといいなと思います。同じ「伝える苦しさ」の壁にぶつかっていたのが、自分だけではなかったと感じさせてくれたこと、そして、誰にも伝えられず、自分だけの「音の世界」として仕舞い込んでいたことが、実は苦しかったと気づかせてくれたマイケルに、心から感謝しています。
Thank you, Michael.
