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106年前のチェックイン|1920(大正9)年6月1日(火)|6月2日(水)|

📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
小学校の教員を目指して受験した師範学校に落ちて、来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で代用教員をしていた、初夏のころの話です。


🧭 この日のあらすじ

6月1日(火)、2日(水)
1泊2日の出張。
自動車でお隣の郡の小学校へ参観に行く。

1日目は廣瀬にある国府の小学校へ。
古川の旅館に移動して泊まる。

2日目は古川の小学校へ。
参観後は他の先生方とトークタイム。

夕方5時発の自動車で高山へ戻る。
その頃、祖父のお母さんは息子の下宿先(石松家=自分の実家)に、山菜摘み。
慣れ親しんだ実家の近くは、いい場所があるんでしょうね。

📅 日記本文

6月1日(火)
自動車に乗って廣瀬の学校に行く。
色々参観をなし、午後3時此○を出発して古川の八ツ三にとまる。
明日は古川学校を参観するはず。

6月2日(水)
よく晴れて参観には好日和なり。
古川学校を参観す。
参観後他の教員、色々のことを問わる。
午後5時、自動車にて高山に出発す。
母は石松へ行き、蕗等を摘みて来らる。


📌 背景メモ

自動車
祖父の日記に「自動車」が出てくるのは珍しいです。
3年前の旧制中学校生徒時代の日記に、校長先生(鳥類学者の川口孫三郎氏)が転任されるときに、迎えに来た車に校長先生が乗り込んで手を振るお別れのシーン以来。

今回、祖父が乗った「自動車」は、自家用車やレンタカーではなく、乗合自動車(バス)だったみたい。
写真は東京の乗合自動車。
車高が高いですね。
着物着てたら転がり落ちるわ。

東京乗合自動車のバスと女性車掌(1934年、撮影:石川光陽)


廣瀬の学校/古川の学校
廣瀬の学校は、現在の高山市立国府小学校。
古川の学校は、現在の飛騨市立古川小学校です。
106年前も今も、子どもたちが鬼ごっこしたりケンカしたりしている土地です(あ、勉強もね)。

ちなみに先週は、他校の先生が祖父の算術の授業を観にきていました。
今回は祖父が見学する番。
106年前の先生たちも、意外とアクティブに交流していたみたいです。

1878年に建てられた古川小学校の校舎
祖父が訪れた時もこの校舎だったと思う


『目で見る飛騨の100年:写真が語る激動のふるさと一世紀』
岐阜郷土出版社 1989年



八ツ三
飛騨市古川町にある八ツ三(やつさん)館は、江戸末期創業の老舗旅館で、現在は八代目。

1泊2食付き、1人3万〜5万円。
…だよね、そうだよね(ため息)。

明治・大正期には、飛騨各地の女の子たちが、この旅館に集合して、野麦峠を越えて信州の製糸工場へ出稼ぎに旅立っていったんだそう。
映画「あゝ野麦峠」の世界です(知らない方はこちら)。

そんな時代の旅館なので、祖父が泊まった頃は今とは違って庶民的なお値段だったはず。

八ツ三館公式サイトより


💭 孫のつぶやき

日記の「八三」という文字。
また謎ワードなんだろうな……と思いながら「飛騨市 古川 八三」でググったところ、八ツ三館のサイトにたどり着きました。

サイトを開くと、格子戸、提灯、木の柱。
「あ、あった」
思わず声が出ました。

祖父が泊まったのは1920年。
あれから106年です。
写真からも、100年前のぼんやりと重い空気が伝わってきます。

当時の宿帳が残っているかも!と思い、八ツ三館に電話で問い合わせてみました。
さすがに106年前の宿帳は残っていませんでした。
…ですよねー

ちなみに八ツ三館の招月楼は明治38年築で、建築から121年の登録有形文化財。
でも祖父が泊まった当時はまだ築15年でした。

18歳の祖父が泊まった宿に、今の私も泊まれる。
布団の上で目覚めたら、大正時代にタイムトリップしてたりして…(妄想ワールドに続く)

二階建てバスのペンダント
ロンドンのお土産やさんで