視学からの手紙|1920(大正9)年3月31日(水)|
📙1920年。旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
翌年の再受験を見据え、母の実家近くの小学校で非正規の代用教員を志します。
郡役所に履歴書と健康診断書を提出しましたが、まだ採用の返事はなく、落ち着かない日々が続いています。
🧭 この日のあらすじ
いつものように、勉強と薪割り。
裏の土地を購入する代金の件で、母の実家石松家の人が来られた。
郡視学より、明日郡役所に来るようにとの通知書が届いた。
午後、図書館で教授法の本を読む。
夜、森下(地名)の知り合いの家で、蓄音機を聴く。
📅 日記本文
朝、英語を調べる。
薪を割る。
石松の人、裏の地の金のために来らる。
視学より明日来いとの書来る。
午後、図書館にて教授法の本を読む。
夜、森下にチク音機(原文ママ)を聞く。
📌 背景メモ
裏の地の金
祖父の家の裏にある土地(当時は畑)を購入することについて、母の実家の石松家の人たちに相談していました。
その土地は現在も、母の弟が受け継いで所有しています。
詳しくはこちら
視学
郡視学は、いわばこの地域の「教育トップ」。代用教員になれるかどうかの決定権を握る人です。
祖父にとっては、ラスボスの一歩手前といったところでしょうか。
蓄音機は当時のハイテク家電で、価格は教員の月給ほど。
今でいえば、数十万円のオーディオ機器にあたります。
近所に一台ある家があれば、みんなで聴きに行く時代でした。
💭 孫のつぶやき
ここ数日、祖父の生活はほぼ三択でした。
① 家の手伝い(薪割り、米の袋貼りなど)
② 勉強(英語、数学)
③ ときどき散歩
いわば「待機モード」です。`
今日は3月31日。
郡視学から「明日来い」ということは、4月1日付で辞令が出る、という流れでしょう。
午後は図書館で「教授法」の本を読み、夜はレコードを聴きに出かけています。
どんな曲を聴いたのかな。
不安から解き放たれ、ルンルンしている祖父が、目に浮かびます。

四季守「桜」
