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"よしま"と、カエルと、18歳の暇な土曜日|1920(大正9)年5月1日(土)|

📗 1920年(大正9年)の春。旧制中学を卒業したての18歳の祖父が書いた日記を、孫の私が106年後の同じ日に公開しています。
師範学校の試験に落ちて、「来年こそ!」と心に誓いながら、親戚の家に居候して、非正規の「代用教員」として田舎の小学校で子どもたちに勉強を教えていた、18歳の春の話です。


🧭 この日のあらすじ

昨日の忙しさが嘘みたいに、今日は暇な一日。
朝は”折敷地のよしま”と一緒に学校へ向かう。
夕方、帰り道に田んぼを見れば、枯れ草を撒く作業はもう終わっていた。
田んぼからは、カエルの声がにぎやかに聞こえている。


📅 日記本文

昨日の忙しさに引き換え、今日は誠に暇なり。
朝、折敷地のよしまと学校に行く。
夕方家に帰る。
大抵田にかれ草を巻き終われり。
田にカエルの鳴き声しげし。


📌 背景メモ

折敷地のよしま
"折敷地"は地名。下宿先の石松家の辺りよりもさらに山奥の部落の名前。"おしきじ"と読みます。
"よしま"は"よし様"の略。
3月23日の日記にも"折敷地のよしま"が登場しています。
この時は、石松兵一郎(祖父の叔父)が、真夜中1時ごろに"折敷地のよしま"を荷車に乗せ、高山の祖父の家にやってきたという謎エピソードでした。
今日の日記では、祖父は"折敷地のよしま"と一緒に小学校へ登校しています(土曜日なので「半ドン」です)。
なんとなくおばあさんをイメージしていたけど、学校に一緒に登校しているなら、子どもなのかな? 
それとも先生仲間? 正体が気になります。
"折敷地のよしま"初登場の日記はこちら↓

田に枯れ草を撒く
祖父は「枯れ草を撒く」と書いていますが、実際は撒くというより、土を砕きながら混ぜ込む作業でした。
農家ではなかった祖父には、その違いはピンとこなかったのかもしれません。
「枯れ草を撒く」という表現に、なんとなく祖父の”よそ者感”が滲んでいる気がして、ちょっとかわいいです。

💭孫のつぶやき

今日の日記に出てきた「よしま」。先日亡くなったのは「としま」。そして祖父の日記にちょくちょく登場する気になる女子は「あやま」。
……「○○ま」、多くない?(笑)
これって方言なのかな、と思って調べてみたら、面白い資料がありました。

大正十二年、旧制高山女学校の新任教師として、東京から赴任した降旗喜見子(東京・杉並)の話によると、
「(中略)また、あちらの人たちは仲間を呼ぶのに、名前のあとに必ず「ま」をつけて、『千代ま』『よしま』と言っていましたが、ある種の生徒にだけは、『お千代様』『おひい様』と呼び方が変わるのです。
どういう家の娘かと思ったら、この街の日那衆(豪商)のお姫様で、この女生徒には登校下校のさいはもちろん、ちょっとした外出にも、必ずお付きの者が一人か二人、家紋入りの風呂敷包みを持って従っていました。
それはまるでお大名のお姫様そっくりで、私はびっくりしてしまい、これは大変な国へ迷いこんでしまったと思いました」

『飛騨の哀歌高山祭』(角川文庫)
著者 山本茂実 角川書店 1981

○○ま、と言う呼び方は、やはり少し親しみをこめたカジュアルなものだったのかなと思います。

それにしても、旦那衆のお姫様とは。昭和の少女マンガで薔薇を背負って登場する、縦ロールの美少女のようですね。
家紋入りの風呂敷包みを持ったじいやを従えて、だなんて…
めっっっちゃ見たい!!!(鼻息)
でも彼女たちも、本当は○○ま、って呼んで欲しかったのかもしれないな。うん、きっとそう。