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新米先生、絵本を作る|1920(大正9年)5月8日(土)|5月9日(日)|5月10〜12日(月〜水)|

📗 1920年(大正9年)。旧制中学を卒業したての18歳の祖父が書いた日記を、孫である私が106年後の同じ日に公開しています。
師範学校を受けたけど不合格。「来年こそ!」と誓いつつ、親戚の家に居候しながら、非正規の「代用教員」として田舎の小学校の子どもたちに勉強を教えていた、そんな18歳の春の話です。


🧭 この日のあらすじ

5月8日(土)

4年生の体操の授業を受け持つ。
放課後、恒と連れ立って実家へ帰る。
○は「15日に決める」と言っていた。
明日は平瀬の祝宴がある。

5月9日(日)
午後2時、下宿先の石松家に戻る。
下宿で絵本を作った。我ながら良い出来だった。

5月10〜12日
記事なし(3日連続!)

📅 日記本文

5月8日(土)
4年生の体操を4時限になす。
放課後内に行く(恒と一緒に)
○(判読不能)は15日の時決めると言わる。
明日は平瀬の祝宴なり。

5月9日(日)
午後2時石松に行く。
行きて後、絵本を作る。
よく出来た。

📌 背景メモ

恒(ひさし?)
「恒」と読めるのですが、わかっている限りの親戚にも同級生名簿にも見当たらず、不明のまま。
祖父よ、恒って誰ですか?

平瀬
私の母に尋ねたら、現在も高山の海老坂下で営業している日本酒の蔵元「平瀬酒造店」のことだろうと言っていました。当時、家同士のお付き合いがあったとのことです。

創業400年(当時は、創業300年)の老舗なのですが、実はこの日記が書かれた頃がちょうど転換期だったようで、丹波から杜氏を呼んで飛騨で初めて清酒を造り、『灘流正宗』として売り出したところ大ヒット。現在の平瀬酒造の基礎ができたのが、まさにこの頃なんです。
祖父が祝宴に呼ばれたのも、そのお祝いだったのかもしれません。

平瀬酒造店

判読不能な文字
「帰(歸)」の草書に似ている気がするのですが、確信はありません。
ちなみに15日の日記は「夕方、町へ行く」の1行のみ。恒と町で落ち合い、何かを決めたんでしょうね。


💭 孫のつぶやき

「よく出来た」
自分の作品に満足している18歳の祖父がちょっとかわいい。
先週日曜日の日記に「画紙と筆」を買ったと書いていたけど、絵本を作るためだったのね。
小学校の子どもたち、絵本を楽しんでくれているといいな。
どんな絵本だったのか、見てみたかった!

そして祖父、3日連続で日記、サボっていますよ。
絵本を作って、燃え尽き症候群かしら。
(でも、天気欄だけは欠かさず書いているところが祖父らしい)


天気は欠かさず