大正ボーイズ、哲学を語り合う|1920(大正9)年7月27日(火)|
📗1920年、旧制中学校を卒業した祖父。小学校の先生になろうと師範学校を受けたものの、まさかの不合格。
師範学校リベンジを狙いつつ、仕方なく(?)田舎の親戚の家に下宿しながら、非正規の代用教員として小学校の教壇に立つことに。
そんな代用教員生活、初めての夏休みがやってきました。
🧭 この日のあらすじ
(夏休みなので実家滞在中)
朝は妹に地理を教えた。
昼頃、大洞(三千三)くんが家に来た。
哲学の話などをした。
夜は図書館に行き、12時半ごろ就寝。
数学雑誌の「考え方」に支払い(定期購読を申し込んだのかも)
📅 日記本文
朝、妹に地理を教える。
午ころ、大洞君来る。
色々哲学のことにつき話をなす。
夜、図書館に行く。12時半寝ぬ。
考え方の雑誌に振替貯金にて送る。
📌 背景メモ
大洞くん(大洞三千三)
三千三と書いて、「みちぞう」と読みます。
祖父とは遠縁にあたり、旧制斐太中学校では1学年上に在学していました。
祖父の日記にたまに登場します。
半年ほど前の日記では、祖父は大洞家にウエブスターの英和辞典を貸してもらいました。
斐太中学校卒業後は慶應義塾大学法学部法律学科へ進学し、1926(大正15)年に卒業、そして刑務官として務め上げました。
経済学者の内海洋一さんが拘置所生活を送っていた際には、大洞さんの計らいで本の差し入れ制限が緩和されたそうで、内海さんは大洞さんを「かなりの人格者」と評しています。
考へ方の雑誌
祖父は数学雑誌「考え方」の懸賞問題に応募するのが楽しみだったみたい。
どうやら旧制中学当時から、同級生の間で流行っていたようです。
(同窓会会報「有斐」より)
実際、国立国会図書館デジタルコレクションで祖父の名を検索すると、いくつかの数学雑誌の懸賞問題入賞者の中に名前を見つけることができます。
ちなみに現代でも雑誌「大学への数学」には懸賞問題が載っていて、数学好きの高校生が熱い戦いを繰り広げているらしい。
💭 孫のつぶやき
朝は妹の家庭教師、昼は友と哲学談義。18歳、なかなか贅沢な夏休みを過ごしております。
1歳年上の大洞くん、この日記の時点(1920年)ではまだ大学受験浪人中だったのか、もう慶應に入ってたけど留年してたのか、はたまたどこかで仮面浪人していたのか。真相は闇の中です。
ただ、大人になってからのエピソードを漁ってみたら、これがなかなかの自由人。
刑務官練習所時代、教室に長剣を忘れて「まあいっか」で帰宅。
翌朝舎監に「袖の銀線が泣いとるゾ!」とド叱られ、180cm近い体を折り曲げて平謝り。
極めつけは、郵便物を格安で送る裏ワザを編み出し、同期の友人に「違法性は阻却するがモラルの問題は残るな」と法学部らしいツッコミを受けてもどこ吹く風。
慶應ボーイで洒脱、そして良くも悪くも自由。18歳の祖父と哲学を語っていた青年、大人になってもブレていません。
そんな人と18歳の祖父が、夏休みに哲学を語り合っていた。
なんだか知的な青春のワンシーン……と思いきや、片方は将来、長剣を忘れて帰る男になるのである。

